カテゴリ:日本たびたびまた旅日記( 82 )

庭に込められた反戦メッセージ ―東福寺訪問記②―

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 方丈庭園北庭の続き。

 一辺一尺ほどの正方形の白い石が交互に配され、苔むす地肌とみごとな市松文様をなしています。しかしよく見ると向かって右側(東側)に行くにしたがって市松文様は崩れ、正方形の石も背後の谷に落ち込むように散らばってまばらになっていっています。実はかの御婦人が涙したのがこの北庭です。はたして重森さんの訴えたかったことは何だったのか、そして彼女の涙の意味は…?

 私は欄干に軽く手を置いて市松文様を見下ろしながらしばし熟考。手がかりはやはり文様を構成する正方形の石の粗密さ―。そう、整然とした市松文様が徐々に崩れ散らばっていく様は人間社会の崩壊を、正方形の石で表わされる個人からみればそこからの落伍を示しているのではないか。おそらく涙した御婦人は慣れ親しんできた社会の喪失、大切な人々との不条理な別れなど、自らが経験してきた悲しい出来事をこの市松文様に重ねたのではないか。そしてその悲しい出来事とはおそらくは戦争であり、彼女は重森さんの込めた反戦のメッセージを読み取り、心揺さぶられたのではないでしょうか。これが私のさしあたっての結論です。

 さらに想像をたくましくすれば、人々の悲しみを表す北庭と対をなす南庭の巨大な横石は伝説の島でも鯨でもなく軍隊の象徴たる艦隊を、東庭の北斗七星は重森さんの反戦の揺るぎない決意を示しているのではないでしょうか。

 方丈庭園がつくられたのは日中戦争が泥沼化しつつあった1939(昭和14)年であることから考えて、この私論、あながち暴論ではないと思うのですが、みなさんいかがでしょうか。この革新的な庭園に実際に出向かれて一度お考えくださいませ。







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by takeshi_yamagen | 2018-10-25 10:31 | 日本たびたびまた旅日記

御婦人の涙 ―東福寺訪問記①―

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18.10.24   重森三玲(しげもり みれい 18961975)という人については、そのお名前と昭和期の作庭家であることぐらいは知っていたのですが、特に強い関心を持ってきたわけではありませんでした。しかし少し前ある本の「彼の作品を見て涙した西洋の御婦人がいた」という文章に触れ「西洋人が涙する日本庭園、一度見てみなければ」と俄然興味が沸いてきました。

 そのお庭があるのが、重森さんを知る前から一度は行ってみたいと思っていた京都市東山区の東福寺です。休暇を利用して昨日思い切って訪ねてきました。

 室町時代初期の巨大な三門を見上げながらまず紅葉の名所通天橋を見学(まだ色づきはちらほら。お客さんもさほど多くありませんでした)、その後目的の方丈庭園に向かいます。大方丈と呼ばれる禅宗建築の四方を枯山水の庭がとりまいているのですが、入口の渡り廊下の右側の、長さの異なる七つの円柱石(北斗七星を表すらしい)からなるこじんまりした東庭を見やり、やおら視線を左に移すと大海を表す白砂に浮かぶ巨石群が目に飛び込んできます。南庭です。北山の龍安寺石庭をダイナミックにしたようなこのお庭、横長の石を位置をずらしながら平行に配している様子が実に個性的。パンフレットによると中国古来の蓬莱神仙思想による四仙島を表しているとのことですが、波しぶきを上げて進む鯨の群れのようにも見えます。さらに植え込みを市松文様に配した西庭を見た後北庭へと向かいました。

 






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by takeshi_yamagen | 2018-10-24 22:00 | 日本たびたびまた旅日記

新しい塔もいいもんだ ―中山観音を訪ねて―

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 阪急宝塚線は先年服部→服部天神、中山→中山観音と駅名を改称、今までの売布神社、清荒神とあわせ以前にも増して神様、仏様の居並ぶご利益満載、霊験あらたかな路線となったことを思い出し、先日「改称後は降りてへんなぁ」と中山観音駅でぶらり下車、北側の山麓に広がる広大な伽藍に向かうと、やや右手上方に五重塔が見えてきました。黒光りする瓦に金ピカの勾欄と水煙、さらには各層の甍を縁る朱色の垂木…、なんとも美しい!「こんな塔、昔あったかな」と思ってお坊さんに聞くと昨年3月落成法要を行ったばかりとのこと。
 法隆寺や薬師寺、室生寺などの古くから建つ塔も趣がありますが、冬の清新な空気の中に建つ新しい塔もなんとも溌剌としていいもんですね。 

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by takeshi_yamagen | 2018-01-14 19:57 | 日本たびたびまた旅日記

石橋―茨木 路線バスのたび

 17.7.4c0133503_17345033.jpg 大阪9区を担当する共産党の茨木・豊能地区委員会の事務所はJR茨木と阪急茨木市駅の間、ややJR寄りにあります。公共交通機関を使うと石橋から阪急電車に乗るのが一般的なのですが、私は時間に余裕があれば国道171号を走る路線バス(阪急バス)を使います。
 電車は所要時間こそ少し短いのですが、十三(じゅうそう)で乗り変えなければならず、必ず座れるとは限りません。その点バスだと始点(阪急石橋)から終点(JR茨木)まで乗るのでまず座れるし乗り過ごしもありません(ちなみに料金はほぼ同じです)。ゆっくり座って車窓に広がる北摂の山並みや箕面の田園地帯の風景を楽しむ小1時間のプチ旅行―、気分は完全に蛭子さん状態!? パンなどを食べている高校生の姿もそんなに珍しくありませんし、往復すれば短い文庫本なら読み終えてしまいます。
 先週ちょっとアクシデントがあってマイカーが使えずやはりバスを利用しました。渋滞などによって所要時間が左右されることと最終バスが早いこと(JR茨木午後9時31分発)だけが玉に傷ですが、通勤時の路線バスのたびを今回も密かに楽しんだ次第です。 
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by takeshi_yamagen | 2017-07-04 18:00 | 日本たびたびまた旅日記

能勢雑感③ 硫黄ほのかな山空海温泉

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 能勢から池田に戻ってくる時、陸海空軍…、もとい弘法大師空海、いや山空海温泉に立ち寄りました。
 元々豊中市内のお医者さんが患者さん用に掘り当てたというだけあって温泉棟以外はプレハブが数棟並ぶだけの、実にこじんまりした温泉で、浴室も湯船が二つ、まぁ数人が入ればいっぱいというミニサイズ。先客も若いお兄ちゃんとおじさんのお二人だけ、田尻川の流れを眺めながらくつろいでおられました。
 お湯を手に取ると幼い日、行水時に嗅いだ香りがほのかに漂います。山空海温泉は大阪周辺では珍しい硫黄泉なのです(※)。先客のおじさん(Mさん)は「川西に住んでるけど、月に2,3回は来てるよ」と話され、うれしいことに「家で赤旗日曜版とってる。僕は新聞読むくらいしかできないけどがんばってくださいね」と続けられました。
 心身ともにリフレッシュ!元気に能勢を後にしました。

※私が知らなかっただけで硫黄泉は周辺にいくつかあるようです。
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by takeshi_yamagen | 2017-04-29 17:29 | 日本たびたびまた旅日記

能勢雑感② 能勢ってとってもおっしゃれ~

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 投票日の翌日(24日)、中西町議と訪れたのが、山辺にあるソトダイニングというカフェ。テラスの前に自然の沢を取り込んで、せせらぎを聞きながらランチを楽しめます。平日なのに女性客でほぼ満席なのも頷けました。
 また片付けの日(27日)に共産党茨木・豊能地区委員長の大嶺さんとお昼に行ったのが、中西議員宅のすぐ奥にある茅葺き民家を改造したお蕎麦屋さん、蔦屋。大変こしが強いお蕎麦は絶品。その歯ごたえはくせになりそうです。。c0133503_16294289.jpg
 他にも能勢にはおいしい喫茶店、ジビエ料理の店など、興味深いお店がたくさんあります。またゆっくり訪ねたいですね。
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by takeshi_yamagen | 2017-04-29 16:32 | 日本たびたびまた旅日記

能勢雑感① 春の能勢は耳を楽しませてくれます

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 今度の能勢町会議員選挙は、垂水集落にある中西議員宅を拠点に闘いました。夜遅くその中西宅で作業していると前の水田からカエルの合唱が聞こえてきます。ゲェ、ゲェとあまりガラがよくないのもいましたが、コロ、コロとカジカほどではないにしてもやさしい声を聞かせてくれるのもいて結構私は癒されました。中西議員に言わせると「水を張った田んぼにいるのと陸上にいるのとでは鳴き声が違うんやで」とのこと。さすがにそこまでは私には聞き分けられませんでした。
 ホーホケキョとウグイス、ピーチクパーチクとヒバリ、ピー、ピーと夜空に求愛の声を響かせるシカ…、春の能勢は実に耳を楽しませてくれます。
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by takeshi_yamagen | 2017-04-25 18:53 | 日本たびたびまた旅日記

さぬき紀行⑨ 食いしん坊香川

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 香川といえば讃岐うどん。こしの強さは他の追随を許しません。
 そのおいしいおうどん―、天かす、わかめ、玉子をたっぷり乗せたものから、ホテルの仲居のおねぇさんお薦めのカレーうどんまで、今回心ゆくまで堪能させてもらいました。
 東京出身の作家故吉村昭さんが、香川での講演を終えて夕食に「うどん食べましょう」と誘われた時、「うどんは子どもが病気の時に食べるもの」みたいな先入観があって当初困惑したが、一度口に運ぶや否やその美味しさに驚嘆したと、ある随筆で書かれていたのを思い出しました。同感です。こしの強い讃岐うどんは病人にはかえって向かないかも知れませんね。
 あと、丸亀名物骨付鶏も食べようと思ったのですが、お昼に食べさせてくれる店がなく断念、次回の楽しみに置いておきます。土産に買ったオリーブエキスサイダーは生姜抜いた冷やし飴のサイダーって感じ。さぬきビールはホップの効きが少し弱いけどとってもクリーミー、ってところかな。「どちらも結構いけます」とは私と息子の統一見解。

 肉体的には1泊2日だったこともあって、夏の選挙の疲れがとれたとはとても言えませんが、精神的には予想以上のカルチャーショックのシャワーを浴びてとってもリフレッシュ。解散話もチラホラ出る中、秋の闘いに、さぁ頑張りましょう!(完)
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by takeshi_yamagen | 2016-10-03 11:49 | 日本たびたびまた旅日記

さぬき紀行⑧ 戦国の香りが漂ってきました ―丸亀城天守閣―

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 今回の旅も終盤にさしかかり、メインの観光地は丸亀城を残すのみとなりましたが、その前に一応窯跡研究者(通称「お窯」)を自認する私がどうしても訪れておきたかったところがあります。飛鳥時代にはるばる大和藤原京まで製品(瓦)を供給した宗吉瓦窯(三豊市)です。
 低い丘陵の斜面に24基の窯がズラッと並んで築かれ、16号窯のみ焼成当時の様子がレプリカで再現されて、それ以外は植え込みでその位置が示されており、最も古い窯は…、いかん!このままでは、私のマイナーでマニアックで大多数の読者にとっては退屈以外の何ものでもない講釈たれで、この連載が少なくとも5回は延びてしまう!被害者はうちの奥さんだけで十分。ここは写真で紹介するにとどめて、先を急ぎましょう。
 宗吉瓦窯を出ておよそ30分、丸亀の市街地に入ると程なくこじんまりした天守閣が見えてきました。丸亀城です。石垣の城と呼ばれるだけあってその重なりや稜線の反り具合は見事。ついつい見とれてしまいます(写真)。
 大手門、三の丸、二の丸と急な坂道を登っていくと眼前に再び三層の天守閣が見えてきました。料金を払って入城し、妻と急な階段を伝って一気に天守最上層まで登りつめた私はちょっと呆気に取られました。異様に狭いのです。歩数で計ると一辺5m弱、七、八人も入ればもういっぱいになります。また上方には天井板がなく、梁をはじめとした木材が丸見えです(写真)。江戸時代の天守閣というよりは中世土豪の館の趣です。
 実はこの丸亀城、江戸時代の天守閣が残る「十二城」のひとつで、天守建造年はそのつい半世紀前までまだ乱世が続いていた1660年。この小さな空間は中世、戦国の世の空気の名残を今に伝えているのです。
「今度はどちらにつきましょうか…」
 四国と信州、場こそ違え草刈正雄、堺雅人、大泉洋の額を寄せ合ったひそひそ話が今にも聞こえてきそうな丸亀城天守閣最上層でした。

 ところで丸亀は土佐藩を脱藩した坂本竜馬が一時身を寄せた町。「あの伊予銀行のあたりにあった戸田道場に竜馬は通っていました」と天守閣入口の初老のおじさんが眼下を指差し教えてくれました。「仕官の話もあったらしいけど、彼が丸亀に留まっていたら、歴史にその名は残さなかったでしょうね」「そのかわりおとなしく維新を迎えて長生きできたかも知れません」「いや竜馬がいなければ維新はどうなっていたか…」、思わぬ竜馬話に花が咲きました。
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by takeshi_yamagen | 2016-10-03 11:42 | 日本たびたびまた旅日記

さぬき紀行⑦ 香川に恵みの雨をもってまいりました

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 こんぴらさんを出た私たち夫婦が次に向かった先は日本最大級の農業用溜池満濃池です。
 周囲20km、総貯水量1,540万立米に及び、周辺30キロ平米(池田市面積の約1.5倍!)の水田を潤す満濃池、さすがにでかい。放流路部分は堤というよりダムと呼んだほうよいくらいの存在感を示しています。下からはよくわかりませんが、航空写真を見ると凹凸のない池岸線の続く北岸に比べ南岸は以前からあった幾筋もの谷筋の奥深くまでまるで北欧フィヨルドのごとく池水が入り込み、その形は少し前に話題になったクマムシやダイオウグソクムシのようです。降水量が少なく米づくりに苦労された香川のみなさんの苦労が偲ばれます。
 さて実は私、香川を訪れた時の天気はあまりよくありません。2回目はそれこそ土砂降り、今回も、天気予報が晴れマークだったのにもかかわらず、初日の夕方から2日目の午前中にかけてけっこうしっかり降りました。その度に「水不足で苦しむ香川に大阪から雨をもってきてくださってありがとうございます」と地元の人から感謝されました。
「国民の苦難解消のためにがんばる共産党員冥利につきるなぁ」と私が言うと妻がぽつり。「ほな、このままずっと香川にいたら?
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by takeshi_yamagen | 2016-10-03 11:35 | 日本たびたびまた旅日記