山元たけしの あの日その時、そしてこれから

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「原子爆弾被爆者への見舞金見直し…」 議案を読み、私は怒りに震えました

 08.2.29
 一昨日3月議会の議案が届けられました。ページをめくっていた私はその議案第4号を読み、愕然としました。そこには「…生活困窮者、特定疾患療養者、原子爆弾被爆者及び父子家庭・母子家庭の小・中学校入学児童の保護者に対する見舞金等給付を見直すものであること。…」とあるではないですか。早い話がやめてしまおうというわけです。施設利用料・手数料の値上げに始まった池田市の行革路線がまさに無慈悲の極みまで行き着いたというべきでしょう。
「費用効果が薄れた」とあることから、その額がわずかであることを暗に言っているようです。確かにいずれも1年(1回)数千円程度で、大変な高額ではないかもしれません。しかし、度重なる小泉行革以来の社会保障の後退、雇用ルールの改悪による不安定雇用・低収入家庭の拡大のもとで、これらの見舞金の家計に占める割合は増えこそすれ、絶対には減ってはいません。
 同時に私が言いたいのは「これは金の問題ではない」ということ。被爆直後の原爆症、引き続く白血病、そして今も容赦なく襲うガンの恐怖に晒されている被爆者の皆さん、また、原因不明の病魔に日々苛まれている特定疾患療養者の方々、そして生活苦で子どもに十分なことをしてやれないと日々心苦しい思いをしておられる親御さんに対して、この見舞金は「皆さんのことを決して忘れていない、そして見捨てるようなことはしない」という池田市の決意の表明、そして最低限の誠意を示すものであると思うのです。
 まさに池田市の、そして池田市議会の姿勢が問われるこの議案に限っていうならば「(市長の)与党だから…」などといった理由で賛成することは絶対に許されません。また、特に福祉を掲げて当選してきた議員やその会派に関していうならば、その政治的な良心が問われる議案でもあります。
 市民の皆さん、この議案は3月19日の厚生委員会で審議され、28日の本会議で採決されます。どうか傍聴にこぞってお越しください!市民の力でこの議案、葬り去ろうではありませんか。

 なお、3月3日(月)午後6時半より、池田駅前北会館におきまして、この3月議会議案報告会を開催します。皆さん、どうかお誘いあわせのうえお越しください。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-29 13:30 | 市 議 会 日 誌

元史建歴10  門前の兄弟、習わぬ手紙を書く

 08.2.28
「共産党の議員のくせに、まぁ政治性のない文ばかりよう書くなぁ」「もうちょっと重みのある文章が書けないのかね」というお叱りの声をあるブログ読者から頂きました。ただこの文の軽さは私の身にしみついた「いちびり」精神の致すところ、御容赦してくださいとしか言いようがありません。
 一方で、「よく話題が続きますね」とか「充実していますね」「いつも楽しく読ませてもらっています」などといったお褒めの言葉も頂いています。ありがたいことです。
 文章の出来不出来はさて置くとしても、文を書くことが好きなのは事実です。
 じゃ、なぜ好きになったのか。子どもの頃、確かに読書は嫌いではなかったのですが、かといって家に本がたくさんあったわけでもなく、親がインテリであったわけでもありません。
 ただ一つだけ思い当たることがあります。それは母が大変筆まめであったということ。暇さえあればやれ礼状だ、やれ暑中見舞いだと、手紙ばかり書いていました(今でもそうですが…)。それを私も弟も横から見て「ふ~ん、手紙の最初は「拝啓」て書くのか…」などと思いながら、文章に親しんでいったのは間違いありません。こればかりは母に感謝しています。
 その弟は現在新聞記者として忙しく動き回っています。門前の小僧、いや山元家の兄弟、そろって習わぬ手紙を書き続けている、といったところでしょうか。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-28 16:21 | 元 史 建 歴

「新しい社会主義」を考える時代

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「…「新しい社会主義」ということを考えざるをえなくなるんですね。しかもそれは日本共産党のいうようにソ連型ではないものが。…」

 友人の中に自社(大企業)を背負って世界を飛びまわるいわゆる「企業戦士」が何人かいます。私たち日本共産党は、決して大企業をつぶせと言っているのではなく、そのもうけや社会的役割に応じた責任を果たせと主張しているに過ぎないのですが、彼らと面と向かって政治・経済の話をするときにはやはりちょっと構えてしまいます。
 ところで、冒頭の発言は経済同友会終身幹事である品川正治さんが日本共産党志位和夫委員長との新春対談(『しんぶん赤旗』08年1月1日付、のち『志位和夫 品川正治 響き合い対談』としてパンフ化)の中でおっしゃったもの。日本興亜損保社長・会長、日本経済同友会副代表幹事・専務理事などとして日本資本主義の中枢で活躍された、いわば「企業戦士」のトップとでもいうべき方のこの発言に、大変驚きましたが(実際、志位委員長もちょっととまどったようです!?)、それだけに説得力もあります。
 規制緩和、「官から民へ」といったスローガンのもとで進められた新自由主義の結果、今度は投機マネーが国民の生活を脅かす現状を憂い、資本主義というシステム自体がもう行き着くところまで来ているのではないかと、品川さんはおっしゃるわけです。実は、あのマイクロソフト社のビル・ゲイツ会長も「資本主義は富裕層だけではなく貧しい人のために寄与しなければならない」と現在の資本主義に警鐘を鳴らしています(2/27付『しんぶん赤旗』)。
 1/14日付のブログでも書きましたが、南米で社会主義を目指す政権が次々誕生しつつある情勢をもあわせて考えるならば、社会主義への賛否はさて置くとしても、私たちはどうも現在の資本主義というシステムを絶対視せず、相対化して考える時代に入ってしまっているようだ、それだけは言えるのではないでしょうか。
 なお、パンフレット『志位和夫 品川正治 響き合い対談』は1部150円です。購入御希望の方は最寄りの日本共産党の事務所、あるいは山元まで。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-27 18:00 | 日本共産党はこんな政党です

元史建歴9 私にはドラえもんがいませんでした

 08.2.27
 1968年4月、私は京都市立養徳小学校に入学した。
 その直後に私は人生最初の試練に直面することになる。「いじめ」である。ものは取られる、自宅の中まで入ってきて殴られると凄まじい限りだった。自分でいうのもなんだが、腕力はないけれど結構心やさしく、ちょっと頑固だった私は、スネ男のように長いものにまかれる「処世術」を身につけることもできず、結果いじめっ子ジャイアン(同級生のA君)の恰好のいじめの対象となったわけだ。そんな典型的なノビ太タイプの私の不幸は、そばに助けを求めるドラえもんがいなかったことである。
 ところで、そんな時いじめられっ子はどう対処するかご存知だろうか。「なにくそと、いじめをばねに発憤する」という人がいるかもしれないが、それはウソ、いじめを知らない人のせりふに過ぎない。そんな子もいるかも知れないが、大概のいじめられっ子にそんな覇気や元気はないのだ(あったらそもそもいじめられることもない)。正解は自分のプライドを自分でなくすこと。自分はだめな奴だと無理やり思いこんで「心の平安」を保つのである。それは、その後の私の性格にも影響して、今でも私は他人に比べてプライドはあまり高くない。それは長所とも言えるのだが、裏を返すと他人のプライドに鈍感だということでもある。明らかにそれは短所である。
 もう一つ質問。いじめられっ子が他人から言われて、最もショックを受けることばを皆さんはご存知だろうか。それは「いじめる方も悪いが、いじめられるおまえも悪い」といった類の言葉。まわりから、特に信頼している大人からそれを言われると、いじめられっ子は一人奈落の底に突き落とされたような救いようのない疎外感に襲われるのである。いじめで子どもが自殺を選ぶきっかけも、そんな大人の言葉にあることが多いのではないだろうか。
  はっきり言いたい。いかなる理屈を並べてもいじめは絶対に正当化できない。いじめという行為に関していうならば、いじめられっ子は絶対に悪くないのである。そして、いじめ根絶にまず必要なことはその「いじめは絶対悪である」というに立場に大人が揺るぎなく立つことである。
 少し前、教育委員会のある幹部の方が「いじめはどこにでもある」という発言をされていた。その意図がどこにあったにせよ、それを当時の私が聞いたなら「どこへ行ってもいじめからは逃れられないんだ…」と暗澹たる気持ちになったと思う。いじめられっ子の気持ちはなかなか届かないことを痛感した次第。その場に子どもがいなかったことがせめてもの救いであった。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-27 12:11 | 元 史 建 歴

元史建歴8 川と山の京都時代

 08.2.26
c0133503_15574880.jpg 山元家の4人は1967年10月、京都市左京区高野に引っ越した。父が家を購入して京都の祖父母と一緒に暮らすことになったわけだ。もっとも、勤務先が引き続き大阪だった父は、通勤が結構大変だったようで、仕事が遅くなると帰って来れず、よく会社の寮に泊まり込んでいた(写真は68年1月 自宅前で弟と)。
 京都市内といってもさすがに郊外、夏にランニングシャツ姿で往来を歩いても全く違和感がないくらいの田舎で、人々の暮らしもどこかのんびりしていた。また、まだまだ自然も豊かで、家のすぐ近所の高野川に足を浸し、時には松ヶ崎の大黒山を越えて宝ヶ池、国際会議場あたりまで遠出、そして比叡山もその中腹あたりまでは完全に子供たちの行動半径に入っていた。吹田時代を「池と丘」で代表させるならば、私にとって京都はさしずめ「川と山」であったと言えるであろう。
 高野川はなんといっても水がきれい、毎日のように網を片手にオイカワやドジョウつかみに興じていた。同時に、この高野川、頭に縞模様のある少し気持ち悪い魚が”ぬぅ”と現れたり、石の隙間から細長いヘビのような魚が飛び出してきたりと、得たいの知れない魚が時々子どもたちを驚かせる川でもあった。今から思うとそれはタイワンドジョウとウナギであったと思うのだが。
 一方、比叡山は昆虫の宝庫だった。様々な種類の美しいカミキリムシや蝶を捕らえたときの心臓の高鳴り、さらに昆虫図鑑でその名前を知りえたときの本から昆虫たちが飛び出してくるような爽快さ、今でも鮮明に思い出される(ちなみに当時の昆虫図鑑は今でも使用している)。
 このように吹田時代同様、「野生児」生活をエンジョイしていたわけだが、小学校入学後の私には、とんでもない試練が待ちうけていた。これについてはまた次回に。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-26 12:35 | 元 史 建 歴

パワーポイントが登場しました

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 21日付ブログでお伝えしたように、一昨日(23日)午後2時より石橋駅前会館におきまして、市政報告会を開催しました(写真上)。
 まず、堀田文一府会議員から橋下知事の元での府政について、その後に村上弘充衆院大阪9区国政対策委員長からイージス艦事件や派遣労働者の問題を中心とした国政の動向についてのお話が続きました。いずれの話も自民・公明の悪政の元での日本共産党の奮闘ぶりを交えたもので、大変興味深いものでした。
 その後、私が12月議会の報告と3月議会の予定についてお話させて頂きました。実は今回、垣田議員や藤原議員に学んでパワーポイントを使用したビジュアルな報告を試みた次第、不慣れなため一部見苦しい点もありましたが、概ね好評であったように思います。c0133503_12113474.jpg
 なお、参加者から「後期高齢者制度反対の運動を強めてほしい」「空港地域の未解決課題の実現に奮闘してほしい」などの御意見を頂戴しました。3月議会をはじめとした今後の活動に生かして参ります。

 閑話休題。
 昨日の朝、珍しく池田でも雪が積もりました。花壇の花も寒そうです(写真下)。 
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by takeshi_yamagen | 2008-02-26 12:18 | 住みよい石橋・豊島の街めざして

石橋には悪い人はいないと、今まで信じてきたのですが…

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 石橋1丁目の旧西国街道沿いに設置した私の看板の顔写真部分が何者かに傷つけられました。隣の他党のポスターなどは無傷なので、やはり私の看板を狙ったのでしょう(写真)。これで昨秋から3本続けてやられたことになります。
 写真の位置は看板の最上部にあたっており、いずれも刃物かなにかでかなりしつこく切られていることから、子どもの仕業とは到底思えません。看板を作るにはそれなりのお金と労力がかかります。また、自分の顔写真が傷つけられるのはやはりいい気はしません。このような行為に及んだ人は、そこまで思い到ることはなかったのでしょうか。私が知っている石橋・豊島地域の方は本当にいい人ばかりです。しかし、一部にこのような悪いことをする人がおられるのですね。残念です。そして悲しいです。
 
 なお、2月23日(土)午後2時より石橋駅前会館におきまして、私の市政報告会を開催します。どうかお誘い合わせの上、お越しくださるようよろしくお願いいたします。 
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by takeshi_yamagen | 2008-02-21 10:50 | 住みよい石橋・豊島の街めざして

湘南・鎌倉紀行⑤ 坂東武者のよみがえる武都鎌倉

 08.2.21
c0133503_10375621.jpg 三方を山で囲まれた鎌倉は、山を削って作った切り通しと呼ばれる道で外部と結ばれていました。いわゆる「鎌倉の七口」です。今回私は13日の極楽寺坂に続き、14日は名越、化粧坂、亀ヶ谷、巨福呂坂の各切り通しを見て回りました。
 旧態を留める切り通しは、どれも狭くてこれでもかといわんばかりに曲がりくねり、鎌倉の東の入り口である名越の切り通しに到っては、最も狭い部分は両側から山腹がせり出して幅1mに満たず、道のど真ん中に巨石すら置かれています(写真上)。まわりの山自体は標高100mほどで決して高くはないのですが、道がこれでは確かに大軍が一気に攻め入ってくることはできないでしょう。鎌倉が天然の要塞といわれる由縁、新田義貞が鎌倉攻めの際、極楽寺の切り通しの突破をついにあきらめ、海から鎌倉に入ったという話、実によく理解できました。c0133503_1041257.jpg
 その後、北鎌倉の円覚寺を始めとした古刹、さらには源頼朝の墓と回った後、最後の執権北条高時が腹を切ったというやぐらを訪れました(写真下)。1333(元弘3)年5月21日、討幕軍に北は化粧坂、巨福呂坂の切り通しを破られ、西は海からの進出を許した北条高時は、翌22日、あちこちから火の手があがり、鎌倉が阿鼻叫喚の巷となる中、ここで自害して果てたとのこと。今から675年前の話です。やぐらの中には五輪塔がぽつんと一つだけ残されていました。「いい国(1192)作った」頼朝の墓と指呼の間に「一味散々(1333)」と腹を切った高時の腹切りやぐらがあるとは、歴史の皮肉と言わざるを得ません。
 続いて、そのやぐらを下ったあたり、若宮大路東側のやや高台になった一帯、雪ノ下と呼ばれる高級住宅地を訪れました。住んでいる人は「決してジャージ姿でコンビニに行かれることなどない」(鎌倉在住のOさん)セレブな方々ばかり。ところがそこの道、どれも細いのです。それに突然行き止まりになったり、L字形に折れ曲がったりと、とにかく変。「高級住宅地なのに不思議なところだ」と思っていた矢先、はっとひらめきました。細い道、折れ曲がる道、それはあの切り通しと同じではないですか! その瞬間、ジワーと弱い電気が走ったような、実に心地よい感動が肩から首へと走り抜けました。私は、鎌倉将軍が守りを固め、坂東武者たちが闊歩した、その同じ道を歩いていたのです。
「鎌倉はいまだによくわからない街です」と地元の人が言うぐらいだから、わずか二日でこの街を理解して、表現するのは土台無理な話。しかし、その無理を承知で言うならば、鎌倉とは芦屋六麓荘のセレブさ、石切神社参道の妖しさ、京都清水あたりのにぎやかさが狭い街で交じり合う中、時々坂東武者の剛毅さがふわっと浮き上がってくる街とでも言えるでしょうか。
 14日午後9時50分発の夜行バスに乗って15日朝帰阪。3泊2日(2泊3日ではない)の強行軍で体は結構疲れたけれど、刺激受けどおしで頭の中はアドレナリン大分泌、このまま3月議会に突入です。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-21 10:44 | 日本たびたびまた旅日記

湘南・鎌倉紀行④ 神と仏のあふれる妖都鎌倉

 08.2.20
c0133503_10301863.jpg 新江ノ島水族館見学後、江の島電鉄に乗りこみ、鎌倉の西の郊外極楽寺駅で下車しました。駅前の山裾には小さな祠が配され、「極楽で一休み」と書かれた食堂が続き(入るのになぜか覚悟がいります)、さらにその先には「極楽寺葬儀社」と書かれた看板がかかっています(極楽往生できそうです)。私は霊感など信じるほうではありませんが、極楽寺の谷筋にはなんとも妖しい空気が漂っています。律宗の僧忍性の建てた極楽寺を見学後、極楽寺坂(切り通し)を越えて鎌倉市内へ入っても、家々のちょっとした隙間や山裾の緩やかな傾斜地を埋めるように五輪塔や卒塔婆、そして御地蔵さんなどが並んでおり、山腹の岩を繰り抜いてつくった「やぐら」と呼ばれる鎌倉独特の墓もところどころに口を開けています(写真)。
 円覚寺、鶴ヶ岡八幡宮といった大きな寺社や大仏に留まらず、鎌倉の街には数知れぬ神と仏が満ちあふれている、これはちょっとした衝撃でした。 
 なお、13日の夜は鎌倉はせユースホステルにお世話になりました。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-20 10:40 | 日本たびたびまた旅日記

湘南・鎌倉紀行③ 新江ノ島水族館

 08.2.17
c0133503_20394671.jpg 実は、湘南海岸まで足を伸ばしたのは砂浜や江ノ島に興味があったわけでは決してありません。新江ノ島水族館訪問、それが水族館オタクである私の唯一最大の目的だったのです。
 新江ノ島水族館は、湘南海岸の東端に建つ大きな水族館。それに2004年開館と新しいだけにまだとってもきれい。子どもみたいにちょっとうきうきしながら入館しました。
 この水族館の目玉の一つはクラゲ。展示室の壁面はクラゲだらけです(写真)。その半透明のファンタジックな姿はまさに癒し系、一見の価値はあります。また、クラゲ各種の毒の強さの程度を、簡単な文章を添えて五つ星で示した解説には工夫の跡が伺え、思わず最後まで読ませます。
 もう一つの目玉は深海生物の展示です。普通、深海生物は水圧の問題などもあって飼育が難しく、標本展示でお茶を濁すところが多いのですが、ここは生体展示が基本です。暗めの水槽の中で動めく生物たちは、どれも普段見慣れたものとはやはりどこか違います。特に私が驚いたのはダイオウグソクムシという生物。深い海の底では、全長45㎝にもなるダンゴムシのお化けがうごめいているんですね。そのテがお嫌いな方は覗かないほうがいいかもしれません。
 このように興味深い展示も多い水族館でしたが、ひっかかる点があったのも事実です。まず解説プレートや水槽の形にあまり統一性がなく、見ていて結構しんどかったこと。意図的にされていたのかもしれませんが、私にはついにその意図がわかりませんでした。また、水槽内の生物の解説に、はたして長ったらしいアルファベットの学名をわざわざ記す必要があるのか、疑問です。
 そして、なによりも不満だったのは大水槽がなかったことです。館内で最も大きな水槽でも幅15mほどのものにとどまり、近年の新しい水族館の中ではかなり小さめ。エイなど大きめの魚はかなり窮屈そうでした。しかし、この水槽の大きさの差は、ひとり新江ノ島水族館だけの話ではなく、実は、私が全国20ほどの水族館を見てきて感じる水族館の東西差でもあるのです。西日本の水族館は、海遊館(大阪)、須磨水族園(兵庫)、ちゅら海水族館(沖縄)のように巨大な水槽を館の中心部分、あるいは入口付近のスペースに”どん”と据えているのに対し、東日本ではそれを中心に据えようとはあまりしませんし、そもそも水槽を一定規模以上大きくしないようセーブしている気配すら感じられます。水族館の展示は細かく分類するのが基本であって、多くの種類の生物を一個所に入れる大水槽を邪道とする思想があるのでしょうか。そこまで言うのは少々穿ちすぎにしても、少なくとも西では「楽しんでもらおう」、東では「教えてやろう」が水族館の考え方の基本にあるのは間違いないと思います。
 これは優劣や是非の問題ではなく、東西の文化の違いに根ざすものと考えるべきでしょう。しかし、私としては、やはり水族館に行ったなら、視界からはみ出すくらいの大きな水槽の中を、悠然と去来する魚たちを眺めながら、しばし”ポケー”としていたいなぁ…。
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by takeshi_yamagen | 2008-02-17 20:41 | 日本たびたびまた旅日記