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被爆者Kさんが亡くなりました

 16.10.21
 御近所にお住まいの広島の被爆者Kさんが亡くなられました。
 Kさんはその時8歳、爆心から1.5キロの小学校で被爆されました。木造校舎が崩壊する中で奇跡的に助かり「あの日『おかぁさぁん…』てつぶやきながら死んじゃった同級生のこと思うと今でも本当に可哀想で、可哀想で…、生き残った私は71年間罪の意識をもって生きてきたの。だからあの日のことは喋りたくないわけ」と言いながらも、小学校にいて助かった児童は自身を含めて二人だけだったこと、兄が学校に助けにきてくれたこと、広島西方の廿日市に避難したことなど、あの日のことを赤旗の集金時に断片的に教えてくださいました。
 オバマ広島訪問には「私、もう嬉しくって嬉しくって…、これまで生きててよかったと本当に思ってます。謝罪がなかったとか、政治的な思惑があるのだろうとか、いろいろいう人がいるけど、私、そんなこともうどうでもいいの。私たちも戦争中『鬼畜米英』って『アメリカ人は人間じゃない』て散々罵っていたわけで、そんなところによく来てくださいましたって思います。資料館を見て被爆者の話も聞いてくれて、私は涙が出ました。この訪問が核兵器廃絶に絶対つながるって私は信じてます」と話され、「やっぱりあの日のことは喋っとかないとだめって最近思ってきています。だって私たちがあの日の広島の惨事を知る最後の世代、もっと小さい子だと記憶ないだろうしね…」と続けられた直後の訃報、残念ながらKさんの決意が実現することはありませんでした。
 あのむごたらしい戦争はもう絶対にしてはいけない-、血を吐くような反戦の思いから長年わが党を支持してくださったKさん。党員ではありませんでしたが、近所の赤旗の配達・集金を手伝ってくださり、時には「○○さん、とってくれましたよ」と読者拡大にも協力してくださいました。10年余のおつきあいでしたが、本当にありがとうございました。Kさん、やすらかにお眠りください。

by takeshi_yamagen | 2016-10-21 13:05 | 墓碑銘 ー送ることばー  

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