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飢え、寂しさ、そして いじめ。 ー母の学童疎開ー

 09.8.17 
 8月15日付「朝日新聞」夕刊は、戦時中の学童疎開の記録を残す会の発足を伝えています。大人の始めた戦争でいつも犠牲になるのは子どもであることを、訴えていかれるとのことです。
 実は大阪市立玉造国民学校に通っていた母も、現在の泉南市樽井のお寺で集団疎開生活を経験していました。 
 毎日の食事は玉ねぎばかり。飢えとしらみの襲来、そして家族と別れた寂しさで夜は十分眠れず、昼間は昼間で地元の子どもたちによくいじめられ、辛い思いをしたと言います。 
 また、堺空襲の真っ赤な炎が夜空を焦がす度に「大阪は大丈夫だろうか」と、不安がこみ上げてきたこと、パイロットの顔がわかるほど近くを米軍機がすり抜けて行き、身の縮む思いをしたこと、さらには「広島に新型爆弾が落ちたらしい」と、先生方が不安げに新聞を広げておられたことなど、母の証言は子どもたちの間にも太平洋戦争末期の緊迫した空気が漂っていたことを窺わせるのに十分でした。
 母にとって楽しい思い出などひとつもなかった学童疎開、戦争が終わった時は、さぞかしほっとしたかと思いきや、母がまず思ったのは「灯火管制がなくなって、(盛り場がにぎやかになって)不良が増えるなぁ」ということだったとか。ちょっと意外でした。
 ところで15年ほど前、その泉南市樽井で仕事をした時、母らの学童疎開をよく覚えているH本さんというおじさんにお会いすることがありました。「確かに市内の子、よういじめたし。山元さんのお母さんらにも悪いことしちゃあたし…」と、Hさんは泉州弁でしみじみと語っておられました。
 その話を伝えると、母は「本まにえらい目におうたんやで」と言いつつも、その目は笑っていました。
by takeshi_yamagen | 2009-08-17 23:12 | 山元家の人々