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元史建歴21 四面「疎火」の家

 08.5.22
 母方の祖母山中コム子(ね)(1909~88)は大阪市東区半入町(現中央区玉造2丁目)の五軒長屋の一つに弟家族4人とともに暮らしていた。このふた間に小さな台所と便所、そして猫の額程度の裏庭がついただけの小さな家、実は太平洋戦争の米軍の空襲を免れ、奇跡的に焼け残った建物であった(もっとも、祖母が住み始めたのは戦後のことである)。
 数年前、1948年3月に米軍が撮影した航空写真を見る機会があり、一面焼け野原の灰色が広がる中に、確かにその長屋を示す小さな黒い長方形を見つけることができた。改めてその周辺を見てみると、南は玉造稲荷神社の境内、北は比較的広い道路、西は細い露地を挟んで玉造小学校の鉄筋校舎、そして東は上町台地が東に落込む斜面となっていて、確かに他所から延焼しにくい立地となっている。まさにこの四面「疎火」とでも言うべき立地が、焼い弾の直撃を免れた偶然とも重なって、祖母の家を守ったと言えるであろう。ちょっとした偶然で生活が変ってしまう戦争の恐ろしさを私は祖母の家から学んだ。
 その長屋も1975年頃に取り壊され、マンションとなってしまった。今となっては膏薬と線香の香りが入り交じったちょっと湿っぽい空気、そしてやさしかった祖母の姿とともに私や父母の記憶の中に残るだけである。

by takeshi_yamagen | 2008-05-22 15:24 | 元 史 建 歴  

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