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斎藤孝著『なぜ日本人は学ばなくなったのか』④ ―議会のありかたを考える―

 10.11.11
 たとえば、池田で議員定数の削減が論議され、橋下知事や名古屋の河村市長が声高に議会を攻撃し、首長と議会の在り方や二元代表制が論議されている今、議会についても歴史を紐解いて基本に返る必要があると、私は思います。
 古くは国王の権利を制限した13世紀イギリスのマグナカルタ、フランス革命、そして明治期の自由民権運動など、人民は議会を作り権力者の圧政と戦い、その権力を牽制してきたわけです。その基本は政治の執行者(市長、知事)が市民に選ばれるようになった今でも変わりません。
 つまり、議会は人民の権利、生活を守る機関として生まれ、発展してきたわけで、議会の定数削減や権能の引き下げは、とりも直さず市民の声が政治に届かなくなることを意味するというわが党の主張の歴史的根拠も、まさにここにあるわけです。
 逆説的に言うならば、なるほど確かに橋下知事や河村市長、現在はそれなりの人気があるでしょう。しかし、彼らに従って議会の権能を低めるならば、今後、市民の願いに耳を貸さない首長が出現したときに、市民はその悪政を食い止める術を、選挙以外は事実上なくしてしまうのではないでしょうか。一時の首長の主張と議会の在り方は分けて考えるべきです。
 池田市議会9月定例会でも、民主党の議員から「市長から定数削減案が出される」という発言がありました。しかし、そもそも首長が議員定数に干渉すること自体、この歴史の大義に照らしてどうなのか、よく考えてみる必要があります。
 なお、議会が市民の権利、生活を守る場であることを根拠に、議会費(公費)が支出されているわけですから、その経費節減に努めることは言うまでもありません。その点から言って、多くの議員がオーストラリアに赴くことが果して妥当か否か、これもやはり再考する必要があると、私は思います(10/3・6付ブログ参照)。

 書評に始まった話があらぬ方向に行ってしまいましたが、それだけ同書が示唆深く、考えさせられる本であるということ。一読おすすめします。

by takeshi_yamagen | 2010-11-11 03:36 | 積ん読・乱読・熟読日記  

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