山元たけしの あの日その時、そしてこれから


日本共産党 前大阪・池田市会議員  山元たけしの日々の活動を綴ります
by takeshi_yamagen
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カテゴリ:元 史 建 歴( 44 )


元史建歴34 毎夜、思いはアインシュタイン

 09.12.1    
 小学校高学年の一時期、夜寝床に入って真っ暗になるのが怖い時期があった。
 宇宙の果てはどうなっているのか、いや、その果てのさらに向こう側はどうなっているのか、そもそも空間に限りがあるのか、ないのか。時間はいつ始まって、いつ終わるのか。これまた、そもそも時間に限りがあるのだろうか。そう考えると、宇宙や自然のちょっとしたいたずらで、押し潰されてしまいそうな自分がいたくちっぽけな存在に思えてきて、眠れなくなってしまっていたのだ。
 こんなことばかり考え続けて中学校に入ったら、気が滅入る一方だな、などと考えていたが、それは全くの杞憂。中学に入ると、はるかかなたの宇宙の果てより、すぐ隣の席の女の子の胸元が気になりだし、夜は恐怖の時間から完全に妄想の時間となってしまった(いずれにせよ眠れなかったが…)。
 私の鼻の下がもう少し短かったら、今頃はノーベル賞学者になっていたかもしれない。

 追伸;「最近「元史建歴」がないのでブログを読んでいない」との声を親族の一人(実は名古屋在住の弟)からいただきました。今回は彼のリクエストにお答えした次第。
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by takeshi_yamagen | 2009-12-01 00:42 | 元 史 建 歴

元史建歴33 「みなしごハッチ」

 09.5.31    
 では、なぜ私が全く子どもらしからぬ、可愛げのない話を書くに至ったのか。
 まずあげられるのはその時代背景。社会的な大問題となっていた大気汚染をはじめとした公害問題が私の問題意識の中にあったのは間違いない。
 しかし、なによりも当時放送されていたテレビアニメ「みなしごハッチ」の影響が大きかったと思う。
 スズメバチの襲撃で母親(女王蜂)とはぐれたミツバチのハッチが、母を探して旅を続けるこの番組、実は子ども向けアニメと思えないほど、毎週深く考えさせられる作品が続き、私は放送が終わるといつも涙を流すか、深いため息をついていたように思う。
 例えば、ある作品は、水生昆虫の幼虫君が、仲間の虫や小動物を殺しつくすタガメに強い怒りを燃やすが、ある日、自らがそのタガメの幼虫であることを、他ならぬタガメから宣告され、幼虫君は愕然とする…、といった具合。
「みなしごハッチ」から学んだ、このいかんともしがたい自然の掟、社会の不条理が「えんとつの詩」のモチーフに結実していったのである。
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by takeshi_yamagen | 2009-05-31 10:49 | 元 史 建 歴

元史建歴32 「えんとつの詩」

 09.5.30    
 実は小学校高学年の頃、私は突然自らの文才に目覚め?児童文学ものからSFものまで、さまざまなジャンルの小説もどきの文章を書き散らかすようになっていた。
 私の作文好きに気づいた担任の平田先生は、各種の作文コンクールへの投稿を勧めてくださり、実際に何度か応募したのだが、どれも大した結果には結びつかなかった。それも道理で、当時の作品を今読みかえすと、どれも目も当てられない駄作ばかり。これでよくもまぁ、賞を取ろうとしたり、たとえいっときでも小説家になろう、などと考えたりしたものだ。お恥ずかしい限り。
 文才を認めてくださった点でも、そして、その限界に気づかせてくださった点でも!? 私は平田先生に今でも感謝している。
 さて、そんな駄作の山の中で、「自分で自分をほめたくなる」秀作だと今でも思っている作品が一つだけある。それが「えんとつの詩(うた)」という小編。
 主人公は海辺の町の工場のえんとつという擬人法を駆使したこの作品、自らの出す煙で人々が健康を害し、仲間の小動物たちも去っていく現実に苦しみ、結局、工場の閉鎖の際、喜びながら倒されていくというのがそのあらすじ。自らの存在の否定を喜ぶという、小学生らしからぬ弁証法的な展開―、自分で言うのもなんだが、今読んでもこみ上げるものがある。 
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by takeshi_yamagen | 2009-05-30 01:37 | 元 史 建 歴

元史建歴31 教師吟味

 09.5.29    
 高松塚古墳の発掘、札幌オリンピック、グアム島から横井さん帰国…、正月明けからビッグニュースが続き、なにかとざわざわしていた1972年の春、私は小学校5年に進級することになる。
 今から思うと、5、6年を担任してもらうことになる先生全員のお名前だけは、事前に子どもたちに知らされていたようで、「I西先生とF井先生は怖そうやなぁ」「Y川先生はやさしそうや」と、恐れ多くも先生方をあれこれ選り好みしていたことを覚えている。
 結局、新しいクラスは6組、担任の先生は幸いにも?I西先生でもF井先生でもなく平田斉先生。袴、裃(かみしも)が似合いそうなかくしゃくとした顔立ちの中年の先生で、初めての男の担任教師に私は少し緊張していたことを覚えている。
 
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by takeshi_yamagen | 2009-05-29 00:05 | 元 史 建 歴

元史建歴30  3人の女性はすごすごと去って行きました

 09.2.17
 土曜の午後の話の続き。
「吉本新喜劇」が終わると、続いて3時頃から「爆笑ダイナマイト」「いちに三枝」(読売テレビ)といった桂三枝司会のバラエティー番組が一時期続けて放映されており、それらの公開録画に友達と二、三度足を運んだことを記憶している(桂三枝さんはその頃(1970年代前半)からずっと人気を維持されているわけです。すごい人です)。 
 確か箕面市民会館での公開録画だったと思う。収録が終わって当時の上方お笑い界のスター(三枝さんやザ・パンダの4人など)を一目見ようと、私を含め多くの観客が館の裏口あたりに集まり始めていた。
 その私たちのすぐ前を、誰からも相手にされず、バッグ片手にうつむき加減に横切っていく3人の若い女性がいた。彼女らこそ、その日ゲスト出演していた、まだ売れる前のキャンディーズだった。彼女らを目で追いながら、私は生まれて初めて芸能界の厳しさを実感していた。
 しかし、3人のサインもらっとけばよかったなぁ。 
 
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by takeshi_yamagen | 2009-02-17 15:08 | 元 史 建 歴

元史建歴29  大阪人は土曜の午後に作られる

 09.2.12
 小学校高学年の頃、土曜日帰宅後の昼食の定番はご飯とおうどん、あるいはお好み焼き。この大阪名物「炭水化物攻撃」に加えて、時々食卓に並んだのがイカや紅生姜の天ぷら等々(紅生姜の天ぷらが関西以外にはないことは最近知った)。
 そんな昼食を食べながら見ていたのが松竹芸能の芸人さんが次々繰り出す「道頓堀アワー」。フラワーショー、ちゃっきり娘、レッツゴー3匹…。彼らの漫才には本当に笑い転げていたなぁ。意外に好きだったのが浪曲漫才宮川左近ショー。松島さんのゴリラ顔と暁さんの三味線の撥さばきに結構はまっていましたね。
 それが終わると今度は「吉本新喜劇」。原哲夫、平参平、花紀京、山田スミ子さんなど往年のスターが懐かしく思い出される。伴大吾さん、首振りの淀川五郎さんといった吉本の「正史」から消された人により愛着を感じるのは私の天邪鬼な性格のなせるところか。それから片岡綾子さんも印象深い。亡くなられた時は、美人薄命とはこのことか、としみじみ思ったものだ。
 このような芸人さんに鍛えられて、自分を下げることを厭わない、話に落ちをつける、(相手が)ボケたらツッコムといった立派な?大阪人としての素養を、私は身につけていったのである。
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by takeshi_yamagen | 2009-02-12 22:57 | 元 史 建 歴

元史建歴28  心ときめいた大阪万博② 

 09.1.12
 万博会場には、近未来には実現すると思われる製品があちこちに展示されていた。
 サンヨー館の人間洗濯機もその一つ。クリーム色(だったと思う)の楕円形のバスタブの中で、水着姿のお姉さんがにっこり微笑んでいたのを覚えている。前面のガラス越しに浴槽内の細かい泡が見えたから、なるほど泡の力で体をきれいにするのかと感心させられたが、結局、実用化されることはなかった。
 日本館のリニアモータカーも未来社会への想像力をかきたてた。しかし、これも実用運転に至らず、35年後の愛知万博で、今度はJR東海超電導リニア館 の目玉として再登場していた。
 話は変わるが、子供心にお隣の大国中華人民共和国が万博に参加していないのが不思議だった(当時、日本と中華人民共和国には国交がなかったこと、そしてなによりも中国自体が文化大革命の真最中で「西側」主導のお祭りに参加するどころではなかったことなど、当時の私は知る由もなかった)。
 その中国で、日本に先駆けてリニアモータカーの実用運転(2003年 上海トランスラピッド)が始まったことは、やはり歴史の皮肉と言うべきであろう。 
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by takeshi_yamagen | 2009-01-12 22:56 | 元 史 建 歴

元史建歴27  心ときめいた大阪万博①

 09.1.9
 私が池田に移り住んだ1970年は日本万国博覧会の年。開会間もない頃、父母に連れられてくぐったゲートの先には想像以上の夢の世界が広がっていた。
 すれ違う外国人の姿、奇抜なパビリオン…、どれもこれも生まれて初めて見るものばかり。今では珍しくない動く歩道にすら心躍らせ、「練馬」「横浜」など全国各地のナンバーの車が駐車場に止まっていることさえ私には新鮮であった。
 人気の3館、ソ連館、アメリカ館、三菱未来館はどこも長蛇の列ができていて入館を断念し、中南米やアフリカの小さな国のパビリオンなど、待たずに入れる館ばかり狙って回ることにした。ところが、夕方再度アメリカ館の前を通ると予想外にすいていて(待ち時間30分)、「これ幸い」とばかりに入館。表面がきらきら光る月の石はやはり感動的だった。
 ところで、両親はこれで親の義務を果たしたというふうで、再度子どもたちを万博に連れていく様子は微塵もない。しかし、何度も会場に足を運んでいる級友のU君などの話を聞くにつけ、もう一度行きたいという募る思いは押さえがたく、ついに私は万博単独行を決行した。
 2度目の万博も本当に楽しかったのだが、小学3年生が一人、親にだまって出かけたわけで、その夜両親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
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by takeshi_yamagen | 2009-01-09 23:04 | 元 史 建 歴

元史建歴26 さようなら!だんごっ鼻新幹線

 08.12.1
c0133503_13465316.jpg だんごっ鼻の愛称で親しまれた創業以来の0系新幹線が11月30日に完全引退し、44年の歴史に幕を下ろした。
 幼い頃の私にとって新幹線はあこがれの乗り物、♪ジュワーン、ジュワーン走るぅ~、青いひかりのチョートッキュー ~、の歌声とともに、富士山をバックにして、テレビの画面を直線に切り裂いて走り抜ける超特急新幹線、本当にかっこよかった。
 一度乗ってみたいと親にせがんだのだろうか、私が4歳の時、山元家の家族4人は新幹線を利用して1泊旅行に出かけることになった。行き先は愛知県篠島。名古屋までだったが初めて乗る新幹線、それこそ鼻先を窓ガラスにくっつけて走り去る景色を眺めていたように思う。それにビュッフェで食べたサンドイッチのおいしかったこと…。本当にうれしかったなぁ。今でも新幹線に乗ると、心が浮き浮きして、大人げなく窓際の席を探してしまうのは、その時のなごりだろう。 
 たくさんの楽しい思い出を作ってくれただんごっ鼻超特急、マグマ大使の怪獣モグネスに破壊されても走り続けた0系新幹線(ちょっとマニアックなネタですみません)、本当にありがとう。
 私にとって、新幹線の鼻はいつまでも青く、そして丸くあり続けることでしょう。 
  
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by takeshi_yamagen | 2008-12-01 13:43 | 元 史 建 歴

元史建歴25 森絹子先生のこと④  シルクの会、先生の薫陶を引き継いで

 08.11.29
 5年前の北豊島中学校の同窓会の際、森学級でともに学んだ仲間から、誰からともなく「あの時は楽しかったなぁ」「森先生どうしておられるのかなぁ」などという声が出た。あの学級に特別な思い入れがあるのが私だけではなかったことがわかり、とても嬉しかったのだが、とにかくその場で森学級同窓会の話がまとまり、その翌年(2004年)春、開催にこぎつけた。同時に会の名前をシルクの会とし、4年に一度オリンピックイヤーに開催することも申し合わせた。
 そして、23日に市民文化会館で2回目のシルクの会を開催。関東からもかけつけてくれたE君、M君、ほとんど40年ぶりに会ったOさんなどもいて会は大変盛り上がった。
 級友の一人が「そう言えば、もうすぐ当時の先生の年になるなぁ」とつぶやいた。確かにその通りだ。しかし、人間の器の大きさという点では、僕らは到底先生に追いつけそうにない(16/12/30付ブログ参照)。 
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by takeshi_yamagen | 2008-11-29 15:39 | 元 史 建 歴