「あるはず」の文化 ―十三駅の「阪急そば」、阪神タイガース、そして法隆寺―

 08.7.5 
 今朝の『朝日新聞』に阪急十三駅にある「阪急そば」が取り上げられていました。
 特別強い個性があるわけでもないこの店に愛着を持つ人が多いのは、「阪急十三駅がある限り、この店はずっと存在し続けるだろう」と思われていること-つまり、いつまでも「あるはず」の安心感-にあると、食べ鉄評論家の荷宮和子さんは述べておられます。
 これを聞いて私はかつてのプロ野球パリーグの在阪3球団の不人気を思い出していました。
 その理由として「巨人戦がないから」「3球団でファンが分散しているから」などといった声をよく聞きましたが、それは正しくありません。交流戦で巨人とも戦えるようになっても、一つだけになっても、現在のパリーグ在阪球団に引き続き人気はありませんから。 
 かつてのパリーグ3球団はどこも身売り話が絶えなかったり、ホーム球場すら定まらない球団すらあったりしたこと、現在唯一の在阪球団にしても阪神間の球団名と河内の球団名を強引にひっつけたり、「神戸」を球団名に入れてほしいという市民の声を一顧だにしなかったり、球場名を金儲け優先でころころ変えたりしていること…、そんな姿勢に関西の野球ファン誰もが、地元にいつまでも「あるはず」の球団ではないということを、敏感に感じとってきたのが不人気の最大の理由だと思います。そこが阪神タイガースとの決定的な違いです。
 話は変わりますが、同じ理由で、一番好きな寺はどこかと聞かれたら、ためらうことなく私は法隆寺と答えます。法隆寺には、あの場所にあの木造の五重塔や金堂が世界中で最も長い間「あり」続け、これからも「あるはず」という、いかなる理屈をもはねのける、重く沈殿した揺るぎない安心感があるのです。
 そう、文化の基盤には、ものや人がそこに「あるはず」「いるはず」という安心感がどうしても必要なのです。
 今、これからも「あるはず」だった「文化」施設・団体を次々潰し続ける橋下知事、その口から「ミュージアム(博物館)」が語られる時の言いようのない虚しさ…。私には耐えることができません。
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by takeshi_yamagen | 2008-07-05 17:43 | 建声元語 ―よもやま話―