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さぬき紀行⑥ 応挙も探幽もトラを知りませんでした?

 16.10.3さぬき紀行⑥ 応挙も探幽もトラを知りませんでした?_c0133503_11283576.jpgさぬき紀行⑥ 応挙も探幽もトラを知りませんでした?_c0133503_11292857.jpgさぬき紀行⑥ 応挙も探幽もトラを知りませんでした?_c0133503_1130070.jpgさぬき紀行⑥ 応挙も探幽もトラを知りませんでした?_c0133503_11302731.jpg
 さて、旅の二日目のスタートは金刀比羅宮(こんぴらさん)の参拝です。御存知のように金刀比羅宮参拝には長い参道の階段を登らねばなりません(写真)。妻は「一番上の奥社まで行こう」(1,368段。距離も段数で計算するのが金刀比羅流です)と意気揚々でしたが、さすがに私はそこまでの元気はなく、結局途中宝物館、表書院を見学し、総本宮(785段)をめざすことにしました(写真)。
 宝物館と表書院に寄ったのには理由があります。円山応挙(表書院)と狩野探幽(宝物館)の絵が展示されているからです。中国の賢人を描いた「竹林七賢図」(応挙)や瀧の音が聞こえてきそうな「瀑布古松図」(同)は傑作、しかし応挙と探幽ともに描いた虎の絵が今回の本命です。両者とも「いい仕事している」んですが、その虎がどこか変。応挙の虎はころころして虎というよりまるで子猫。探幽のは縦じまが途切れ途切れで顔もやけに広がっていて熊みたい。前足も太くぎこちない感を拭えません(写真)。
 よく考えてみると、動物園も甲子園(ん?)もなかった当時、日本に野生しない虎を二人が実際に見る機会はなく、既存の虎の絵を参考にして「全体は猫に似ているみたい」「顔は熊らしい」みたいな2次的な情報を元に描かざるを得なかったでしょうから、彼らを攻めるわけにはいきません。
 江戸時代(1835年)創建の日本最古の芝居小屋金丸座(写真)やその隣にある1932(昭和7)年建設の和風公会堂も一見の価値ありですが、書き出したら長くなるので先を急ぎます。

by takeshi_yamagen | 2016-10-03 11:31 | 日本たびたびまた旅日記  

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