遣隋使と首相秘書官
2018年 04月 13日
18.4.13
今はどうか知りませんが、私たちの習った歴史の教科書には推古天皇の摂政聖徳太子(厩戸皇子)の業績のひとつとして607年の遣隋使 小野妹子の派遣が書かれていました。しかしそれに先立つこと7年、600年にも遣隋使は派遣されていたようなのです。600年のそれが教科書に載っていない理由については、607年の遣隋使は中国側の史書「隋書」と日本側の史書「日本書紀」に記されているのに対して、600年のそれが「随書」にしか記録がないことと関係していると考えられます。逆にいうと607年の遣隋使は日中双方に記録が残っているため、歴史的事実としてほぼ認められるからこそ教科書に載ったといえます。
さて2015年4月2日首相秘書官(当時)の柳瀬唯夫氏が愛媛県や今治市の職員と会った際に加計学園獣医学部建設を「首相案件」と述べたとする文書の存在を、愛媛県知事に続いて農水大臣が認めました。中央・地方の双方が記録の存在を認めたことから柳瀬氏の「首相案件」は政治的事実ということになります。首相が「加計学園が獣医学部申請していることを初めて知った」とする2017年1月の2年近く前から、国家戦略特区として「加計ありき」が始まっていたわけです。さらに「首相秘書官が官邸で外部者と面会したということは、事前に首相の指示または了解があり、事後に報告があったことに疑いがない」と前川喜平前文科省政務次官が強調するように、首相がこの「首相案件」を知らなかったという言い分ももはや通用しません。
ことここに到っても「事実でない、記憶にない」とおっしゃるのなら仕方ありません。小野妹子さんと梁瀬唯夫さんには証人喚問に出てきてもらって白黒をはっきりさせてもらおうではありませんか。ついでに聖徳太子と安倍首相をお連れしていただいても結構ですよ。
by takeshi_yamagen | 2018-04-13 19:58 | 山元のすべらない話