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さぬき紀行⑧ 戦国の香りが漂ってきました ―丸亀城天守閣―

さぬき紀行⑧ 戦国の香りが漂ってきました ―丸亀城天守閣―_c0133503_11394125.jpgさぬき紀行⑧ 戦国の香りが漂ってきました ―丸亀城天守閣―_c0133503_11404040.jpg さぬき紀行⑧ 戦国の香りが漂ってきました ―丸亀城天守閣―_c0133503_11412872.jpgさぬき紀行⑧ 戦国の香りが漂ってきました ―丸亀城天守閣―_c0133503_1142072.jpg16.10.3
 今回の旅も終盤にさしかかり、メインの観光地は丸亀城を残すのみとなりましたが、その前に一応窯跡研究者(通称「お窯」)を自認する私がどうしても訪れておきたかったところがあります。飛鳥時代にはるばる大和藤原京まで製品(瓦)を供給した宗吉瓦窯(三豊市)です。
 低い丘陵の斜面に24基の窯がズラッと並んで築かれ、16号窯のみ焼成当時の様子がレプリカで再現されて、それ以外は植え込みでその位置が示されており、最も古い窯は…、いかん!このままでは、私のマイナーでマニアックで大多数の読者にとっては退屈以外の何ものでもない講釈たれで、この連載が少なくとも5回は延びてしまう!被害者はうちの奥さんだけで十分。ここは写真で紹介するにとどめて、先を急ぎましょう。
 宗吉瓦窯を出ておよそ30分、丸亀の市街地に入ると程なくこじんまりした天守閣が見えてきました。丸亀城です。石垣の城と呼ばれるだけあってその重なりや稜線の反り具合は見事。ついつい見とれてしまいます(写真)。
 大手門、三の丸、二の丸と急な坂道を登っていくと眼前に再び三層の天守閣が見えてきました。料金を払って入城し、妻と急な階段を伝って一気に天守最上層まで登りつめた私はちょっと呆気に取られました。異様に狭いのです。歩数で計ると一辺5m弱、七、八人も入ればもういっぱいになります。また上方には天井板がなく、梁をはじめとした木材が丸見えです(写真)。江戸時代の天守閣というよりは中世土豪の館の趣です。
 実はこの丸亀城、江戸時代の天守閣が残る「十二城」のひとつで、天守建造年はそのつい半世紀前までまだ乱世が続いていた1660年。この小さな空間は中世、戦国の世の空気の名残を今に伝えているのです。
「今度はどちらにつきましょうか…」
 四国と信州、場こそ違え草刈正雄、堺雅人、大泉洋の額を寄せ合ったひそひそ話が今にも聞こえてきそうな丸亀城天守閣最上層でした。

 ところで丸亀は土佐藩を脱藩した坂本竜馬が一時身を寄せた町。「あの伊予銀行のあたりにあった戸田道場に竜馬は通っていました」と天守閣入口の初老のおじさんが眼下を指差し教えてくれました。「仕官の話もあったらしいけど、彼が丸亀に留まっていたら、歴史にその名は残さなかったでしょうね」「そのかわりおとなしく維新を迎えて長生きできたかも知れません」「いや竜馬がいなければ維新はどうなっていたか…」、思わぬ竜馬話に花が咲きました。

by takeshi_yamagen | 2016-10-03 11:42 | 日本たびたびまた旅日記  

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