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積ん読・乱読・熟読日記2 川上貫一著『話のはなし』

 08.7.15
積ん読・乱読・熟読日記2 川上貫一著『話のはなし』_c0133503_17454320.jpg 議員にならなければ、おそらく今でも「積ん読」の運命を免れなかったと思われる本が、この川上貫一(1888~1968)著『話のはなし』(三一書房 1959)である。裏表紙に「200(円)」と鉛筆で書いてあるからおそらくずっと昔にどこかの古本屋で買い求めたのであろう。
 川上さんといえば、1951年アメリカ占領軍を批判し、不当にも議員を除名された後、53年再び旧大阪1区から返り咲いた不屈の日本共産党衆議院議員、その見事な演説が今でも語り草になっている人だ。
 さて、半世紀前のこの本、今読んでも納得する演説の心得が珠玉のごとく詰まっている。私があれこれ御託を並べるよりも抜き書きしたほうがいいだろう。
「すべて話には軸が大切である。バクロや反ばくは材料である。賞賛や罵倒は手段である。軸のない話は漫談である」
「話にのぞんで、なにもかも、みな言いたがるのは、知識や材料が、ありあまっているのではなく、倉庫がからっぽで、知識や材料が乏しいからである」
「…内容がなければ紋切り型になる。よくわからぬことを、わかったように話そうとすればするほど、大言壮語になる」
「…主観と押しつけに、気をくばることは、…なかなかむつかしいのである」
「よく知っていることを、よく整理して、たくみをつけず、すなおに話すという、このほかによい話をする法はないであろう」 
「聞いて気もちよく、よくわかり、ひとになんらかの共感を与えてやまない話というものは、その人が時代にたちおくれていないばかりか、まじめで謙虚で時代より一歩、前方を見つめている思想や人がらから自然にわきでる味わいなのではないだろうか。…話もまた人である」
どれも読んでいて耳が痛い。
 さらに川上さんは細かい点にも厳しい。
「原稿をもって、しかも、原稿からはなれて話をする。そういう話がいちばんよい」
「とくに、主婦たちの意見に気をつけ、多くの青年男女の批評をきく」
「腰に手をあてるクセは、よいものではない」
「きょろきょろは禁物…正面を見る」
「下をむいて、原稿ばかり見ると、話に精彩が失われる」
「(街頭演説を)終わって引き上げるときに、礼を失わぬように」
これまた自分自身に言われているみたいだ。
 結局、いい話をするにあたって大事なことは、現代風にいうならばKY(空気を読まない)になることなく、自分と聴衆をいかに客観的にみるかということ、そして不断の学習か。
 さらに付け加えるならば、川上さんのその姿勢は、岡山県、北海道、長野県、さらには大阪府など仕事で全国を回り、各地の風土や文化に接する中で育まれ、尾崎行雄、新渡戸稲造、賀川豊彦、山本宣治などそうそうたる人士の演説を聞くことによって、鍛えられていったのであろう。

by takeshi_yamagen | 2008-07-15 17:25 | 積ん読・乱読・熟読日記  

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