電話線の此方と彼方で ―72回目のヒロシマの日を前に―

 17.8.3
 小学校3、4年の頃だったでしょうか、理科の授業で糸電話の実習がありました。紙コップを受話器に見立てその底部に糸をくくりつけただけの簡単なつくりだったのですが、何十米も離れた友達の声が意外の大きくはっきり聞こえたことが記憶に残っています。ベルさんがそんな紙コップからヒントを得て電話を発明したか否かは知りませんが、遠く離れた人の声が1本の線を通じて聞こえてくるというのは、改めて考えてみると不思議なことです。
 さて原爆炸裂直後に自らも被爆しながらも福山にあった歩兵第41連隊に「広島全滅」の第1報を送った岡(旧姓・大倉)ヨシエさん(当時14歳)が今年5月19日に悪性リンパ腫で亡くなられました。当初福山側は岡さんの「広島が全滅しました」の意味がピンとこず非常に戸惑ったとのこと。無理もありません。あの日福山は一応平穏な夏の朝を迎えていたのですから…。
 また母校北豊島小学校のある先輩のお母様が、あの瞬間偶然広島の電話交換手と通話中で「熱い…」の一言を最後に通信が途絶えたという壮絶な体験をお持ちであることを最近知りました。
 電話の細い線で繋がっている此方と彼方で全く異なる運命が展開することの恐ろしさ…、糸も線もない携帯電話が普及した昨今ですが、あの日の広島と繋がる心の糸を研ぎ澄まし、後世にいく筋もの糸を投げかけていくことが、ヒロシマのある国に生きる人間に課せられた責務ではないだろうか―、改めて思っているところです。
 まもなく広島は72回目のあの朝を迎えます。
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by takeshi_yamagen | 2017-08-03 20:08