カテゴリ:墓碑銘 ー送ることばー( 39 )

 17.6.11
 少し前に亡くなっていた方も含め6月に入って訃報が多く届いています。
 ごくご近所にお住まいのTさん、石橋の不動産屋さんのAさん、文房具店のSさん、そして元大阪府会議員の松室猛さんです。
 私が小さい頃から個人的にお世話になった、あるいは石橋の発展のために尽力してくださった方々ばかり。ご冥福をお祈りいたします。

 教育大池田小事件から8日で16年―。
 校門脇の碑の左右に設けられた献花台の前で静かに手を合わせてきました。亡くなった子どもたちの一人は息子と同じ年齢です。生きていたら青春を謳歌していただろうと思うと、流れるものを押さえることができませんでした。安全な学校つくりに今後も努力していきたいと思います。
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by takeshi_yamagen | 2017-06-11 20:28 | 墓碑銘 ー送ることばー

 16.10.21
 御近所にお住まいの広島の被爆者Kさんが亡くなられました。
 Kさんはその時8歳、爆心から1.5キロの小学校で被爆されました。木造校舎が崩壊する中で奇跡的に助かり「あの日『おかぁさぁん…』てつぶやきながら死んじゃった同級生のこと思うと今でも本当に可哀想で、可哀想で…、生き残った私は71年間罪の意識をもって生きてきたの。だからあの日のことは喋りたくないわけ」と言いながらも、小学校にいて助かった児童は自身を含めて二人だけだったこと、兄が学校に助けにきてくれたこと、広島西方の廿日市に避難したことなど、あの日のことを赤旗の集金時に断片的に教えてくださいました。
 オバマ広島訪問には「私、もう嬉しくって嬉しくって…、これまで生きててよかったと本当に思ってます。謝罪がなかったとか、政治的な思惑があるのだろうとか、いろいろいう人がいるけど、私、そんなこともうどうでもいいの。私たちも戦争中『鬼畜米英』って『アメリカ人は人間じゃない』て散々罵っていたわけで、そんなところによく来てくださいましたって思います。資料館を見て被爆者の話も聞いてくれて、私は涙が出ました。この訪問が核兵器廃絶に絶対つながるって私は信じてます」と話され、「やっぱりあの日のことは喋っとかないとだめって最近思ってきています。だって私たちがあの日の広島の惨事を知る最後の世代、もっと小さい子だと記憶ないだろうしね…」と続けられた直後の訃報、残念ながらKさんの決意が実現することはありませんでした。
 あのむごたらしい戦争はもう絶対にしてはいけない-、血を吐くような反戦の思いから長年わが党を支持してくださったKさん。党員ではありませんでしたが、近所の赤旗の配達・集金を手伝ってくださり、時には「○○さん、とってくれましたよ」と読者拡大にも協力してくださいました。10年余のおつきあいでしたが、本当にありがとうございました。Kさん、やすらかにお眠りください。
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by takeshi_yamagen | 2016-10-21 13:05 | 墓碑銘 ー送ることばー

 15.12.30
 少し前になりますが今月8日、阪急電車の共産党で長年にわたって乗客の安全と労働者の権利と生活を守ってがんばってこられたHさんのご主人のお通夜に寄せていただきました。
 ご長男さんは「きまじめで読書家。職場の仲間から相談の電話が来れば飛んで行く―、そんなやさしい父でした」、さらに「おそらくこれからも『こんな時父ならどうするだろう』って考えて生きていくんだろうなと思います」としんみり語られました。
「人間は二度死ぬと言います。肉体が息絶えた時、そして生きている人間の誰からも忘れられた時、それが本当の死ぬ時です。少しでも長く『こんなええ男がいたんです』と語り継いで敬愛するお父さんを生きながらえさせてあげてください。これが残された者の生きる糧にもなっていくんです」
 柄にもなくまるで瀬戸内寂聴さんみたいな「講釈」が口をついて出てきました。私も知らず知らずのうちに仏に近づいていっているのでしょうか。
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by takeshi_yamagen | 2015-12-30 09:07 | 墓碑銘 ー送ることばー

 15.10.1
 ご近所のSさんの娘さんが亡くなり今日お葬式に参列させていただきました(享年33歳)。
 娘さんは知的にも身体的にも重度の障害がおありで、Sさんは25年前にご主人を亡くされた後女手一つで彼女と一つ上の息子さんを育てあげてこられました。時々お邪魔した時、Sさんの後でちょこんと座って微笑んでおられた彼女の姿が思い起こされます。
 喪主として挨拶に立たれたお兄さんは「妹と城崎など温泉に行った時の楽しい思い出が…」と話された後絶句し、その場で立ったまま号泣されました。また出棺の際、泣き崩れながら花に包まれた娘さんの額を何度もさするSさんとそれをやさしく見守るお兄さんの姿が会場の新たな涙を誘っていました。
 聞けばお兄さんは就職して家を出た後も妹さんの世話するため頻繁に実家に帰ってきておられ、彼女もそれがよくわかっていてドアが開くと手を叩いて喜んでおられたとのこと。
 悲しいけれども、Sさん親子、兄妹の深い愛情が痛いほど伝わってくる、心洗われるようなお式でした。合掌。
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by takeshi_yamagen | 2015-10-01 21:51 | 墓碑銘 ー送ることばー

 15.6.4
 前回先月に義父が亡くなったと書きましたが、その後28日には俳優の今井雅之さん( 今井さんは私と同い年です)、漫才の今いくよさんと著名人が相次いで亡くなりました。中でも私にとってショックだったのは翌29日に亡くなった暁照夫さんの訃報。
 オープニングで「毎どぉ~、みなさまお馴染みぃ、お聞きくださる一節は、流れも清き宮川の…」と唸る宮川左近さん、卓越した三味線のバチさばきの後「なんで私こんなうまいんやろ」で落とす暁照夫さん、二人にちゃちゃを入れていつもはね返されるゴリラ顔の松島一夫さん…、宮川左近ショウのテンポのいい舞台、いやぁ、おもしろかったなぁ。寄席番組が多かった70年代の土曜の午後、お昼ご飯にすがき屋のおうどんすすりながらテレビの前で笑い転げていたことが思い出されます。
 これで宮川左近ショウの三人とも亡くなられました。今頃向こうで再結成されているかも知れませんね。いつの日か向こうに行った時の楽しみに置いておきましょう。合掌。
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by takeshi_yamagen | 2015-06-04 08:28 | 墓碑銘 ー送ることばー

 15.2.23
 16日日本共産党名誉府委員の玉川政次郎さんが、一ヶ月の入院生活の後お亡くなりになられました。享年86歳。
 長年の共産党支持者の父が池田に転居してきた時、赤旗購読などを通じて懇意になって以来、ご自宅(住吉2丁目)が近く、私と弟が玉川さんの娘さん、息子さんとそれぞれ同級生だったこともあって45年間親しくさせていただきました。
 小学校3年くらいの一時期、私は玉川さんのおうちにあった子どもむけの物語―中国を舞台にしたものだったと記憶しています―を夢中になって読んだ記憶があります。思えばそれが書籍を通じた玉川さんとのおつきあいのはじまりでした。
 中学の頃、郷土史に興味をもち始めた私に「これ、あげるよ」と『大阪の史跡を訪ねて』(ナンバー出版)を、奥さんを通じてプレゼントしてくださいました。このガイドブック、丁寧な地図がついていたこともあって、それこそぼろぼろになるまで使わせていただきました。
 さらに高校の頃、日本共産党やマルクスに興味を持ちだしたものの、平易に学べる文献がなくちょっと戸惑っていた時に、「これ読んだらいいよ」とこれまた奥さんを通じていただいたのが上田耕一郎さんの『現代日本と社会主義への道』(新日本出版)。この本を読んで当時抱いていた私の疑問の多くは氷解しました。
 またすでに入手困難で古書店に売れば数万円は下らない『箕面市史』を「もう読まないから…」と全巻揃いで頂いたこともあります。
 多忙な日本共産党の専従活動家であったためお会いすることはほとんどありませんでしたが、人生の節目々々の玉川さんの「本のプレゼント」で、私は随分成長させて頂きました。
 玉川さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。
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by takeshi_yamagen | 2015-02-23 09:02 | 墓碑銘 ー送ることばー

 15.2.14
 先生は、自身の経験の絶対化から生じる偏狭さ、高慢さといった性向とは全く対極にある方でした。
 先生から断片的に聞いた話から総合的に考えるに、それはできるだけ他人の話を聞き、各人の長所は積極的に受け入れ、短所を「反面教師」にされる、先生の柔軟な思考の結果とみて間違いないと思います。その姿勢は、私たち子や孫の世代の人間に対してもなんら変わるところはありませんでした。
 ところで、ある時先生と戦後民主主義について話を交わす機会がありました。先生は「戦後の民主主義はまだボスの民主主義だ」と話され、左翼陣営も含めて現在の日本社会が個々人が自由に考え、もの言う段階に到っていないことを鋭く見抜いておられました。同時に「社会は一気に変わらない。そんな段階を経てこそ次の段階に移れるんだ」と歴史学者らしい客観的かつ楽観的な視点も併せ持っておられました。
 そんなこんな、なつかしく思い出しています。
 水野先生、ありがとうございました。安らかにお眠りください。
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by takeshi_yamagen | 2015-02-14 09:48 | 墓碑銘 ー送ることばー

 15.2.14
 実は先生は大阪市立東中学校で亡母と同級で、同じクラスになったこともあり母は水野青年のことをよく覚えていました。
 ある日先生にそのことを話すと「中学時代はよく覚えていないんだ。奈良・平安時代はよく覚えてるんだけど…」といかにも先生らしいユーモアを交えた答が返ってきました。その後、再びそのことが話題に上った時、先生は「実は疎開先の奈良県T町の中学校では成績トップだったのに、東中学に転校して半分以下に落ちてしまったんだ」とおっしゃいました。どうやらその学力格差ショックがトラウマになって、先生は自身の中学時代にあまりよい印象をもっておられなかったようです。
 そんなことは全く知らずに逝った母のこと、今頃「やぁ、水野君お久しぶり。まだ瓦集めてるの?」なんて呑気に先生に話しかけているんではないでしょうか。
 先生には生前関西の歴史学、とりわけ考古学界の「内輪の話やで」みたいな話、たくさん教えて頂きました。この程度の「ここだけの話」、ここに書いても許していただけますね!!
 
追伸;作家の筒井康隆さんも水野先生、母と東中学校の同期です。
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by takeshi_yamagen | 2015-02-14 09:45 | 墓碑銘 ー送ることばー

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 昨日、半世紀にわたりダイハツ工業で労働者の生活と権利を守ってがんばってこられ、昨年12月にがんで亡くなられた浜屋さんをしのぶ会が池田市内で開かれました。
 「労災がおりない」「クビがきられそうだ」そんな労働者の声が届くとすぐさまかけつけ話を聞き、労働者を励まし続けた浜屋さん。
 選挙になるとそれこそ寝食を忘れて共産党候補の当選のために奮闘した浜屋さん。
 亡くなる直前、もう十分しゃべれない体になっても後援会の行事に参加し、「赤旗を読んでくださいませんか」と池田市内の友人宅をたずねてまわった浜屋さん。
「お仏壇の浜屋です」と周囲を笑わせていた浜屋さん。
 そして「共産党が大衆に支持を訴えるにとどまっていてはだめ。大衆が守ってくれる共産党をつくらなければいけない」と熱く語っていた浜屋さん。
 参加者から浜屋さんのエピソードが語られるたびに会場からすすり泣きの声が聞こえてきました。
 浜屋さんの遺志を受け継ぎがんばろう―、参加者誰もが決意を固めあったしのぶ会でした。
 最後はもちろん「がんばろう」の大合唱!
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by takeshi_yamagen | 2014-04-05 14:34 | 墓碑銘 ー送ることばー

 14.1.30
 アニメ「サザエさん」の波平さんの声で知られる永井一郎さんが27日急逝されました。82歳。1999年カツオの声役の高橋和枝さんが亡くなった際葬儀で「こら、カツオ、親より先に逝くやつがどこにおるか…」と言って絶句されていたことが思い起こされます。今頃向こうで息子との再会を喜んでおられるかもしれません。
 ところで永井さんのふるさとは池田市天神。池田高校(入学時は旧制池田中学)卒業です。その縁で市が作成したビデオなどにもナレーターとして協力してくださっていました。
 さらに永井さんは波平さんの他にも「ゲゲゲの鬼太郎」の子泣きじじいや「ど根性がえる」の町田先生の声を担当されていたことも今回報道で初めて知りました。キューシ生活25年、こんなにうれしいことはない―、あのうれし泣きの声も永井さんだったんですね。
 また永井さんは昨年2月の赤旗創刊85周年の際「『赤旗』が民主主義と国民生活を守り、発展させる役割をさらに果たされるよう願っています」との談話を寄せてくださっていました。今よく考えてみると、民主主義が封殺され国民の口が閉ざされれば声優という仕事はまずなりたちませんよね。
 ご冥福をお祈りします。 
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by takeshi_yamagen | 2014-01-30 09:02 | 墓碑銘 ー送ることばー