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年明けて家電製品が続けて倒れています

 24.2.6
年明けて家電製品が続けて倒れています_c0133503_09561568.jpg 先月29日電子レンジを買い替えた話を書きましたが、実はそのちょっと前から玄関チャイム、固定電話の調子が悪くなり、電子レンジ購入後もその他の調理機器、テレビの不具合が続きました。電話は経年劣化でつぶれていたコードを替え、テレビはいじっているうちに映りだし、調理機器は修理にきてもらいましたが、チャイムはそのままです。そういえば昨夏はエアコンがつぶれ一時期地獄の日々を過ごしました。
 家電製品はある日一気にダウンすると誰ぞやもおっしゃってましたが、それって本当ですね。出費がかさみます。痛いです(写真は一時潰れかけたテレビ)。

# by takeshi_yamagen | 2024-02-06 05:25 | 山元家の人々  

東京―出雲夜汽車紀行⑪ 砦か、集落か、居館か、謎多き田和山遺跡

東京―出雲夜汽車紀行⑪ 砦か、集落か、居館か、謎多き田和山遺跡_c0133503_06443933.jpg東京―出雲夜汽車紀行⑪ 砦か、集落か、居館か、謎多き田和山遺跡_c0133503_06445021.jpg東京―出雲夜汽車紀行⑪ 砦か、集落か、居館か、謎多き田和山遺跡_c0133503_06445928.jpg 24.2.5  
 旅の最終日(23日)は終日松江市内。まずはバスを乗り継いで市内南部田和山遺跡に向かいます。
 この遺跡は宍道湖を臨む丘陵の端部につくられた弥生時代前期・中期の遺跡で、まわりは3重の立派な環濠(堀)がめぐっており、特に中期に発達します。弥生時代はその語感に反して統一政権に向かう日本史上有数の戦乱の世であった可能性が高く、各地で集落を囲む所謂環濠集落が出現するのですが、この田和山遺跡はその環濠の内側の丘陵頂部は長さ20m、幅10mと狭く、あまり大きくない建物2棟と簡単な柵があるだけで集落があったとはとても言えません。豪族居館や砦と考えるのにも無理があります。
 結局その性格についてはいまだによくわからない田和山遺跡なのですが、参考になる遺跡が日本列島の北と南にあります。北海道のアイヌのシャチと沖縄のグシクです。ともにまわりに堀や土塁を巡らす防御性の強い遺跡で、その性格については居館、砦、祭祀施設と様々考えられているのですが、やはり一筋縄にはいかないようです。なお三者にはその地で政治的な統合を進められつつある時に築かれているという共通点があります。
 大量の青銅器埋納、性格不明の田和山遺跡とよくわからないことの多い出雲の弥生時代―、田和山のてっぺんでヒバリの声を聞きながら、しばし謎解きに挑んでみました。

※当ブログは昨年(2023年)5月21~23日の旅の記録です。


# by takeshi_yamagen | 2024-02-05 06:48 | 日本たびたびまた旅日記  

百周年の日は快晴でした ―北小百周年時の日記みつかる―

百周年の日は快晴でした ―北小百周年時の日記みつかる―_c0133503_06202179.jpg百周年の日は快晴でした ―北小百周年時の日記みつかる―_c0133503_06203590.jpg 24.2.4   
 北豊島小学校150周年のことを前回書きましたが、50年前の百周年記念式典の時(1974年)の様子が窺える史料(日記)が市内石橋4丁目8番地在住のAさん(当時小6)宅でこのほど見つかりました。そこには以下のように記されています。

2月28日(木)快晴
北小百年。明七年二月二八日 あさ田小学校からどく立。
先生方は、とてもいいふくを着ていた。
アルゼンチンからお客さんが来ていた。記念品として分ちん(ママ)と紅白まんじゅうをいただいた。

 補足すると70年万博アルゼンチンナショナルデーに北小鼓笛隊が友情出演しており、4年経っても同国との交流が続いていたことが窺えます。さらにAさんによるとこの年度から創立記念日が2月28日に変更になったのですが、上記のようにその日が式典の日とされ登校日になったため「休みの日を1日損した」と不満の声が児童から出ていたとのことでした。
 また当日記には級友と今はなき石橋の映画館(石橋映劇)で「日本沈没」鑑賞(1月20日)、小野田 寛郎さんルバング島から帰国(2月27日)など当時の世相がよくわかる記述もあります。
 せやけどAさん、漢字使こてもうちょっときれいな字で書けよなぁ。


# by takeshi_yamagen | 2024-02-05 06:32 | 山元のすべらない話  

北豊島小学校よ、いつまでも ―創立150周年記念式典―

北豊島小学校よ、いつまでも ―創立150周年記念式典―_c0133503_12152231.jpg北豊島小学校よ、いつまでも ―創立150周年記念式典―_c0133503_12172132.jpg 24.2.4
 今月母校北豊島小学校が創立150周年を迎え、昨日記念式典に伺いました。
 私の通っていた頃と比べると1936年建設の西校舎は解体されなくなり、プールの位置も変わりました。なによりも寂しいのは北小のシンボル的存在であった榎が枯れてなくなってしまったことでしょうか。しかし在校生の笑顔と元気な姿は私の通学していた頃とまったく変わりません。次の50年、100年、北小は子どもたちの学びの場として、地域のみなさんの活動拠点として生き続けていくことでしょう。
 おめでとう!北小!

# by takeshi_yamagen | 2024-02-04 12:20 | 建声元語 ―よもやま話―  

東京―出雲夜汽車紀行⑩ 亡き父母は玉造温泉でなにを語りあったのでしょうか

東京―出雲夜汽車紀行⑩ 亡き父母は玉造温泉でなにを語りあったのでしょうか_c0133503_11333116.jpg東京―出雲夜汽車紀行⑩ 亡き父母は玉造温泉でなにを語りあったのでしょうか_c0133503_11341862.jpg さて青銅器を堪能後出雲市駅に戻り、その日の宿玉造温泉に列車で向かいました。
 川の両側にその日お世話になった玉泉さんも含めて上品な旅館が並ぶ、一見すると城崎温泉を連想させるレイアウトです。ただ当日の私の街歩きがやや遅めの時間帯だったこともありますが、スィートを楽しめるおしゃれなカフェも土産物屋も、さらにいうならば私の好きなちょっと猥雑?かつ庶民的な空間もありません(はずれにスナックビルがありましたが、全店閉まっていました)。メインロードから降りると川に沿って遊歩道が続くのですがそこもほとんど街灯がなく、夜はほとんど真っ暗。時折カエルの声だけが聞こえてきます。とにかく静かな温泉街です。 
 実はこの玉造温泉は亡き両親が65年前新婚旅行で訪れた地、今回も川辺をそぞろ歩く若いカップルを何組か見かけました。よく考えるとラブラブの二人には繁華な歓楽街も煌々とした街灯もいらないわけです(というより邪魔)。少なくとも男一人で来るところではないというのがさしあたっての私の結論です。
 ところで若い父母はこの温泉街をそぞろ歩きながらなにを囁きあったのでしょうか。想像するだけでも恥ずかしい山元家のファミリーヒストリースポットでした。
 まぁ、色々ごちゃ書いてしまいましたが、泉質はなめらかで肌に心地よく旅の疲れを十分癒してくれるお湯でした。

※当ブログは昨年(2023年)5月21~23日の旅の記録です。


# by takeshi_yamagen | 2024-02-04 11:36 | 日本たびたびまた旅日記