立派な軍国少年に育ちましたが… ―父二郎の葬儀でのあいさつから①―

 18.10.14

 以下は11日の父の葬儀の際の私のあいさつです


 親族を代表して一言ごあいさつ申し上げます。

 本日はお足元の悪い中父二郎の告別式に足を運んでくださり本当にありがとうございます。7日の夜父は静かに旅立ちました。

 父は1932年(昭和7年)生まれです。物心ついた時日本はすでに戦争一色、父もお国のために命を捧げるのを誇りだと考える立派な軍国少年に成長したようです。ただ生前の父の話では山元家とその周辺の大人たちはどうも一様ではなかったようです。戦前京都で反戦活動に関わったことのある父母(私たちからみると祖父母)は当然戦争を快く思っていませんでした。また父の担任の先生(※)は、当時教師の指名が当たり前だった級長の選出を子どもたちの民主的な選挙に切り替えて、在日朝鮮人の子が級長になったこともあったらしく、民族差別の激しい頃ですので一時物議を醸したようです。

 ※この先生は戦後共産党の京都市会議員(左京区選出)を務められた神野七五三男(かんのしめお)さんです。





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by takeshi_yamagen | 2018-10-14 21:16 | 山元家の人々