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元史建歴22 森絹子先生のこと① 勉強の楽しさを詰め込まれました

 08.6.7
 1970年春、私は北豊島小学校3年1組に進級した。
 新しい担任の先生は森絹子先生。当時50歳前のこの先生こそ、私の人生を決定づけた先生であるといっても過言ではない。
 森先生については、思い出がありすぎて何から語り出すべきか、本当に悩んでしまうのだが、まずあげるとすればその授業の楽しさであろう。
 例えば国語。新しい漢字が出ると、先生は必ずその字を使った熟語を見つけ出してくることを宿題にされた。誰もが親に聞いたりして探しあてた熟語を次の授業で発表するわけだが、それは授業というよりまさに駄菓子屋の「あてもん」の乗り。楽しみながら、みんなが知っている熟語を出し合って、みんなが賢くなっていくという雰囲気に満ち溢れた授業であった。
 また、先生は授業(特に社会科)の合間によく余談を挟まれたが、それがまたおもしろかった。
「戦争中、ひもじかったので道端の草を抜いて今のダイハツの工場で蒸してもらって食べたんやで」
「昔、石橋駅の向こう側は野村、玉阪村って言ったんだけど、時々村の人が今の阪大坂のところでキツネに騙されたらしいよ」
「台風で箕面川の橋が流れてしまって、先生やのに遅刻してしまったことあるんや」
どれも子どもたちの行動半径内の身近な場所の話だけにみんな興味津々。先生はよく「また(話が)脱線してしまった」などと言っておられたが、今から思うとおそらくどれも計算づくだったのであろう。
 さらに、先生はゲームもよくしてくださった。
 みんながばらばらに書いたカードをつなげて思いがけない文章をつくる「いつ、どこで、だれが、なにをした」は、英語の5W1Hなどを学ぶ下地を築いてくれたように思うし、魚などの種類を次々出し合う「魚鳥木」は動植物への関心を高めてくれたのは間違いない。
 先生に担任を受け持ってもらった2年間、私は「勉強は楽しい」ということを、徹底的に「詰め込み教育」されたのである(16/12/30付ブログ参照)。
  

by takeshi_yamagen | 2008-06-07 18:51 | 元 史 建 歴  

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