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2019年 05月 05日 ( 1 )

場 の 記 憶

 19.5.5
 最近10年前に亡くなった母がちょくちょく夢枕に現れます。
 2004年まで15年ほど経営していた銭湯を訪ねると、私を一瞥するなり「あぁ、建か。ちょっと待っててや」とかなんとか言いながら父とともにまめまめしく働く母、正月に大阪市東区(現中央区)玉造にあった祖母宅に集い、親族との再会を喜ぶ母―、そんな過去の出来事の再現のような夢が多いようです。そして夢を見た翌日は必ずといってようほど胸が締めつけられるような悲しみに駆られます。母が死去した時には感じなかった類の悲しみです。
 よく考えてみると銭湯風景にせよ年始祝いにせよ、当初はそこに居合わせた誰もの記憶に残っていたものばかり。年月の流れとともに、その場の記憶を共有できる人が少なくなっていくことに、私はどうしようもない悲しみを無意識に感じたようです。
 ところで、このような場の記憶の消失は、まず祖母とその世代が逝き父母の世代が続くというように徐々に進み、誰かが記録に留めでもしない限り最後の当事者の死去で、永遠にこの世から消えてなくなっていく性格のものです。また時としてそれらの場の記憶は残った者の生きる糧ともなり得ます。
 場の記憶の消失は徐々に進むと書きましたが例外はあります。大規模な津波のような災害と戦争によって引き起こされる大量殺戮です。例えば74年前の8月6日のヒロシマの爆心地では、多くの市民の即死とともに共有されてきた幾多の場の記憶も一瞬にして消えてなくなってしまいました。核兵器は家族や仲間と過ごした楽しかった思い出さえ瞬時に奪ってしまい、この世に残すことすら許さないのです。
 5月3日の憲法記念日につらつら思ったことを書き連ねた次第。

by takeshi_yamagen | 2019-05-05 17:35 | 山元のすべらない話

日本共産党 大阪・池田市会議員  山元たけしの日々の活動を綴ります


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