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 08.7.31
 先日お伝えした二つの市政報告会(7月19、21日)が終わった直後、私は手帳にこの夏の予定を書き入れてみました。
 7月末は『しんぶん赤旗』の集金で地域を回り、8月は24日まではお隣の箕面市の選挙のお手伝いなどがあり、それが終わると再び『しんぶん赤旗』の集金、同時に9月議会の準備開始、間もなく9月議会に突入…、もちろんその合間に生活相談が入ってきます。
「ありゃ、7月末以降、まともに夏休みとれへんがな!?」
 そのことに気づいた私は、7月26~28日思い切って休みをいただき、自身最大のパワーの源、一人旅に出た次第。今回の行き先は広島方面。26日朝、JR新幹線と在来線を乗り継いで、まず岩国へ向かいました。
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by takeshi_yamagen | 2008-07-31 17:28 | 日本たびたびまた旅日記

高校の仲間、大学の先輩

 08.7.30 
 先日、箕面高校の同窓会のお誘いのメールがありました。日時はなんとその日の夜。「えらい、急やなぁ」と思いながら手帳を見ると、幸い時間が空いていたので参加させてもらいました。集まったのは10人余り。聞けば4月の15期生全体の同窓会の後、池田、箕面、豊中周辺に住んでいるメンバーを中心に「15期同窓会豊能支部」とでもいうべき会ができあがっているとのこと。もっとも、会長がいるわけでも、会則があるわけでもなく、誰かが思い立ったら「緊急招集」をかけて、石橋界隈で一杯飲みあう、という程度の気楽な会のようです。
 全体の同窓会では話しきれなかったことを中心に30年前の話に花が咲きました。いや、楽しかった。ところで「平均して2,3日に1回ブログを更新してる」とちょっと宣伝すると、A君から「すごいなぁ、今日のことも載せといてや」と注文が入りました(A君、ちゃんと「公約」は守りましたよ)。
 さて、先週は高校にとどまらず、関西大学校友会池田支部の総会もありました。こちらは打って変わって参加者の大半は大先輩ばかり。昨年初めて参加した時は、さすがにかなり緊張しましたが、今回は少しはリラックスできたように思います。ごく近所にお住まいの方が卒業生であることが判明するなど、意外な発見の多い総会でした。
 ちなみに池田は市長も副市長のお一人も、そして池田市選出の府会議員も皆関大卒。さらに言うなら市会議員中4人が関大OBで、しかも全員会派が違うというおまけつき。「清濁併せのむ寛大な関大」といったところか。もっとも、どこが「清」で、どこが「濁」かは、立場によって違うでしょうが…。 
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by takeshi_yamagen | 2008-07-30 10:36 | 同 窓 会

 08.7.30 
 ひょんなことから知り合いになった箕面市在住のYさんは、旧満州からの引き揚げの経験をお持ちで、先日、当時の話を伺いました。
 日本の敗戦から5日後の1945年8月20日、当時住んでおられた渤海に面した遼寧省営口の町にもソ連軍が進駐、29日までに日本人退去の命令が出され、Yさん一家は医者をしていた叔父さんを頼って奉天(現在の瀋陽)に移動したとのことです。
 奉天時代、お兄さんたちとタバコを売って家の生計を助けた話や、「一毛銭給吧!発財長柜吧(金持ちの大将、お金を恵んでください)」と叫びながら乞食の大群が押し寄せて来た話、短い間に日本軍、ソ連軍、国民党軍、八路軍(共産党軍)といろいろな軍隊を「見学」、「郊外で夜空が赤くなるような戦闘があると、翌日それまでと違った軍隊が入ってきた」、「囚人から構成されたソ連兵はひどいものだったが、子どもにはやさしかった」といった話など、どれも大変興味深いものでした。厳しさの中にどこかユーモアが漂っていたのは、Yさんの柔和な語り口によるものでしょう。
 同時に、1945年の冬を越せずに亡くなり、体育館のようなところに安置されていたたくさんの日本人の遺体が春を前にして郊外に埋められることになって、その様子を見に出かけたところ、荷馬車に枕木のように重ねられた遺体のどれもが目を見開いて自分をにらんでいる姿に震えと涙が止まらなくなり、その場に立ちすくんでしまった悲惨な経験も話してくださいました。
「あの時の思いは恐怖を通り越していました。今でも時々夢に見ますねぇ」
 翌46年に帰国後、鳥取県に移り住み、編入した小学校で「満州帰り」といじめられたが、「満州での経験が結構私をたくましくしてくれたようで、あまり意に介しませんでした」とさらり。
 ずっと「反体制派」で「選挙では社会党かあなたのところ(日本共産党)にしか入れたことがない」Yさん、その原点は「あの戦争で国にだまされた思いと、満州時代に八路軍の清廉な姿に接したこと」にあるとのことでした。
「もっとも、たばこを買ってくれたのは国民党ばかりで、八路軍相手では商売にならなかったけどね」(笑) 
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by takeshi_yamagen | 2008-07-30 10:32 | 山元のすべらない話

史上初の市政報告会

 08.7.24 
 21日の午後、86年に及ぶ日本共産党の歴史の中で、おそらく初めてと思われる池田市空港地域だけを対象にした市政報告会を開催、多くの住民の方にお越しいただきました。
 私は、空港地域に関わること(蛍池図書館問題、ごみ指定袋販売店問題など)を中心にこの1年の活動、そして先日閉会した6月議会の様子について報告いたしました。
 参加された皆さんからは「空港地域のためにがんばってくれたのは感謝している」といったうれしい声があった一方で、「池田市の健康診断を(豊中市内の)蛍池地域のお医者さんでも受けられるようにしてほしい」といった注文、さらには「地元の自治会の運動もよく見てほしい」とのお叱りの声も頂きました。今後の活動に生かしていかねばなりません。
 また、空港1丁目の東西両地域の方お二人(ともに各々の地域振興のためにがんばってくださっている方です)が初対面であられたようで、互いに自己紹介されたのには少し驚きました。1丁目を南北に貫き、池田インターチェンジに到る阪神高速道路(地元の方は「万博道路」と呼んでおられるようです)がいかに地域を分断しているか、思い知らされた次第。
 質問に十分答えられない部分があったり、終了時間がやや超過してしまったりと、反省点も多い報告会でしたが、地域のより具体的な声を知ることができて、私としては本当に勉強になりました。
 最後に、私は「小泉政権のもとで健康診断制度が大きく改悪され、先ほど出された市の健康診断制度自体にその影響が出かねない状況です。空港地域の切実な要求を実現するためにも、次の総選挙で日本共産党を強く大きくしてください」と訴えさせて頂きました。 

 
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by takeshi_yamagen | 2008-07-24 16:21 | 住みよい石橋・豊島の街めざして

 08.7.22 
 19日午後、大阪多喜二祭実行委員会の小山国治さんの講演「今なぜ、小林多喜二なのか」を聞きました。
 小山さんは、まず『蟹工船』ブームが今に始まったことではなく、多喜二生誕100年にあたる2003年頃からその動きがあったことを丁寧に跡付けられました。そして、多喜二の虐げられた人々への連帯、人間らしく生きることへの願い、そして反戦の訴えが、日本国憲法の重要な精神を戦前から主張していた先駆性として評価されていると主張された上で、各地で貧困層が戦場に送り込まれていることからみても、それはすぐれて現代的な課題であることを強調されました。
「『蟹工船』ブームと言っても半信半疑だったが、若い女性たちが「わぁ、『蟹工船』や、私読みたかったんだ」と言って関空内の書店にやってきたのにまず驚き、さらに手にとった本が『蟹工船』の漫画だったことに気づいて、「私は小説のほうが読みたいのに…」と残念がっていたことで、このブームは本物だ、と確信しました」
 講演後に出された空港にお勤めのOさんの感想が大変印象的でした。
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by takeshi_yamagen | 2008-07-22 18:27

議員定数削減論に思う

 08.7.22
 最近、議員定数削減の削減を求める声をちらほら聞きます。私は議員定数の削減については、議会制民主主義を発展させる立場から、たとえ行うにしても総合的かつ慎重にすべきであると考えます。その立場から少し気になる意見があるので、私の考えを述べておきます。
 まず他市との人口比を持ち出して定数を見る考え方について。 
「豊中市は人口40万で定数40。池田は10万だから10(現在24)でいいではないか」とおっしゃるわけです。
 しかし、よく考えて頂きたいのは、人口が四分の一になったからといって市の事業数などが四分の一になるわけでは決してないということです(豊中では市立の保育所、幼稚園、小学校、中学校の四つすべてを議論するが、池田は人口が四分の一だから保育所だけでいいとはならないですね)。この意見に従って議員を減らしてしまうと、おそらく市議会での議論や、膨大な決算や予算の審議・チェックが十分行われず、大変な事態になってしまいます。また、そもそも議会の定数などは基本的には各自治体で自主的に考えるものであり、まず「近隣市ありき」の論議は本末転倒であると思います。それでも近隣市を気にされるならば、箕面市は人口13万人に対して定数25、川西市は人口16万人に対して30、伊丹市は19万人に対して28人(人口は四捨五入)という事実も示されなければフェアーであるとは言えませんね。池田市が突出しているわけでは決してないわけです。
 次に「地域分権制度ができたから議員定数は削ってもいい」という意見に対して。
 私は議員の役割としては①住民の要求を市政に反映させる、②条例など議案を提案・審議する、③市政をチェックする、の三つがあると思っています。ですから、地域分権制度を議員定数削減の理由にする考え方は議員の役割を①の一部に矮小化するものであり、賛成できません。私たち市会議員の仕事はいわゆる「どぶ板」だけではないのです。
 それに、この意見は「自分たちのまちは自分たちの手で」と民主主義の充実を掲げる地域分権制度の本来の趣旨をも損なうことになってしまうと思います。この制度は前回のブログでも示したように評価しうる点も多くあるだけに残念です。
 市民の皆さん、いかがお考えでしょうか。
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by takeshi_yamagen | 2008-07-22 15:47 | 池田市議会 ここだけの話

 08.7.22
c0133503_100249.jpg 19日午前、中国縦貫道高架下の豊島東公園に設置されたバスケットコート(3on3コート)の完成式典に参加しました。この事業は本年度より実施されている地域分権制度の一環として完成したものです。北豊島小・中学校出身の私も知らなかったのですが、村田教育長によると北豊島は池田市のバスケットボール発祥の地であるとのこと。その意味でも喜びはひとしおです
 ところで、かつて高架下の公園をとらえて「子どもたちに日の当たらない公園などとんでもないc0133503_1071788.jpg」という批判があった際、「高架下の公園は雨の日に草野球ができて重宝している。ちょっとずれてるなぁ」と感じたことを、今回私は思い出しました(確かに「日のあたる」公園が少なかったのも事実ですが…)。大人の「上からの」感覚と子どもたちの「下からの」要求が微妙にずれていたんですね。
「地域に気軽に使えるバスケットコートがなくて、3km離れた木部町まで通っている」といったバスケット好きな子どもたちの「下からの」つぶやきに応えて誕生した今回のコートは、大人と子どもたちの思いが一致したものとしても評価できそうです(写真上は生まれて初めての「始球式」。ネットは揺らしたもののポイントゲットとはいきませんでした)。 
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by takeshi_yamagen | 2008-07-22 10:01 | イシバシ NOW

 08.7.17
 連続して市政報告会を開催いたします。
 まず、19日(土)石橋会館で開催する市政報告会では、私の報告に続いて今話題の『蟹工船』の著者小林多喜二について小山国治さん(大阪多喜二祭実行委員会事務局)からお話していただきます。
 『蟹工船』については引き続きブームが続いているようで、今年の新潮文庫版の増刷部数が、6/9付ブログでは10万部と書きましたが、現在は35万部を突破とのことです。注目すべきことは「会社と闘う時の参考として『蟹工船』を読む」「搾取の実態を学ぶため、次に『資本論』を学び始めた」といった声が出始めていること。わずか半年で『蟹工船』が若者の「共感の書」から「戦いの書」へと変化していっているのです。
 小山さんには、『蟹工船』誕生の背景、そして時代に向き合い、誠実に生きようとした青年小林多喜二の生涯についてお話していただきます。
 21日(月 祝日)は空港会館で開催します。
 私が議員になって1年、同じ池田市でありながら行政の光が十分当たっているとは言いがたい空港地域の皆さんの声を意識的に議会内外で取り上げてきました。その結果、空港地下道や道路の改修に始まり、蛍池図書館利用やごみ指定袋販売店充実の問題でも前進を作り出すことができました。
 今回の市政報告会は改めて空港地域の皆さんの声を伺い、住みよいまちをつくっていく思いを共有する場にしていきたいと考えています。
 小林多喜二のお話を聞くのも、空港地域で開催するのも、市政報告会としては初めての試みです。どうかお誘い合わせのうえ多数お越しください。 

<市政報告会>
 7月19日(土)  午後2時~4時 石橋会館(石橋南小学校北隣)にて
 7月21日(月 祝)午後2時~4時 空港会館にて

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by takeshi_yamagen | 2008-07-17 09:14 | 住みよい石橋・豊島の街めざして

 08.7.15
c0133503_17454320.jpg 議員にならなければ、おそらく今でも「積ん読」の運命を免れなかったと思われる本が、この川上貫一(1888~1968)著『話のはなし』(三一書房 1959)である。裏表紙に「200(円)」と鉛筆で書いてあるからおそらくずっと昔にどこかの古本屋で買い求めたのであろう。
 川上さんといえば、1951年アメリカ占領軍を批判し、不当にも議員を除名された後、53年再び旧大阪1区から返り咲いた不屈の日本共産党衆議院議員、その見事な演説が今でも語り草になっている人だ。
 さて、半世紀前のこの本、今読んでも納得する演説の心得が珠玉のごとく詰まっている。私があれこれ御託を並べるよりも抜き書きしたほうがいいだろう。
「すべて話には軸が大切である。バクロや反ばくは材料である。賞賛や罵倒は手段である。軸のない話は漫談である」
「話にのぞんで、なにもかも、みな言いたがるのは、知識や材料が、ありあまっているのではなく、倉庫がからっぽで、知識や材料が乏しいからである」
「…内容がなければ紋切り型になる。よくわからぬことを、わかったように話そうとすればするほど、大言壮語になる」
「…主観と押しつけに、気をくばることは、…なかなかむつかしいのである」
「よく知っていることを、よく整理して、たくみをつけず、すなおに話すという、このほかによい話をする法はないであろう」 
「聞いて気もちよく、よくわかり、ひとになんらかの共感を与えてやまない話というものは、その人が時代にたちおくれていないばかりか、まじめで謙虚で時代より一歩、前方を見つめている思想や人がらから自然にわきでる味わいなのではないだろうか。…話もまた人である」
どれも読んでいて耳が痛い。
 さらに川上さんは細かい点にも厳しい。
「原稿をもって、しかも、原稿からはなれて話をする。そういう話がいちばんよい」
「とくに、主婦たちの意見に気をつけ、多くの青年男女の批評をきく」
「腰に手をあてるクセは、よいものではない」
「きょろきょろは禁物…正面を見る」
「下をむいて、原稿ばかり見ると、話に精彩が失われる」
「(街頭演説を)終わって引き上げるときに、礼を失わぬように」
これまた自分自身に言われているみたいだ。
 結局、いい話をするにあたって大事なことは、現代風にいうならばKY(空気を読まない)になることなく、自分と聴衆をいかに客観的にみるかということ、そして不断の学習か。
 さらに付け加えるならば、川上さんのその姿勢は、岡山県、北海道、長野県、さらには大阪府など仕事で全国を回り、各地の風土や文化に接する中で育まれ、尾崎行雄、新渡戸稲造、賀川豊彦、山本宣治などそうそうたる人士の演説を聞くことによって、鍛えられていったのであろう。
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by takeshi_yamagen | 2008-07-15 17:25 | 積ん読・乱読・熟読日記

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「一年、あっという間ではなかったですか?」
ご近所の方から最近よく受ける質問です。
 しかし、実際は全く逆。年4回の議会、その間を埋めるように行われた二つの選挙(参院選と府知事選)等々、あまりにたくさんのことがありすぎて、1年前の自分の選挙がはるか昔のことのように思える、というのが実感です。 
 この1年、生活保護から道路の舗装、マンション問題に到るまでお世話させていただいた生活相談は30余件に上ります。
 そして、市議会では空港地域の地下道改良や石橋駅のバリアフリー化事業の早期実現など石橋・豊島地域の切実な要求を取り上げてきました。また、箕面川など水辺を生かしたまちづくりにも一歩踏み出すことができたのもうれしい限りです(写真は今井川を泳ぐオイカワ)。
 議会の「作法」に戸惑ったり、膨大な議案を前にたじろいだり、あるいは自らの勉強不足を思い知らされたりと、いくつもの壁にぶつかりましたが、持ち前の楽観性と開き直り(?)、そしてなによりも市民の皆さんの励ましで乗り切ることができました。
 今後とも、市の行革路線と戦い、市民生活を守る防波堤として、日本共産党5人の議員団、一丸となってがんばって参ります。よりいっそうのご支援のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。 
(『日本共産党石橋後援会 後援会ニュース』第3号 08.6.28 より。一部加筆修正)
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by takeshi_yamagen | 2008-07-15 14:57 | 住みよい石橋・豊島の街めざして