カテゴリ:出会い 一期一会( 22 )

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 1月22日付大阪民主新報の「編集長のわくわくインタビュー」は、もうすぐクランクアップされる「戦争は罪悪である(仮題)」(藤嘉行監督)の脚本を担当しておられる土屋保文さんです。 
 2時間ドラマなどを多数手がけてこられた土屋さんは対談の中で「戦争が始まったら人間が一番大事にしなければいけない親子や夫婦の絆もズタズタに切り裂かれる。そのことを伝えたかった」「命を無駄にするものはあらゆるものが悪だという考えを貫いてきました。今回の作品でもその精神を引き継いでいます」と反戦平和への思いを熱く語っておられます。
 実は土屋君(いきなり君付け)と私は箕面高校時代の同級生同士。彼は当時から映画、特に邦画に精通しており、その知識量はほとんどオタク。今私たちが40年前の学園祭や遠足の映像を見ることができるのも彼がいたからこそです(土屋君、本当に感謝しています)。ちなみに彼が高校時代撮った作品の主演を務めたのがこのワタクシ。この前会ったときに「まだフィルム残っているで」といわれ、思わず「頼むからそのまま封印しといて!」と言ってしまいました。
 なお「戦争は罪悪である」は反戦を唱えた二人の僧竹中彰元・植木徹誠(タレント植木等のお父さん)をモデルにした作品。制作協力券(1,000円 上映時に入場券になります)をお求めのかたは山元までご連絡くださいませ。

 ※2月3日(金)20:00~ テレビ東京系列(大阪ではテレビ大阪)で放送予定の「三匹のおっさん3」第三話に、同じく高校の同級生福本伸一くんが「泉賢造」役で出演します。みなさん、ぜひご覧ください。


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by takeshi_yamagen | 2017-02-02 15:33 | 出会い 一期一会

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「出るとこ出るよ」と男気出して?私たちを守ってくれました。子どもたちの個性を引き出し、勉強は楽しいものだと教えてくれました。小学校3・4年の担任、森絹子先生と出会わなければ、今の私はありません。

 上記拙文は、先日大阪民主新報(大阪版の「赤旗」です)編集部から「新年号(17年1月1・8日号)に大阪の小選挙予定区候補の『出会い』をテーマにした記事を載せるので100字以内で書いてください」と依頼されて、池田市立北豊島小学校時代の恩師森絹子先生(2012年10月没。享年90歳)について書いた一文です。
 実は先生の薫陶を今でも胸にして生きている同級生で「シルクの会」と銘打った同窓会を開いています。その第1回目のシルクの会(2004年開催)で「これから4年に1回、オリンピックイヤーに開こう」と提案したのがほかならぬワタクシ。で、今年はまさにそのオリンピックイヤー。「やれへんと『公約違反』やで」との声も出て!?、年末ギリギリになってやっと昨日石橋で開催、ドタバタだったこともあって参加者は少なかったのですが、楽しい時間を過ごすことができました。やっぱり同級生っていいですね(08/6/7 ・7/2・7/11・11/29ブログ参照)。

 追伸;連絡しきれなかった人もいます。この場を借りてお詫びいたします。ごめんなさい。
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by takeshi_yamagen | 2016-12-30 18:20 | 出会い 一期一会

 16.11.15
「夜勤やから外で食べといて」と妻に言われて入った飲食店で隣に座られていた年配の男性Aさん、聞けば大手ゼネコンの元営業部長とのこと。さっそく得意の?「異業種交流」が始まりました。
「接待でキタ新地や祇園に何度行ったことか。でも仕事の酒はおいしくない。終わってからよく一人で飲み直しましたよ」「一番しんどかったのは接待ゴルフ。相手がへたくそな時はどうヨイショするか、本当に困りました。でもその甲斐あって十億単位の仕事とった時はうれしかったなぁ」と苦笑いをうかべながらこれまでの苦労話を語られました。
 共産党に対しては「ぶれないのがいい」と評価してくださり、「女性の都議会議員、大山さんだったかな?あの人の豊洲地下空間の追及はよかった」と結構細かいところまで見てくださっています。
「問題の政務活動費は全廃すべきと私は思うが共産党の見解は?」と聞かれたので「豊洲の地下水の分析はその政務活動費でやりました。本来政務活動費は住民の命や安全守るために使うものではないでしょうか」と話すと「なるほど、それやったら誰も文句言わんな」と納得してくださいました。
 最後に「私たちは飛行機飛ばない飛行場や船の来ない港など、無駄な公共事業やめて老朽化した建築物の補修や耐震化などに力入れるべきだと思いますが、そんなんはゼネコンサイドから見ると、やっぱりおいしい仕事じゃないんですかねぇ」と水を向けると、「いや山元さん、それをしないとこの国は滅びます。銭勘定の問題ではありません」とキッパリ。
 長年日本の土木事業を見続けてこられた方の発言だけに重いものがあります。
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by takeshi_yamagen | 2016-11-15 09:15 | 出会い 一期一会

 16.9.5
「男のくせに…」と言われ続けて半世紀、いっこうに治らない私のおしゃべり好き。特に外国の人を見るとそこにいちびり精神も加わって「おクニはどちら?」とついつい聞いてしまいます。

 先週奥さんから「今日は夜勤やから夕食は外で食べといて」と言われて、近所の回転寿司店に入った時のこと、隣に若い東洋系の二人連れが座られました。聞けば中国の御夫婦とのことでした。
 私が共産党の議員だったことを話すと奥さんが「東京で日本語学校に通っていた頃、赤坂のコンビニでアルバイトしていて、裏に議員会館があった関係で国会議員さんもよく買い物に来られました。共産党の議員さんはみんな紳士的で親切でした」と話されました。「特に印象に残っている人がいますが名前を思い出せない」ということだったので、スマホを使って検索すると笠井亮衆院議員であることが判明。初めてあった、しかも母国が違う者同士が共通の人物のことで共感しあえるって、結構快感ですね。さらに「私たちは選挙権がないので山元さんに投票できませんが、街で演説しておられたら手を振りますね!」と言ってくださいました。
「時々失敗することはあるけれど(?)、『おしゃべり&いちびり』はやっぱり悪いことではないな」と改めて認識した金曜日の夜でした。
 
 追伸;社会通念上決して話してはいけないことを話さないのは言うまでもありません。
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by takeshi_yamagen | 2016-09-05 11:07 | 出会い 一期一会

 16.5.31
 8歳の時通っていた広島の小学校(爆心から1.5キロ)で被爆されたご近所の支持者のAさん。一昨日赤旗代の集金に伺った際、彼女はオバマ大統領の広島訪問について次のように語ってくださいました。 

 私、オバマさんが広島に来てくださったこと、もう嬉しくって嬉しくって…、これまで生きててよかったと本当に思ってます。謝罪がなかったっていう人もいるけど、私、そんなこともうどうでもいいの。私たちも戦争中「鬼畜米英」って「アメリカ人は人間じゃない」て散々罵っていたわけで、そんなところによく来てくださいましたって思います。資料館を見て被爆者の話も聞いてくれて、私は涙が出ました。この訪問が核兵器廃絶に絶対つながるって私は信じてます。
 山元さん、私ね、あの日死んじゃった同級生のこと思うと今でも本当に可哀想で可哀想で…、生き残った私は71年間罪の意識をもって生きてきたの。だから本当はあの日のこと喋りたくないわけ。でもやっぱり喋っとかないとだめね。だって私たちが広島の惨事を知る最後の世代だもんね。もっと小さい子だと記憶ないだろうし…。
 それからもう一つ、私言いたいの。オバマさんが広島に来たように安倍さんは絶対真珠湾と南京に行かなきゃダメ。どう思う?でも無理だろうなぁ。
 山元さん、今日は話聞いてくれてありがとうございます。そうそう、赤旗代だったわね。選挙で大変だろうから二ヶ月分払っとくわね。いくら?1,646円?キッチリあるわ。はい。選挙がんばってね。応援してるから。
 
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by takeshi_yamagen | 2016-05-31 20:43 | 出会い 一期一会

 16.1.3
 正月三が日、みなさんいかがお過ごしでしたでしょうか。とりいそぎ私の正月報告―。
元日
 実は妻は夜勤、息子は同窓会ということで大晦日の山元家は私一人だけとなってしまいましたが致し方ありません。そんな二人も早朝までには帰ってきて家族三人で父宅(豊中市庄内)と義母宅(同服部)に年始のあいさつに出かけました。
二日
 日中はテレビもほとんど見ずに一日自宅で読書三昧。妻が「今日は夜遅くなるからなんかどっかで食べといて」というので知り合いのお店に出かけました(うちのお母ちゃん、正月から本当によく働かれます。感謝)。そこで中学の同窓生のO君とばったり再会、「今度は選挙がんばりや」との嬉しい言葉をかけてくれました。
 さらに「どっかで聞いた声がするな」と店内を見るとなんと関西漫才界の大御所のAさんがカウンターに座っておられるではないですか!私が自己紹介すると「私はどこの党を支持しているいうわけではないけど、共産党のふらふらしないところは評価させてもろてます」、そして「芸人が政治家になって『2足のわらじ』履いてるのは許されへん。政治はそんな気持ちでやってもらっては困る」とおっしゃり、意気投合。秋田実さんや足立克己さん(ともに漫才作家)の興味深い思い出話も伺えて大変楽しい時間を過ごさせてもらいました。
三日
 日刊「赤旗」の早朝配達後、住吉神社に参拝、引いたおみくじは「末吉」でした。その後やっぱり自宅で読書三昧。特に1日付「赤旗」の志位さんの中野晃一上智大教授との対談は大変興味深く、思わず熟読してしまいました。
 明日から仕事、さぁみなさん今年もがんばってまいりましょう!
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by takeshi_yamagen | 2016-01-03 21:40 | 出会い 一期一会

 13.9.22
 先日石橋の居酒屋で市のさまざまな分野で尽力してくださっているAさんとたまたまお会いしました。
 自称「僕は真ん中よりちょっと右」と、自他ともに認める保守のAさん。
「山元君は共産党やから話は平行線や」とおっしゃいつつも、一献傾けながらその「平行線話」が始まりました。
 偶然他市の消防署の方も隣におられたので、市町村単位の消防を再編する消防広域化の話について伺うと「医療なら“○×病院はがん手術が得意”てな具合に個性があるからそれを再編するのもありかなと思うけど、ほぼ均質な消防を一つにするメリットがわからない。大災害の時の連携強化て言うけど、それは組織を一つにせんでもできるやろ。それに今の広域化話は市民の安全よりそろばん勘定が先にきてるようなのも気になるね」とのお答がかえってきました。
 また池田市の総合窓口の民間委託についても「会社やってる僕が言うのもなんやけど、プライバシーに関わる部署などは公でやらなあかん」とピシャリ。
 私が「平行線どころか接点ぎょうさんありましたやん」と言うと「ホンマやな」とAさん。笑い声が狭い店内に響きました。
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by takeshi_yamagen | 2013-09-22 13:57 | 出会い 一期一会

 13.3.31
 いよいよ年度末、今年も多くの皆さんとお別れです。
 総務省から出向してきた総合政策部長も4月から霞ヶ関へ戻られます。議会では口角泡を飛ばす論戦を繰りひろげた人でしたが、「あなたとのケンカ、結構おもろかったなぁ」「ヤマゲンさんともう一度石橋で飲みたかったですね」と最後はアハハってな感じであいさつを交わした次第。
 同じく今回退職されるAさんは最後にひと言「根っこのところでは山元さんと同じ考えです」。うれしいけど、その言葉は議会答弁で言ってほしかったなぁ。まぁ、立場上無理だったのはわかりますが…。
 夜は石橋の居酒屋で働くミュージシャンのCさんがラストだと言うことでちょっとお店に顔を出しました。今後は音楽活動に専念するとのこと。彼女とは読書談義や歴史話などで話が弾んだだけにやはり寂しさは禁じ得ません。必ずメジャーになって帰っておいでよぉ。 
 皆さん、ありがとうございました。いつまでもお元気で!
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by takeshi_yamagen | 2013-03-31 22:56 | 出会い 一期一会

 12.5.2
 昨春の市議選の時、商店街のAさんに「山元さん、京都におられたんですか?」と聞かれたことがあります。どうも小学校低学年の時、比叡山の麓の京都市左京区で過ごしたと選挙パンフに書いたのを読んでくださったようです。そして「私の実家も左京です」と続けられました。
 同じ土地で過ごしたということはそれだけでうれしいもの。石炭ストーブの石炭を倉庫から教室に運ぶのが辛かったこと、給食の食パンが3枚で食べきれなかったこと、お茶の出る蛇口があったこと、そして時間割が毎週変わったことなど、1960年代の京都の小学校話に花が咲きました。
 ちなみに、私が入学した市立養徳小学校を先日インターネットで検索してみたところ、同校の卒業生に俳優の小林薫さんがおられることが判明。NHK朝の連続テレビ小説カーネーションの小原糸子のお父さんは私の先輩(私より十歳上)だったわけです!? ついでに言うと民主党前原政調会長(私より一つ下)はとなりの修学院小学校の出身。お二人ともどこかで1回ぐらいはすれ違ったことがあるかも知れませんね(08/2/26・27、同4/25・28・30付ブログ参照)。  
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by takeshi_yamagen | 2012-05-02 07:50 | 出会い 一期一会

神野七五三男さんのこと

 12.4.4
 日米開戦を半年後に控えた1941年の春、私の父は京都市左京区の市立養徳小学校(当時は国民学校)3年に進級した。
 新しく父のクラスを受け持たれたのは若い男の先生だったが、その先生の学級運営に父は本当に驚かされたらしい。
 まず先生はクラス全員による級長(今でいうところの学級委員)選挙を実施されたのだ。今でこそ当たり前のことだが、教師が絶対的な存在だった当時はその指名によって級長を決めることが一般的だったので、選挙による級長選出は画期的なことだった。
 また、先生が子どもたちに絶対に暴力を振るわず、朝鮮人の生徒を含めてどの子にも分け隔てすることなく平等に接しられたのも幼かった父には実に新鮮に映ったようだ。
「体罰や民族差別は当たり前といった軍国主義教育の中で、先生のやり方は風当りが強かっただろうなぁ」と父はよく述懐している。当然、先生は子どもたちからは慕われ、下鴨神社の近くのあったご自宅に友達とともに遊びに行ったこともあったという。
 さて、戦争も終わり何年かしたある日、新聞になにげなく目を通していた父は思わず“えっ”と声をあげた。なんと先生が京都市会選挙に立候補されていたである。
 その先生こそ戦後京都の共産党市会議員(左京区選出)を長らく務められた神野七五三男(かんのしめお 2005年没 享年90歳)さん、その人でした。
 私自身は神野さんとはなんの面識もないが、3月29日付「しんぶん赤旗」(日刊紙)の党員訃報欄に夫人の神野孝子さん(享年89歳)の名前を見つけて、父のそんな昔話を思い出した次第。
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by takeshi_yamagen | 2012-04-04 00:07 | 出会い 一期一会