山元たけしのファミリーヒストリー③ ―山元家と北海道―

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 18.4.9
 私の祖父山元正二(190676)は10人?兄弟の末子で学校を出るとすぐに家を出て、京都で働いている時に広島出身の祖母と知り合い父が誕生、そして今の私があるというわけです。一方その祖父の長兄忠蔵は大正の初め妻子とともに北海道に渡り旭川の北にある和寒(わっさむ)という町で炭焼きの仕事を始めたとのこと。普通長男が家を出ることは戦前の日本社会では考えられないのですが、そこにはどうも本家の複雑な事情があったようです。
 
さてその忠蔵、寒さに苦しみクマの出没に怯えつつも仕事自体はうまくいきかけていたようなのですが、1922(大正11)年7月突然死去(享年は40歳ぐらい。死因は脳梗塞系の疾患だったようです)。やむを得ず妻の志乃は子どもたちの手を引いて富山に引き上げて来ました。それ以来本家を守った彼女は1986年その99年の人生を閉じます(私も41年前の訪問の際1度だけ会っています)。
 
私の親族はほぼ全員が名古屋以西に住まいしており、東日本や北日本との関係はありません。したがってこの忠蔵のおよそ1世紀前のおよそ10年間の北海道での活動は山元家の唯一の例外といえます。祖父の長兄が北海道に渡ったことは以前から知っていましたが、その詳細を知り得たのは今回の訪問の大きな収穫だったといえるでしょう(写真は忠蔵・志乃夫妻の写真。忠蔵の写真は山元家の人物を写した現存最古のものと考えられます。08/5/13付当ブログ参照)。


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by takeshi_yamagen | 2018-04-09 10:38 | 山元家の人々