御存知ですか?石橋に大きな弥生時代の遺跡があります ―宮の前遺跡―
2018年 03月 19日
18.3.19
石橋4丁目から住吉2丁目、豊中市蛍池北町にかけて大きな遺跡がありました。宮の前遺跡です。今からちょうど50年前(1968~69年)の中国縦貫道建設に先立つ調査以来、池田市、豊中市、大阪府の各教育委員会や府文化財センターによる発掘調査が行われ、宮の前遺跡が弥生時代(およそ2千年前)のムラであることが明らかになりました。
弥生時代は稲作が始まった時代。宮の前遺跡は、箕面川から分かれた小規模な河川を利用して、石橋の地で初めて水田を営んだ人々のムラだったのです。また宮の前遺跡では木棺の周囲を四角く溝で囲んだ墓(方形周溝墓)が見つかり、それまでよくわかっていなかった近畿地方の弥生時代のお墓の研究が大きく進むきっかけともなりました。
猪名川と箕面川の合流点近くの伊丹市中村で銅鐸が見つかっています。宮の前遺跡のような箕面側沿いに展開したムラのお祭りで使われていたのかもしれません。
なお石橋南小学校の校章は宮の前遺跡の弥生土器をモチーフにして制定されたものです。(写真は石橋南小学校外周に設置された説明版)。
弥生時代は稲作が始まった時代。宮の前遺跡は、箕面川から分かれた小規模な河川を利用して、石橋の地で初めて水田を営んだ人々のムラだったのです。また宮の前遺跡では木棺の周囲を四角く溝で囲んだ墓(方形周溝墓)が見つかり、それまでよくわかっていなかった近畿地方の弥生時代のお墓の研究が大きく進むきっかけともなりました。
猪名川と箕面川の合流点近くの伊丹市中村で銅鐸が見つかっています。宮の前遺跡のような箕面側沿いに展開したムラのお祭りで使われていたのかもしれません。
なお石橋南小学校の校章は宮の前遺跡の弥生土器をモチーフにして制定されたものです。(写真は石橋南小学校外周に設置された説明版)。
by takeshi_yamagen | 2018-03-19 12:45 | イシバシ NOW