カテゴリ:歴 史 夜 話( 41 )

 16.12.22 
 祖母が幸村ゆかりの玉造に住んでいたにも関わらず、義父がこれまた幸村ゆかりの九度山出身にも関わらず、さらに言うならば、自身が大学で日本史を学んでいたのにも関わらず、戦国時代にやや関心が薄いこともあって、真田氏に対してもこれといった興味を持たないで生きてきました。
 てなわけで、今年の大河ドラマ「真田丸」も、「まぁ大阪人やし一応見とこか」というぐらいの一種の義務感で見始めたというのが正直なところ。ところがどっこい登場人物のキャラが思った以上に立っていたこともあって、途中で飽きてしまうことの多い「戦国ネタ大河」を最後まで見てしまいました。最終回の家康がおろおろ逃げ回るシーンを痛快に思ったとことから見ると、普段は自覚することのないアンチ徳川の大阪人DNAがそれなりに覚醒したのかもしれません。
 来年の大河の時代は再び戦国、最終的に徳川の譜代大名となった井伊家のお話とのこと。う~ん、最後まで見続けられるでしょうか。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2016-12-22 09:48 | 歴 史 夜 話

 16.9.23c0133503_1131448.jpg
 あす24日(土)午後1時から池田茶臼山古墳の発掘調査の現地説明会が開催されます。
 関西大学と市教委が行った今回の調査で全長が57mであることが判明。今まで62mの前方後円墳と見られていたので少し小さかったことになります。また前方部が開かない「柄鏡型」であったこともわかり、長尾山古墳(宝塚市)、大石塚・小石塚古墳(豊中市)など周辺の他の前期(4世紀)古墳との詳細な比較が可能となりました。明日の説明会では墳丘に置かれた葺石(ふきいし)や埴輪片が公開されるとのことです。
 この茶臼山古墳は1958年の最初の調査後、市民の運動で五月丘団地内に公園として残されたのですが、近年土砂の流出が続き、私も市議会等で繰り返しその保存整備を要求してきました(14/10/21他ブログ参照。写真は後円部墳頂。本来盛土内にある竪穴式石室の天井石が露出しています)。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2016-09-23 11:31 | 歴 史 夜 話

 15.7.31c0133503_11514039.jpg
 先日久しぶりに発掘された遺跡を見学する現地説明会に参加しました。行先は阪急高槻市駅の東側に広がる安満(あま)遺跡。実はこの遺跡、戦前から弥生時代初期から続く環濠集落として有名だったのですが、今回広範囲な調査で弥生時代前期(紀元前3世紀頃)の水田(写真上)や溝、墓地(~中期)が確認されたことで、コメ作りが始まった頃のムラを具体的にイメージできるようになりました。ちょっとした感動でしたね。
 続いて昨日、私の前の職場(大阪府文化財センター)が掘っている枚方市禁野本町1号窯を見学しに行きました(写真下)。説明してくれた元同僚のO君によると奈良時代(8世紀)の瓦窯だとのこと。後世に破壊されて焼成部(瓦を実際に置いて焼くところ)が幅1m、長さ1.5mの範囲で残っていただけだったですが、二人で「煙出しがc0133503_11524319.jpgc0133503_11534949.jpgあるからここが奥壁やで」「窯にしては底が柔らかい(普通窯の底部は高熱で焼かれカチンカチンなのです)」「いや、それは焼成回数が少なかったからちゃうか」なんて言いながら理解を深めていきました。わずかな時間でしたが楽しかったです。O君ありがとう。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2015-07-31 08:14 | 歴 史 夜 話

 14.6.19c0133503_13462485.jpgc0133503_13471126.jpg
 先日前の職場の同僚のO君から「飛鳥で窯掘ってまっせ。見に行きませんか」との電話がありました。聞けば飛鳥南部にある蘇我氏や渡来人系氏族と関係が深い檜隈(ひのくま)寺で瓦窯が発見されたとのこと。なんとか時間をつくって久々に飛鳥まで足を運びました。
 現地は寺の隣接地の舗装道路わき、調査を担当されている奈良文化財研究所のNさんによると今回立会調査(開発前に埋蔵文化財の有無を確認する調査)で初めて窯の存在が知られたとのことでした。
 窯は所謂ロストル式、時期は焼成時の瓦が出土していないので決めてに欠くが奈良時代の後半(8世紀後半)の可能性が高いとのこと。7世紀前半と推定されるの檜隈寺創建時のものではないようです。しかしこれで同寺が100年以上存続していた可能性が高いことが判明したわけで、それはそれで意味があります。
 久々にオカマ(窯の研究者)の血が騒いだ一日でした。

 本日午後5時より集団的自衛権容認に反対する緊急宣伝行動が行なわれます(9条の会池田主催)。ぜひともご参加ください。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2014-06-19 04:44 | 歴 史 夜 話

 14.1.13c0133503_15461413.jpg
 12日午後は池田年金者組合の新年会でごあいさつをした後、池田歴史郷土史学会の1月例会に伺いました。今回は奈良大学教授坂井秀弥さんの講演、題して「纏向遺跡と大和政権の成立」。
 近年のヤマト政権発祥の地にある奈良県桜井市纏向遺跡の40年以上にわたる発掘調査の成果を近年の考古学上の知見を交えながらわかりやすく話していただき、特にかつて4世紀初め頃と考えられていた古墳の発生が最近半世紀ほど遡り3世紀の邪馬台国、卑弥呼の時代に限りなく近づいてきていること、したがって纏向遺跡内にある最古の前方後円墳箸墓古墳が卑弥呼の墓であると考える研究者も増えていることとのくだりは実に刺激的でした。
 ところでその池田市郷土史学会、私は会員ではなくその催しには今回を含めて二三回しか参加したことがないのですが、14日(つまり明日)なんと百周年を迎えられるとのこと。継続は力と言いますが、1世紀にわたってこつこつと研究を重ねてこられた先人関係者の皆さんのご努力には本当に頭が下がる思いです。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2014-01-13 22:57 | 歴 史 夜 話

都市と僧侶集団と門前町

 13.1.7
 かつてマックスウェーバーはその著『都市の類型学』の中で都市の要件として都市ゲマインデ(自治組織)と農村からの自立(商工業の存在)をあげていました。その定義にしたがえば日本のおける都市の成立は中世末のいわゆる自治都市まで待たねばならず、平城京など古代の都城は都市でないことになります。自治組織なんてなかったし、平城京の役人は農繁期には田畑を耕していたのですから…。
 そこで「マックスウェーバーの定義は厳しすぎる、農村の余剰生産物が集積された古代の王権の所在地も都市として見るべきではないか」と説いたのは古代史家の鬼頭清明さんだったと記憶しています。
 自治組織と言うと中世史家の黒田俊雄さんがその著『寺社勢力』(岩波新書)の中で中世に荘園領主となったような大寺院の内部には結構平等な自治組織があったという趣旨のことを書かれています。僧侶集団が生産の場と直接対峙しない閉鎖的な集団であったこと、支配者層内部の存在であることなどを考えるならば、その点を過大に評価することはできないでしょう。しかし、そのような僧侶集団と日常的に接する例えば門前町などに、堺などの自治都市に先駆けて自立的な組織が成長し、ウェーバの厳しい定義にも合格する都市が成立していた可能性はなかったか。
 2日に室生寺を訪ねた際、その門前にこじんまりと連なる数軒の宿屋を見て、ふとそんなことを思った次第。そもそも中世に今言うところの門前町が成立していたかという問題も含めて、一度中世史の先生にお話を聞いてみたいものです。まぁ、一笑に付されるのが落ちでしょうけど、意外に学史の盲点だったりして!?

※甚だ心もとない記憶に基づいて書いたので、細部の思い違いはご勘弁のほどを…。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2013-01-07 00:01 | 歴 史 夜 話

 12.12.30
 そんなハンディキャップを背負いながらも、そしてどっかの知事に汚いと言われながらも、雨でぬかるむ都大路、物乞いと思しき者の群れ等々…、時代の空気を忠実に再現しようとした制作者の骨太な姿勢に私は強い共感を覚えました。 
 そもそも当時のリアリティを追求すれば暗く汚くなるのは当たり前。少なくとも今までの大河ドラマで時々見かける蛍光灯がつく?明るく清潔感あふれる部屋で展開される現代風のホームドラマのような話よりはよっぽどましです。
 「平清盛」は国民の歴史意識や大河ドラマのあり方に一石を投じたことは間違いありません。その点に置いて制作者の皆さんは大いに自負されていいかと思います。
 再び清盛を主人公とした大河ドラマが放映される時、平氏が時代にどのように受け入れられているか、私の関心はすでにその点に移っています。まぁ、何年後になるかわかりませんが…。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2012-12-30 20:50 | 歴 史 夜 話

 12.12.30
 「平清盛」が大河ドラマの最低視聴率を更新したとのこと。
 保元・平治の乱をはじめとした戦闘あり、出生の秘密あり、権謀術策あり、密告あり、サクセスストーリーあり、そして歴代法王などキャラの立った登場人物ありと見どころ満載で私は結構楽しんだのですが、世間的にはそうならなかったようです。 
 私は今回の「平清盛」には最初から二つのハンディキャップがあったと考えます。
 まず平安末期(11世紀末~12世紀末)という時代が源氏政権をおぜん立てする時代と認識される傾向がまだまだ強く、院政、平氏政権期が独自の時代として見られていないこと。平氏を源氏のヒール役としか見ない「平家物語史観」がまだ幅を効かせていたということです。
 二つ目はそもそもこの時代の国民的認知度が低いこと。「信長、光秀、秀吉、家康の関係を知っていても白河院、清盛、頼朝の関係は知らない」「本能寺の変は知っていても鹿ヶ谷の密議は知らない」という人がほとんどではなかったでしょうか。国民の予備知識の上で戦国時代や幕末と差があったことが「わかりにくい」の声につながった一因、それを制作者の責任だけに帰するのはちょっと酷な話ではないでしょうか。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2012-12-30 20:49 | 歴 史 夜 話

 12.12.27c0133503_15532963.jpg
 選挙の終わった直後、豊中市宮山町の須恵器窯(下地蔵岡窯)の調査現場を見学させていただきました。
 全長8mほどの窯がほぼ完存していたこともさることながら、私が最も驚いたのは窯の中央部の床面に製品が所狭しと並んでいたこと。どうやら完成間際に中央部の天井が抜け落ちそのまま窯が放棄されたため、製品が1500年後の現代まで取り残されてしまったようなのです。
 先日は群馬県で6世紀の榛名山の噴火に伴う火砕流で不幸にも亡くなった甲冑をつけたままの人骨が初めて見つかり、話題になったばかり。今回は焼成途中に事故があったおかげで須恵器生産の詳細 ―例えば単一の器種ではなく坏、高坏、甕など複数の器種が同時に焼成されていることから、当時の生産がレディメードではなくオーダーメイドの可能性が高いことなど―が推測できそうです。
 過去の不幸は現代の宝、そしてその宝のおかげで未来への展望を示しえる―、考古学はなんとも因果な学問です(写真は窯跡遠景)。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2012-12-27 15:54 | 歴 史 夜 話

 12.9.1
c0133503_11123618.jpg 今回の総務委員会の視察は浅草に宿をとりました。ちょっと調べてみるとホテルが隅田川にかかる言問(こととい)橋のすぐ近くであることが判明、さっそく早起きして28日早朝に訪ねました。
 1945年3月9日夜、米軍のB29が東京を大規模空襲、一晩で10万人の死者が出ました。世にいう東京大空襲です。
 その際米軍は東京下町地域の東西両辺部をまず襲い郊外に逃げる術を失った市民は下町の中心を流れる隅田川周辺に逃げざるを得ず、言問橋にはその東西両側から逃げてきた人が殺到、橋上は大混乱を極め、たまらず川に飛び込んだ人も多かったようです。
 片側2車線の思ったよりもずっと広く交通量も多いと感じたこの言問橋、67年前の早春の夜まさしくこの地が市民で埋まりその上を紅蓮の炎が舐めるように襲った…、そして翌10日の朝、橋の上と隅田川の川面は無数の焼死体で埋まったとのことです。
 橋自体は戦後付け替えられたとのことですが、親柱は当時のまま。その黄色い表面にあの日の熱で黒く変色した部分がはっきり残っています(写真)。
 橋のたもとにある慰霊碑には私がいた短い間にも二三人の方が足を止め、手を合わせて去っていかれました(08/3/19ブログ参照)。
[PR]
by takeshi_yamagen | 2012-09-01 23:45 | 歴 史 夜 話