母は笑って手招きしてくれました
2009年 04月 16日
09.4.16
親不孝の極みとはこのことでしょうか。
近年はともかく、最も母を困らせ、そして最も母に世話になった私の幼少期や小学校時代の母の姿を、ほとんど思い出せないのです。母は決して社交的な人間ではなく、ずっと専業主婦で家にいたから、料理をつくる母、掃除をする母、そして洗濯をする母の姿は、日常生活で毎日繰り返される、あまりにありふれたものだったので、記憶のひだに残らなかったのでしょうか。
ただ、小学校の最初の登校日の一瞬をなぜか鮮明に覚えています。
重いランドセルを背負って一人帰路を急いでいた私は、通学路の向こう側からにこにこと笑って手招きしながら、足早に歩み寄ってくる母の姿を見つけました。学校が遠かったこともあって、母としても心配だったのでしょう。そう言えば、道で親しい人に出会うと挨拶代わりに軽く一度手招きするのが母の癖でした。
「学校どうだった?」などと母は私に聞いたはずですが、そのあたりの会話は記憶に残っていません。実は不安と緊張でいっぱいだったのに、私は「大丈夫だよ」なんて強がった返事をしたかもしれません。
最近、石橋の街でおかっぱ頭の小柄なお年寄りを見かけて、はっとする時があります。しかし、その誰一人として笑って手招きはしてくれません。
あぁ、母さん、やはりもうあなたはいないんですね。
親不孝の極みとはこのことでしょうか。
近年はともかく、最も母を困らせ、そして最も母に世話になった私の幼少期や小学校時代の母の姿を、ほとんど思い出せないのです。母は決して社交的な人間ではなく、ずっと専業主婦で家にいたから、料理をつくる母、掃除をする母、そして洗濯をする母の姿は、日常生活で毎日繰り返される、あまりにありふれたものだったので、記憶のひだに残らなかったのでしょうか。
ただ、小学校の最初の登校日の一瞬をなぜか鮮明に覚えています。
重いランドセルを背負って一人帰路を急いでいた私は、通学路の向こう側からにこにこと笑って手招きしながら、足早に歩み寄ってくる母の姿を見つけました。学校が遠かったこともあって、母としても心配だったのでしょう。そう言えば、道で親しい人に出会うと挨拶代わりに軽く一度手招きするのが母の癖でした。
「学校どうだった?」などと母は私に聞いたはずですが、そのあたりの会話は記憶に残っていません。実は不安と緊張でいっぱいだったのに、私は「大丈夫だよ」なんて強がった返事をしたかもしれません。
最近、石橋の街でおかっぱ頭の小柄なお年寄りを見かけて、はっとする時があります。しかし、その誰一人として笑って手招きはしてくれません。
あぁ、母さん、やはりもうあなたはいないんですね。
by takeshi_yamagen | 2009-04-16 16:01 | 山元のすべらない話