山元たけしの あの日その時、そしてこれから

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カテゴリ:山元家の人々( 17 )

お風呂放浪記

 17.4.17
 家のお風呂が動かなくなりました。せっかくですからこの機に池田の銭湯を回ろうと決意、 昨日の五月湯で市内銭湯(といっても5軒)全部制覇しました。簡単にご紹介。
・平和温泉(石橋1丁目)…家から歩いていける唯一のお風呂。重宝してます。
・共栄温泉(豊島北2丁目)…小さいながらの露天風呂があります。星を眺めながら疲れをとりましょう。
・城南温泉(城南1丁目)…フロント横に小さいカウンターがあって一杯飲めます。う~ん誘惑にまけそう。ジェットバス系の湯船が四つあるのはうれしい限り。
・呉服(くれは)湯(栄町)…1949年開業。タイルの意匠などそこかしこに時代を感じるレトロなお風呂。入り口もフロント式ではなく番台式です。・五月湯(槻木町)…1932年創業の小じんまりしたお風呂。湯は僕好みの温度であぁ極楽、極楽。また壁面は大阪では珍しい富士山です。
 銭湯の建築設計を行う会社に勤めていたうちの父をご存じの方も多く、やっぱりうれしかったですね。また5軒のうち4軒は石川県小松のご出身。残りの1軒も富山で関西の銭湯が北陸の人に支えられていることが池田でも実証されました。

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by takeshi_yamagen | 2017-04-17 16:08 | 山元家の人々

お風呂放浪記 47年目の初体験

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 先日わが家のお風呂が故障してしまい、近所の銭湯や通勤途上にあるスーパー銭湯を利用しています。
 私の地元池田市石橋・豊島地域の銭湯は2012年に石橋温泉が廃業され2軒だけになってしまいましたが、一昨日はその一つ共栄温泉(豊島北2丁目)を訪ねました。
 実は大阪万博の年に引越ししてきて以来、結構長いイシバシスト歴を誇るワタクシ、お店の前の道は母校(北豊島小・中学校)に近かったこともあってそれこそ何百回と通ってきましたが、お店の暖簾は一度もくぐったことありませんでした。片道徒歩20分は「通学圏」ではあるが「通浴圏」(そんな日本語があるのかどうか知りませんが…)には入っていなかったということです。実際暖簾をくぐってみると寝風呂、腰掛風呂(ジェットバス)、電気風呂、サウナとラインナップが充実しており、小さいながら露天風呂もあり、「47年目の初体験」を結構堪能することができました(こう見えても私は元風呂屋のせがれ。お風呂チェックは結構厳しいのです)。
 安倍さん、南スーダンの事態はやっぱり「せんとう」って認めへんなぁ、そういえば志位さん、「ニューヨーク」に行くねんなぁ…。
 遠い異国に思いを馳せながら小一時間寛がせていただいた次第です。
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by takeshi_yamagen | 2017-03-20 14:23 | 山元家の人々

ちょっとコーヒーブレイク 9月の小ネタから

 12.10.1
 ここ数日鼻息荒いネタが続きました。月も変わりましたし、頭を冷やす意味もこめて、今日は山元家の人々をめぐるどーでもええ小ネタにお付き合いのほどを…。 
「台風一家」
 昨日は台風17号が近畿に近づき風雨が強かったですね。トラックの横転する姿がテレビで報じられたりしていましたが、皆様おけがなどありませんでしたでしょうか。
 さて、その17号の影に隠れてあまり目立ちませんでしたが、太平洋上に台風18号も発生していました。実は私、中学校ぐらいまでこのように複数の台風が同時にあたかも家族のようにやってくる状態を「台風一家」というのだと思い込んでいました。「台風一過」の青空を眺めながら昔の恥ずかしい話を思い起こしています。
 息子のテレビデビュー
 毎日放送平日午後放送の番組「ちちんぷいぷい」の中にいろんな高校をレポートするコーナーがあります。先日その取材でタレントのたむらけんじさんがわが息子のクラスを訪問、彼のテレビデビューとあいなりました。といっても別にインタビューを受けたわけではなく画面の後の方で笑っていただけですが…。
 父が傘寿を迎えました
 当ブログの貴重な愛読者の一人でもある父二郎が昨日満八十の誕生日を迎えました。昨夜祝いの電話を入れたのですが、出てこず終い。今朝聞くと「ちょっと近所まで一杯ひっかけに行ってた」とのこと。まだまだ元気で一安心です。
 ちなみに父とまったく同じ日(1932年9月30日)に生まれたのが石原慎太郎氏と五木寛之氏。生きてきた時間の長さは同じでも人生いろいろですね。
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by takeshi_yamagen | 2012-10-01 09:25 | 山元家の人々

水が流れぬ話は水に流すわけにはいきません③

 11.2.16c0133503_1345343.jpg
 12日、新しいトイレがつきました。工事はわずか2時間ほどでしたが、そこでも「見たこともない旧式のトイレだったので、ちょっと戸惑った」と実際工事をしていただいたSさんから言われてしまいました。
 家電製品の不具合は続くようで、13日朝、今度はなんと電子レンジから煙が出ているではありませんか! どうも、結婚以来使い続けてきた電子レンジの寿命がついに尽きたようなのです(やはり、わが家はもの持ちいいですね)。
 17年間、文句も言わず、暖かい食事を山元家の3人に提供し続けてくれたレンジ君、本当にありがとう、思わずその四角い箱に手を合わせてしまいました。
 えっ、他人の家の家電製品がどうなろうが、どうでもええこと、聞きたないって?お怒りはごもっともです。どうか、ひとつ水に流してやってください。
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by takeshi_yamagen | 2011-02-16 00:02 | 山元家の人々

水が流れぬ話は水に流すわけにはいきません②

 11.2.1
 さて、昨日自宅のトイレがダメになりそうだと書いたところ、早速市民の方から「メーカーは買わそうとして、買い替えをすすめるけど、まだ使えるんとちゃうの?」とのアドバイスをいただきました。
「そんなもんかなぁ」と思い、昨日再度来られた修理の方に「まだ使えませんか?」と直球勝負でたずねると、「応急措置でつなぐことはできますが、故障するたびに修理費を払うことになります。それに、最近の機種はこれ(わが家の現在のトイレ)より水道の使用料が三分の一になっています」と具体的な数字をあげて説明してくださり、「長い目で見れば、やっぱり、今買い替えられたほうがお得だと思いますよ」と結論付けられました。
 うーん、そこまで言われるとやっぱり買い替えねばならないのかなぁ。
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by takeshi_yamagen | 2011-02-01 13:18 | 山元家の人々

水が流れぬ話は水に流すわけにはいきません

 11.1.31
 ここ一週間、わが家の水洗トイレ(ウォッシュレット)の水の出が少なくなって、おかしいな、と思っていると、昨日完全に止まり、やむを得ずメーカーの「お客様相談コーナー」に電話すると、担当のおねえさんが出てこられました。 
私「水が出なくなったんですけど…」
担当「商品名と品番をお教え願いますか」
私「商品名は○×ですが、品番はありません」
担「便器ふたの下に書いてあるはずですが…」
私「えっ、書いてないですよ」
…てな具合で話がかみあいません。
 どうもわが家のトイレが1980年代に製造を終えて、部品すらとっくに在庫がなくなってしまっている機種であったことが会話の不成立の原因だったようです。つい3年前までWindows95を使っていた山元家のもの持ちのよさを改めて証明してしまいました(それにしてもこのトイレ、いつ設置したんやったかなぁ)。
 早速修理の方に来てもらい、応急措置はしてもらいましたが、いずれにせよ買い替えねばならず、おまけにうちは配管が複雑で、どの機種でも設置できるとはいかないようだと言われてしまいました。
 うーん、また出費がかさみそうだ…。
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by takeshi_yamagen | 2011-01-31 00:06 | 山元家の人々

息子が中学を卒業しました

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 昨日(12日)午前、石橋中学校の卒業式に出席、午後は民商の全国重税反対統一行動池田集会に参加の後、3月議会に出す意見書の議員団うちあわせ、夕方は石橋駅の宣伝行動へ…、とまぁ、昨日はなにかと忙しい日でした。
 私事ながらわが息子も石橋中学校を卒業、卒業証書を受け取りに壇上に上がる際にこけないか、ちょっとはらはらしてしまいました。
 思えば阪神淡路大震災の余震が続き、生後2週間のときに地下鉄サリン事件がおこるという騒然とした世相の中、この世に生を受けたわが息子。2001年4月に大阪市立春日出小学校に入学(21世紀最初のピカピカの1年生でした)、途中で石橋南小学校へ転校と、彼にはちょっと寂しい思いをさせましたが、まぁ、私たち夫婦を大きく困らせることもなく(人並みの反抗期はありましたが…)、いつの間にか背丈も両親を追い越して、今回義務教育終了となった次第です。
 お世辞にも勉学優秀とはいい難いのですが、ここまで健康で育ってくれたことが一番の親孝行ですね。(写真は卒業の歌を歌う卒業生)
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by takeshi_yamagen | 2010-03-13 14:03 | 山元家の人々

「受験バトル」は年を越します

 09.12.26
 息子の模擬テストの結果が郵送されてきました。確かに前回よりはわずかながらよくなっているのですが、志望校の合格ラインまで達しているとは言い難い状況です。
息子「もうちょっといけてると思ったんやけどなぁ」
私「まぁ、高校だけが人生じゃないけど、あなたが大学に行きたいんなら、一つでも上の高校に入るに超したことはないから、がんばりや」
妻「お母さん、こんな点とったことないでぇ!これではA高校は無理やな」
私「あそこは厳しいからちょっとかわいそうやで…」
息子「そう、そう」
妻「お父さん、時間あったら勉強見てあげてよ!」
 高校無償化の動きを横目で見て、わが家の「受験バトル」は場外乱闘を交えながら来春まで続きそうです。
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by takeshi_yamagen | 2009-12-26 22:59 | 山元家の人々

「勉強せぇよ」

 09.11.27
 わが家の息子は来年受験です。 
 先日あった三者懇談で、担任の先生から提示された受験先を聞いて、妻は少々ご機嫌斜め。盛んに「もう、あとがないよ」「勉強しなさい!」と息子をけしかけ、「○×君はA高校行くらしいで!」といささか脱線気味。「あんたも子どもの勉強みたってや!」とその「余波」は私にも及びます。まぁ、母親からなにを言われても、彼はいつもどおり飄々としていますが…。
 私の見るところ、息子は息子なりにがんばっていて、テストの成績を見ても、そこそこのところまできていると思います。ただ、3年の1学期までの成績と内申点が足をひっぱっているようなのです。
 私学か公立かで、私のこづかいの額が変わることはあっても、進学先で彼の人生が最終的に決定するわけではありません。言うべきことは言いつつも、必要以上に一喜一憂することなく、私としてはどっしり構えて息子を見守ってやりたいと思っています。なんといっても進路で一番悩んでいるのは、他ならぬ本人でしょうから…。
 …と、ええかっこ言うものの、息子の顔を見るとつい「勉強せぇよ」と条件反射してしまう今日この頃です。
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by takeshi_yamagen | 2009-11-27 16:18 | 山元家の人々

飢え、寂しさ、そして いじめ。 ー母の学童疎開ー

 09.8.17 
 8月15日付「朝日新聞」夕刊は、戦時中の学童疎開の記録を残す会の発足を伝えています。大人の始めた戦争でいつも犠牲になるのは子どもであることを、訴えていかれるとのことです。
 実は大阪市立玉造国民学校に通っていた母も、現在の泉南市樽井のお寺で集団疎開生活を経験していました。 
 毎日の食事は玉ねぎばかり。飢えとしらみの襲来、そして家族と別れた寂しさで夜は十分眠れず、昼間は昼間で地元の子どもたちによくいじめられ、辛い思いをしたと言います。 
 また、堺空襲の真っ赤な炎が夜空を焦がす度に「大阪は大丈夫だろうか」と、不安がこみ上げてきたこと、パイロットの顔がわかるほど近くを米軍機がすり抜けて行き、身の縮む思いをしたこと、さらには「広島に新型爆弾が落ちたらしい」と、先生方が不安げに新聞を広げておられたことなど、母の証言は子どもたちの間にも太平洋戦争末期の緊迫した空気が漂っていたことを窺わせるのに十分でした。
 母にとって楽しい思い出などひとつもなかった学童疎開、戦争が終わった時は、さぞかしほっとしたかと思いきや、母がまず思ったのは「灯火管制がなくなって、(盛り場がにぎやかになって)不良が増えるなぁ」ということだったとか。ちょっと意外でした。
 ところで15年ほど前、その泉南市樽井で仕事をした時、母らの学童疎開をよく覚えているH本さんというおじさんにお会いすることがありました。「確かに市内の子、よういじめたし。山元さんのお母さんらにも悪いことしちゃあたし…」と、Hさんは泉州弁でしみじみと語っておられました。
 その話を伝えると、母は「本まにえらい目におうたんやで」と言いつつも、その目は笑っていました。
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by takeshi_yamagen | 2009-08-17 23:12 | 山元家の人々