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60年の友人

 12.5.9
 父には60年のつきあいのAさんという友達がいます。私も小さい頃にかわいがってもらったのですが25年お目にかかっていなかったので、一度会いに行こうということになり、4日豊中市内の食堂でおちあうことになりました。
 実はAさんと父は、朝鮮戦争、レッドパージから党分裂と続く日本共産党にとって最も厳しい時代であった1950年代に京都市左京区でともに活動していた間柄、「急に君が地下に潜ったから俺が細胞(支部)のキャップやることになってしもた」(父)、「HとKは朝鮮に帰還したままや(当時共産党は朝鮮籍の人の入党を認めていました)」(Aさん)、「方針がメモやレポートという形でおりてきていたけど、全然わからなかった。どうも分裂した両派から方針が来てたみたいやね」(父)と、出てくる話はまさに生きた日本現代史、徳田球一、谷口善太郎、寺前巌といった党の幹部の名前もぽんぽん飛び出します。
 戸惑っていたのは同席したわが息子、「細胞」「北に帰る」「かんけん(官憲)につけられる」といった“業界用語”についていけなかったようで「地下に潜る」に到っては本当に地面を掘削することと思っていた様子。まぁ、無理もありません。
 ところで、私は先月19日に35年来の親友をがんで亡くしました。ですから「60年の友達ってこうなるのか…」と羨ましくもちょっと複雑な思いでいつ尽きるとも知れない二人の話に聞き入ってしまいました。

by takeshi_yamagen | 2012-05-09 08:39 | 山元のすべらない話  

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