12.12.31
 当ブログにはかつて石橋にお住まいだった、あるいは石橋で青春の日々を過ごされた方から「石橋の街の情報、なつかしく読ませてもらっています」との声が寄せられることがちょくちょくあります。そんな全国に散らばるウン万人のイシバシストの皆様に、年の瀬にあたって悲しい御報告をしなければなりません。
 まず5月に54年にわたり憩いの場を提供してくださった「石橋温泉」が閉店、跡地にはマンションが建築中です。
 そして11月には東京オリンピックの年(1964年)創業の石橋で最も古い居酒屋「西本」さんが御主人の逝去を機に店を閉じられました。あのちょっと濃い目の味付けの土手焼きを賞味できなくなると思うと残念でなりません。
 半世紀にわたって石橋の賑わいに貢献してくださった両店の皆様には感謝の念に堪えません。ありがとうございました。
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by takeshi_yamagen | 2012-12-31 12:36 | わが青春の石橋

 12.8.26
 石橋駅の南西に丁田池というほぼ正方形のそこそこ大きな池があった。
 周辺の民家から生活排水が流れ込んでおり、お世辞にも美しいとはいえない濁った池であったが、それでも子どもたちは池の西側から民家の間を抜けて水辺におり、スジエビ獲りなどに興じていた。しかし、子どもたち(主に男子)にとって丁田池と言えばなんといってもイカダ遊びのメッカ。周辺の溝添池(現市民文化会館)や前池(カルビス池、現石橋南小学校)と違い、岸が遠浅で沖に出ても大丈夫だろうという安心感を醸し出していたためか、子どもたちはどこからともなく戸板やトタン板などを持ち出してきてイカダをつくり、どれだけ沖に出たかを自慢しあって自らの冒険心を満たしていたのである。私も何度か繰り出そうとしたが、2mくらいでたちまち転覆してしまったように記憶している。
 今から思うと危険極まりないこのイカダ遊び、「よい子はまねをしないでね」と言いたいところだが、その丁田池自体が埋め立てられ石橋駅前公園とその姿を変えてしまい、イカダ遊びをしようにもできなくなってしまった。
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by takeshi_yamagen | 2012-08-26 08:07 | わが青春の石橋

 11.10.31
 29日午前、石橋南小学校創立40周年式典にお邪魔した。
 頂いた記念冊子には同校ができるまで存在した前池(カルピス池)のなつかしい写真が数枚掲載されており、当時の記憶が呼び覚まされてきた。
 カルピス池の周りはその東側こそ阪急宝塚線に沿って走る広い舗装道路があったが、南側とわが家が接していた西側は里道を簡単に舗装しただけの普通車がやっと通れる程度の細い道になっており、北西部(今の小学校西門あたり)に到っては池の堤の斜面に設けられたアップダウンの激しい小道しかなかったように記憶している。そして40年前、そのカルピス池はあれよあれよという間に学校へと大きく姿を変え、周辺の小道も広い舗装路となっていった。その工事の早さには驚いたが、私は鼻をつく強烈な化学臭が工事現場から発生し、大人たちの間でも話題になっていたことをなぜか今でも覚えている。
 ところで、灌漑用のカルピス池はなくなったが、それでもしばらくの間は学校のまわりに田んぼがいくつか残っていた。しかし、それらもいつの間にか住宅地となり、子どもたちの友だちだったカエルやカメやヘビたちも完全に姿を消してしまった(やっぱり爬虫類・両生類ネタかよ。10/13付ブログ参照)。
 同校合唱部の子どもたちの澄んだ歌声に耳を傾けながら、40年前のなつかしい思い出にしばし浸ってしまった次第。
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by takeshi_yamagen | 2011-10-31 00:07 | わが青春の石橋

 11.7.20
 先日の広島市のHさんに続いて、今度は島根県松江市在住のポレールさんから以下のメールをいただきました。 

 はじめまして。
 突然のメール、失礼致します。島根県松江市に住む50歳(1961年2月生まれ)の会社員です。池田市で生まれて21歳までを過ごし、東京を経て13年前に島根県松江市にIターンしてきました。
 先日久し振りに池田市のホームページで住吉神社等を見ていた際に「宮の前池」の事が気になり始め、いろいろなサイトを巡っている内に「わが青春の石橋」に辿り着きました。泳ぎが苦手という事もあって、いつの頃からか池に近付く事が出来なくなってしまいました(現在も堤を歩くなんてとんでもない!という状態です)が、「わが青春の石橋」で幼い頃に駆け回った池や田畑、そして石橋の街に思いを馳せている今日この頃です。
 今日は私の記憶に残っている池を幾つか紹介したいと思います。
 1)前池:我々(私の近所だけ?)は住吉神社の前に在った池を「前池」と呼んでいました。子供の目には非常に大きな池で、近所のガキ大将とモロコを捕ったりして遊んだものです。
 2)新池:1)の前池の南(南東?)に道路を挟んで在った(と記憶しています)池です。魚捕りの記憶はありませんが、「マラソン」と称して前述のガキ大将と一緒に前池とセットで堤を八の字に走り回ったりしていました。
 3)カルピス池:ブログにも書かれている通り、カルピスの看板が印象的でしたね。家族と梅田に出掛ける際に阪急宝塚線の車窓からよく見ていました。
 4)名前不詳:石橋駅の南、国道171号線の高架脇にあった池で、今は確か公園になっていますよね。
 5)その他:私の実家は伊丹空港に近かった(豊島南1丁目)のですが、今は空港の敷地に飲み込まれた田畑の中に小さな池が幾つか(三つだったかと…)在ったと記憶しています。
 以上ですが、如何だったでしょうか。今は実家も引き払ってしまった為、池田市に行く事も殆どありませんが、今後も「わが青春の石橋」を拝見させて頂こうと思います。又、今日は池の話題に終始しましたが、機会があれば商店街や学校等についての思い出等も送らせて頂きたいと思います。
 本日はお忙しい中、稚拙な文章に最後までお付き合い頂きありがとうございました(掲載については本人の了解済。一部修正)。

 いや、初めて伺う話も多く参考になりました。Hさん、ポアールさんをはじめ、このように1960~70年代に石橋・豊島地域で少年時代、青春時代を過ごした方の当時の話を聞く機会が最近多くなりました。そして私のブログがそのきっかけとなっているとはうれしい限りです。ところで、そのキーワードはHさんがカルピス池、ポアールさんが宮の前池であったとのこと。当時の子どもたちにとって池田はやっぱり池の街だったのですね。改めて実感しています。
 ポアールさん、今後とも御愛読のほどよろしくお願いします。
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by takeshi_yamagen | 2011-07-20 06:55 | わが青春の石橋

 10.5.1
 現在、放送中のNHK朝の連続テレビ小説は、「げげげの女房」。漫画家水木しげるさんの妻ふみえさんが主人公です。ドラマの中で貸本屋のシーンがよく出てきますが、石橋駅前にも貸本屋があったことを御存知でしょうか。
 場所は石橋駅西口を降りてすぐのサンロードの右側。お世辞にも広いとは言えない暗い店内は漫画を中心とした本で天井までぎっしり。普通の本屋はもちろんのこと、古本屋とも少し違う独特の空気が漂っていました。実は小学校時代の一時期、私も「少年マガジン」など、週刊の漫画本をよく借りて、結構重宝させてもらっていました(店に並ぶのは1、2週間遅れるのですが、新刊で買うよりはるかに安かったのです)。本を開いた時、幾人もの客―その大半は子どもたちです―の手を経ているからでしょうか、紙にしみがついていたり、ページの端が少し反っていたりしていたのが懐かしく思い出されます。
 その貸本屋も1975年頃に店を閉じられ、「あぁ、貸本屋のおばちゃんも、どっか行きはったんやな」と子供心にも寂しく思いながら、店のあった場所の前を通ると、なんとあのおばちゃんが、まだいてはるではないですか。
 貸本屋のおばちゃんはおにぎり屋のおばちゃんになっていたのです。
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by takeshi_yamagen | 2010-05-01 00:37 | わが青春の石橋

 09.12.30    
 天神小橋から少し下った箕面川の左岸(住吉1丁目側)、現在スーパーのシェフカワカミがあるあたりは、私が小学生の頃までは、さすがの悪ガキ連中でさえ容易に近づけない、鬱蒼と樹木が生い茂る森になっていた。 
 さて、その森の中に木造の古めかしい建物が1棟建っていた。この建物、2階建てなのだが、建坪が小さいこともあって、やけにひょろっとしており、1階部分には柱が見えるだけで、一体どこが2階への入口なのかよくわからなかった。また、隣に榎らしい大木があったこともあって、一見したところツリーハウスのようにも見えた。
 家というより小屋といったほうがいい、この不安定で奇妙な建物は、対岸の通学路からよく見えたこともあって、子どもたちには大変気になる存在であった。人が住んでいる気配もなかったので、口の悪い級友は「絶対お化け屋敷やで」とあちこちで吹聴していた。
 ある日、この建物の正体を確かめるべく、私は悪ガキ仲間数人と探検を敢行、ブッシュをかき分け、やっとの思いで現地に到着した。しかし、お化けが現れるわけでもなく、建物の2階部分によじ登ることもできず、ちょっと欲求不満のまま「帰ろうか…」と思っていたところへ、建物の所有者らしき女性が突然現れた。「怒られるのかなぁ」と少し身構えていたところ、女性は、その建物が台風(第2室戸台風?)で家が壊された時に残った部分であり、今は倉庫として利用していると、その由来を丁寧に話してくださった。
 ことの意外な展開に驚きつつも、お化け屋敷の謎を解く当初の目的を達した満足感に浸りながら、私たちは現地をあとにした。
 
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by takeshi_yamagen | 2009-12-30 04:28 | わが青春の石橋

 09.10.31    
「なんや、この学校は?」
 わが母校北豊島小学校を初めて訪れた人が、その校庭を眺めて驚かれることがよくあった。校庭のほぼ中心に大きな榎の木があったからだ。子ども達にとっては見慣れた風景だったが、確かに知らない人から見れば奇異に映ったかもしれない。
 この榎、運動会で直線コースを取る時などは邪魔になることもあったようなのだが、夏の体育の授業の時などは、ちょっと疲れを癒すのにちょうどよい木陰をつくってくれていたことが、今でも思い出される(さすがに登っていこうとする子はいなかったが…)。
 このように、子ども達に愛された、北小のシンボルとも言える榎だったが、10年ほど前ついに切り倒されてしまった。聞けば腐朽が進んで危険な状態になっていたとのこと。
 学校時代の風景がまた一つ消えてしまったのは、やはり寂しい。
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by takeshi_yamagen | 2009-10-31 02:32 | わが青春の石橋

 09.10.4
c0133503_1156187.jpg 井口堂の阪急バス車庫をまっすぐ北に上がるとこんもりとした森が見えてきます。古墳時代後期(6世紀前半)の二子塚古墳です。墳頂部にお稲荷さんがあるので地元では稲荷山と呼ばれることの方が多いようです。
 文化財としてだけではなく、地域の貴重な緑地として、信仰の対象として守られてきたこの古墳、少し狭かったものの、坂あり、樹木あり、石組みの部屋(当時は石室とは知りませんでした)あり、と隠れる場所に事欠かなかったので、子どもたちの「探偵ごっこ」の恰好の舞台にもなっていました。その後、歴史とりわけ古代史に興味を持ちだした私は、家からもっとも近い横穴式石室を有するこの古墳に、今度は研究目的でしばしば訪れるようになりました。
 西摂地方最後の前方後円墳として、学術的にも貴重な二子塚古墳、一時売却、破壊の話を聞いたりして心配したこともありましたが、9月議会での私の質問に対し、市長から「池田市が譲り受け、市制70周年の一環として整備する」との嬉しい答弁がありました。
 どのような整備が最良なのか、専門家の皆さん、そして市民の皆さんの意見をよく聞いて進めていかねばなりません。拙速は禁物です。

 明日(5日)午後7時より、石橋会館(石橋南小北側)にて私の市政報告会を開催いたします。ぜひお越しください。 
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by takeshi_yamagen | 2009-10-04 13:51 | わが青春の石橋

 09.4.27
 そのカルピス池。埋め立てられて小学校ができるらしい。
 学校が近くなっていい、と思う反面、北豊島小学校の友だちともうすぐお別れかぁ、との思いも拭いがたく、結構複雑な心境だったことを覚えている。
 ところが、新しくできる石橋南小学校は新4年生までを受け入れて開校するとのことで、結局新5年生となる私たちは引き続き20分かけて北豊島小学校に通うことになった(つまり、私たちが石橋に住む北豊島小学校の最後の卒業生となったわけである)。
 そんなこんなで、私は石橋南小学校の校舎で学んだ経験はないのだが、その校庭は毎日のように草野球で使わせてもらっていた。
 ある日、ジャストミートした私の打球は、田淵幸一を彷彿とさせる大きな放物線を描きながらそのまま外野の後のプールに吸い込まれ、プールサイドで大きく跳ねた。おそらく生涯で唯一となるであろう柵越え本塁打、私は小躍りしながらダイヤモンドを回った。センターを守っていた友人のK田君の所在なげな姿を、今でもはっきり覚えている。 
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by takeshi_yamagen | 2009-04-27 12:21 | わが青春の石橋

 09.4.19  c0133503_13301262.jpg               
 現在の石橋南小学校の一画は、1972年に学校が開校するまでは南北に長い結構大きな池だった。正式名称は「前池」と言ったらしいのだが、かつてカルピスの大きな看板が堤の上に立てられていたことから、皆「カルピス池」と呼んでいて、正式名称で呼ぶ人は、私の知る限り誰もいなかった。
 さて、このカルピス池。まわりの堤は傾斜が急だったので水辺に降りることができず、子どもたちにとって身近なわりにはおもしろくない池だった。しかし、潜って次にどこから顔を出すか、なんて考えながらカイツブリらしい水鳥を観察していたことを覚えているから、子どもたちはそれなりに自分たちの遊びにこの池を取り入れていたのであろう。 
 また、今は全く涸れてしまったが、池のすぐ北側の溝は私が小学生の頃までは結構水量があり、そこに設けられていた小さな堰の淀みにはミジンコが無数に発生していた。私は専ら飼っていたカメのえさ用にすくって持って帰ったが、石橋商店街のペットショップに持ち込んで小遣い稼ぎをしていた子もいたようだ。御近所のMさんに伺うと、もっと以前はホタルが乱舞することもあったとのこと。
 ところで、ひとつ疑問に思うのはこの池の正式名称である「前池」の由来。一体何の「前」だったのだろうか。御存知の方おられたら御教示ください。

 
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by takeshi_yamagen | 2009-04-19 22:09 | わが青春の石橋