人気ブログランキング | 話題のタグを見る

優美な舞い、勇壮な舞い、ビジュアルな能を堪能しました

 09.5.17
 昨晩、池田市民文化会館で能・狂言を楽しんできました。
 最初の演目は「杜若」(かきつばた)。  
 諸国を巡る僧が、三河国に着き、沢辺に咲く今を盛りの杜若を愛でていると、ひとりの女が現れ、ここは在原業平ゆかりの杜若の名所八橋(やつはし 現在の愛知県知立市八橋)の地であることを話します。さらに女は、僧を自分の庵に案内した後、自分が杜若の精であると明かしたうえで、業平が歌舞の菩薩の化身であり、その和歌の言葉は非情の草木をも救いに導く力を持つと語ります。そして、伊勢物語に記された業平の恋や歌を引きながら、幻想的でつややかな舞いを舞う…、そんな作品です。
 続いて演じられた「石橋」(しゃっきょう)は中国・インドの仏跡を巡る旅を続ける寂昭法師(大江定基)が、中国の清涼山(しょうりょうぜん)にある深い谷にかかる石橋付近に着いた時、橋の向こうから文殊菩薩の使いである獅子が現われ、香り高く咲き誇る牡丹の花に戯れながら獅子舞を舞うという話。
「杜若」のしっとり落ち着いた優美な舞い、「石橋」の舞台狭しと二頭の獅子が跳ねまわる勇壮な舞い、ともに十分目を楽しませてくれました。昨年5月に見た「景清」を親子の情愛というストーリー性重視とするならば、今回の作品はいずれもお客さんの視覚に訴えるビジュアル系作品と言えるでしょう。能の演目の幅広さを実感した次第。
 両作品の間に演じられた狂言は「清水」。
 茶会を催す主人に清水に行って水を汲んでくるよう命じられた太郎冠者。茶会の度に清水へ行かされるのを嫌った彼は、鬼が出たと言って戻ってきます。主人が不審に思って清水まで見に行くというので、太郎冠者は先回りして鬼の面をつけて主人を脅しましたが、鬼があまりに太郎冠者をひいきすることが発端となって、結局主人にばれてしまうというストーリー。調子にのると失敗するということか。いや、おもしろかったです。

by takeshi_yamagen | 2009-05-17 11:36 | 能・狂言鑑賞記  

<< 事態は急展開!新型インフルエン... 民主党代表選挙、はっきり言って... >>