庭に込められた反戦メッセージ ―東福寺訪問記②―

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18.10.25
 方丈庭園北庭の続き。

 一辺一尺ほどの正方形の白い石が交互に配され、苔むす地肌とみごとな市松文様をなしています。しかしよく見ると向かって右側(東側)に行くにしたがって市松文様は崩れ、正方形の石も背後の谷に落ち込むように散らばってまばらになっていっています。実はかの御婦人が涙したのがこの北庭です。はたして重森さんの訴えたかったことは何だったのか、そして彼女の涙の意味は…?

 私は欄干に軽く手を置いて市松文様を見下ろしながらしばし熟考。手がかりはやはり文様を構成する正方形の石の粗密さ―。そう、整然とした市松文様が徐々に崩れ散らばっていく様は人間社会の崩壊を、正方形の石で表わされる個人からみればそこからの落伍を示しているのではないか。おそらく涙した御婦人は慣れ親しんできた社会の喪失、大切な人々との不条理な別れなど、自らが経験してきた悲しい出来事をこの市松文様に重ねたのではないか。そしてその悲しい出来事とはおそらくは戦争であり、彼女は重森さんの込めた反戦のメッセージを読み取り、心揺さぶられたのではないでしょうか。これが私のさしあたっての結論です。

 さらに想像をたくましくすれば、人々の悲しみを表す北庭と対をなす南庭の巨大な横石は伝説の島でも鯨でもなく軍隊の象徴たる艦隊を、東庭の北斗七星は重森さんの反戦の揺るぎない決意を示しているのではないでしょうか。

 方丈庭園がつくられたのは日中戦争が泥沼化しつつあった1939(昭和14)年であることから考えて、この私論、あながち暴論ではないと思うのですが、みなさんいかがでしょうか。この革新的な庭園に実際に出向かれて一度お考えくださいませ。







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by takeshi_yamagen | 2018-10-25 10:31 | 日本たびたびまた旅日記