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運ばれる遺体、入れ替わる軍隊、清廉な八路軍… ―Yさんの語る満州― 

 08.7.30 
 ひょんなことから知り合いになった箕面市在住のYさんは、旧満州からの引き揚げの経験をお持ちで、先日、当時の話を伺いました。
 日本の敗戦から5日後の1945年8月20日、当時住んでおられた渤海に面した遼寧省営口の町にもソ連軍が進駐、29日までに日本人退去の命令が出され、Yさん一家は医者をしていた叔父さんを頼って奉天(現在の瀋陽)に移動したとのことです。
 奉天時代、お兄さんたちとタバコを売って家の生計を助けた話や、「一毛銭給吧!発財長柜吧(金持ちの大将、お金を恵んでください)」と叫びながら乞食の大群が押し寄せて来た話、短い間に日本軍、ソ連軍、国民党軍、八路軍(共産党軍)といろいろな軍隊を「見学」、「郊外で夜空が赤くなるような戦闘があると、翌日それまでと違った軍隊が入ってきた」、「囚人から構成されたソ連兵はひどいものだったが、子どもにはやさしかった」といった話など、どれも大変興味深いものでした。厳しさの中にどこかユーモアが漂っていたのは、Yさんの柔和な語り口によるものでしょう。
 同時に、1945年の冬を越せずに亡くなり、体育館のようなところに安置されていたたくさんの日本人の遺体が春を前にして郊外に埋められることになって、その様子を見に出かけたところ、荷馬車に枕木のように重ねられた遺体のどれもが目を見開いて自分をにらんでいる姿に震えと涙が止まらなくなり、その場に立ちすくんでしまった悲惨な経験も話してくださいました。
「あの時の思いは恐怖を通り越していました。今でも時々夢に見ますねぇ」
 翌46年に帰国後、鳥取県に移り住み、編入した小学校で「満州帰り」といじめられたが、「満州での経験が結構私をたくましくしてくれたようで、あまり意に介しませんでした」とさらり。
 ずっと「反体制派」で「選挙では社会党かあなたのところ(日本共産党)にしか入れたことがない」Yさん、その原点は「あの戦争で国にだまされた思いと、満州時代に八路軍の清廉な姿に接したこと」にあるとのことでした。
「もっとも、たばこを買ってくれたのは国民党ばかりで、八路軍相手では商売にならなかったけどね」(笑) 

by takeshi_yamagen | 2008-07-30 10:32 | 山元のすべらない話  

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