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2010年 04月 25日 ( 1 )

積ん読・乱読・熟読日記12 井上ひさし著『私家版 日本語文法』   

 10.4.25積ん読・乱読・熟読日記12 井上ひさし著『私家版 日本語文法』   _c0133503_1722149.jpg
 今月9日に亡くなられた井上ひさしさんの著書を、私もいくつか読んできた(「吉里吉里人」は挫折中であることは昨日書いたとおり)。中でも印象の残っているのが『私家版 日本語文法』(1981 のち新潮文庫1984)。
「ざわめく」「どよめく」など古来日本語には擬声語が豊富なことを示して、三島由紀夫の擬声詞批判を批判する「擬声語」の話も痛快であるが、私が最も知的刺激を受けたのは「敬語量一定の法則」。
 その小編の中で井上さんは「(東北地方に広がる)南奥方言人間が自分自身を語るときに表情のどこかに微かに曖昧模糊とした戸惑いの色を泛べ」たり、「第三者を話題の主人公にするとき、きまって手をこすったり、頭を撫でたり、目玉を数回、落ち着きなく動かしたり」して敬意を表す例をあげたうえで、柳田國男に対して敬意を抱きながらも、彼がこうした「非言語的敬語表現に留意せず」に同地を無敬語地域としている点を批判している。
 その話を読んで、私は15年ほど前、初めて訪れた鹿児島で、地元の考古学研究者のNさんから南九州の古墳についてお話を伺った時、Nさんが話の途中でしきりに口をゆがめられたり、体を少し揺らして、ちょっと落ち着きのないそぶりをされていたのを思い出した。当時はNさん個人のくせなのかな、と考えたのだが、どうやらそれも来訪者(私)に対する謙譲の念の表れだったようだ。
 この私見が正しければ、「ことば」による敬語表現が、おそらく京都から全国に広がっていく過程で、かつて日本列島で一般的であった「しぐさ」の敬語表現が東北と南九州というその両端に近いところに追い込まれていったと考えるのが自然であろう。あれ?これって他ならぬ柳田國男自身の文化周圏説そのものではないですか。柳田國男が非言語的敬語表現に留意していたならば、自身の理論を補強できたのに、と思うと少し残念だ。
by takeshi_yamagen | 2010-04-25 09:36 | 積ん読・乱読・熟読日記

日本共産党 大阪・池田市会議員  山元たけしの日々の活動を綴ります


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