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あの日のこと ―阪神淡路大震災から20年― ②

 15.1.20
 テレビが回復して画面に神戸の街が映し出された。へしゃげた木造家屋、傾き倒れたビル、波打つ線路、そして横転した阪神高速神戸線―、その惨状に言葉を失いつつも、わずか10km余西側の、1、2年に一度は訪れるあのおしゃれな街神戸の変わりようをにわかに現実として受け入れがたく思っている自分がいたのも事実だった。
 そうこうするうち職場から「しばらく自宅待機せよ」、続いて「今日は来なくていい」との連絡があった。そして、その直後今度は妻の勤める診療所から「患者の安否を確認したいんやけど、車運転できる人がいないので手伝ってくれないか」との依頼があり、図らずも此花区内を一巡することになった。
 まず酉島診療所へ向う。
 診療所の2階建の建物は東に大きく傾き、東接する建物が西に傾いたため、互いの2階部分が支え合うように「ごっつんこ」した状態になってしまっていた。その見事な左右対称ぶりに不謹慎にもちょっと笑ってしまう。さて前の車道に目を転じると歩道に沿ってアスファルトが裂け砂混じりの水が噴出、道向いの流通センターでは高く積まれたビールケースが倒壊してあたりにビール臭が漂っていた。結構此花区内も被害が出ていることを実感。
 患者さんの無事をほぼ確認し一応「御役御免」となった私は「淀川の堤防が大変なことになっている」と聞いて行ってみた。左岸のコンクリートブロック製の護岸が波打つように崩壊し、まるでのたうちまわる黒い龍のよう。決壊の恐れすらあると私は思ったが、川沿いの住民は避難するでもなく結構のんびりと崩壊現場を眺めておられていたのが不思議だった。

by takeshi_yamagen | 2015-01-20 06:08  

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