山元たけしの あの日その時、そしてこれから


日本共産党 前大阪・池田市会議員  山元たけしの日々の活動を綴ります
by takeshi_yamagen
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カテゴリ:墓碑銘 ー送ることばー( 42 )


最期までカッコよくヒデキは逝きました

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 18.5.18
 若いときも、結婚されてからも、病に倒れられてからも、とにかくカッコよかった西城秀樹さんが一昨日亡くなられました。

 思い起こせば40年余前、ヒデキはクラスの女の子の圧倒的な支持を得ていました。僕の認識では秀樹派5割、ひろみ派2割、五郎派1割、その他2割(あいざき真也、城みちる、豊川誕等々、ちょっとおませなごく一部が沢田研二)といったあたりがクラスの女子のアイドル勢力分布図であったと思います。

 運動神経抜群だったわけでもなく、勉強がとびきりできたわけでもなく、精悍なマスクであったわけでもない、まぁさえない中学生の典型みたいな存在であった私からすれば、女の子たちがヒデキのことを嬉しそうに話しているのを聞いて「神様って不公平やなぁ」と身分不相応の?嫉妬の念すら覚えていました。

 でも、そんなもてない寂しい男子中学生の目からみてもやっぱりヒデキはカッコよかった!とりわけ「薔薇の鎖」でマイクを蹴り上げ歌いだすシーンなど最高でしたね(ですから私の中ではヒデキの代表作は「YMCA」でも「情熱の嵐」でも「傷だらけのローラ」でもなく「薔薇の鎖」なのです)。

 還暦を過ぎて、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿になっても女性にもてるカッコいいヒデキでいて、ずっと嫉妬させてもらいたかったです。63歳。早すぎます。合掌。


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by takeshi_yamagen | 2018-05-18 14:10 | 墓碑銘 ー送ることばー

鉄人衣笠祥雄さん死去

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 18.4.25
 元広島カープの「鉄人」衣笠祥雄さんが亡くなりました。享年71歳。1月になくなった星野さん同様ちょっと早すぎます。
 私が野球に関心をもちだした1970年頃にはすでにスター選手だった衣笠さん、さすがに引退から30年も経つと細かいことは忘れてしまいましたが、代名詞ともなっている投手との真っ向勝負のフルスイング(私はいつもその姿を元阪神のカークランドと重ねていました)はもちろん、打席の素振りすらきびきびしてかっこよかったこと、1975年の初優勝までは広島のチーム自身が弱かったので孤軍奮闘とうイメージが強かったのですが、その後は某在阪球団が度々えらい目にあったことが記憶に残っています。
 また衣笠さんは「しんぶん赤旗」日曜版で1997年から今年の4月1日号までの約21年間「鉄人衣笠 フルスイング」を200回にわたって、こちらも連続試合出場同様休まず執筆してくださいました。衣笠さんが野球選手、特に新人選手に注ぐ暖かい眼差しを感じ爽やかな読後感を毎回覚えたものです。
 衣笠さん、安らかにお眠りください。合掌。






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by takeshi_yamagen | 2018-04-25 19:56 | 墓碑銘 ー送ることばー

大杉さんは風のようにふっと去っていかれました

 18.2.25
 俳優の大杉漣さんがロケ先で急逝されました。テレビ関係者のインタビューを見ていても、「へ?」といった感じで、どなたもその死を実感なさっていないように見受けられました。
 かくいう私も演技派の脇役ということ以外には大杉さんのことをあまり存じ上げず、どの映画で誰の役をやっていたか示せと言われても詰まってしまいます。恥ずかしながら劇場まで見に行ったのにもかかわらず「シン・ゴジラ」で総理大臣役をしておられたことすら忘れていたのです。
 主役をひきたてて、いい作品を作り上げるためにはどんな役も引き受ける―、その姿勢から大杉さんは「三百の顔をもつ男」と言われていたとのこと。その脇役人生から考えるに「控えめな存在感だけで十分、出演作品が覚えられているかいないかなんてあまり関係ない」と考えておられたのかも知れません(私の贖罪もこめた推測です)。
 そしてその最期にあたってもあくまでも控えめに吹き抜ける風のようにふらっと逝かれた大杉さん、今頃は同じく脇役仲間で急逝された阿藤海さんなんかと再会されているかも知れませんね。
 安らかにお眠りください。



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by takeshi_yamagen | 2018-02-25 11:04 | 墓碑銘 ー送ることばー

お世話になった方の訃報が続きました

 17.6.11
 少し前に亡くなっていた方も含め6月に入って訃報が多く届いています。
 ごくご近所にお住まいのTさん、石橋の不動産屋さんのAさん、文房具店のSさん、そして元大阪府会議員の松室猛さんです。
 私が小さい頃から個人的にお世話になった、あるいは石橋の発展のために尽力してくださった方々ばかり。ご冥福をお祈りいたします。

 教育大池田小事件から8日で16年―。
 校門脇の碑の左右に設けられた献花台の前で静かに手を合わせてきました。亡くなった子どもたちの一人は息子と同じ年齢です。生きていたら青春を謳歌していただろうと思うと、流れるものを押さえることができませんでした。安全な学校つくりに今後も努力していきたいと思います。
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by takeshi_yamagen | 2017-06-11 20:28 | 墓碑銘 ー送ることばー

被爆者Kさんが亡くなりました

 16.10.21
 御近所にお住まいの広島の被爆者Kさんが亡くなられました。
 Kさんはその時8歳、爆心から1.5キロの小学校で被爆されました。木造校舎が崩壊する中で奇跡的に助かり「あの日『おかぁさぁん…』てつぶやきながら死んじゃった同級生のこと思うと今でも本当に可哀想で、可哀想で…、生き残った私は71年間罪の意識をもって生きてきたの。だからあの日のことは喋りたくないわけ」と言いながらも、小学校にいて助かった児童は自身を含めて二人だけだったこと、兄が学校に助けにきてくれたこと、広島西方の廿日市に避難したことなど、あの日のことを赤旗の集金時に断片的に教えてくださいました。
 オバマ広島訪問には「私、もう嬉しくって嬉しくって…、これまで生きててよかったと本当に思ってます。謝罪がなかったとか、政治的な思惑があるのだろうとか、いろいろいう人がいるけど、私、そんなこともうどうでもいいの。私たちも戦争中『鬼畜米英』って『アメリカ人は人間じゃない』て散々罵っていたわけで、そんなところによく来てくださいましたって思います。資料館を見て被爆者の話も聞いてくれて、私は涙が出ました。この訪問が核兵器廃絶に絶対つながるって私は信じてます」と話され、「やっぱりあの日のことは喋っとかないとだめって最近思ってきています。だって私たちがあの日の広島の惨事を知る最後の世代、もっと小さい子だと記憶ないだろうしね…」と続けられた直後の訃報、残念ながらKさんの決意が実現することはありませんでした。
 あのむごたらしい戦争はもう絶対にしてはいけない-、血を吐くような反戦の思いから長年わが党を支持してくださったKさん。党員ではありませんでしたが、近所の赤旗の配達・集金を手伝ってくださり、時には「○○さん、とってくれましたよ」と読者拡大にも協力してくださいました。10年余のおつきあいでしたが、本当にありがとうございました。Kさん、やすらかにお眠りください。
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by takeshi_yamagen | 2016-10-21 13:05 | 墓碑銘 ー送ることばー

お父さんを語り継ぎいつまでも生きながらえさせてあげてください ―Hさんのお通夜に参列して―

 15.12.30
 少し前になりますが今月8日、阪急電車の共産党で長年にわたって乗客の安全と労働者の権利と生活を守ってがんばってこられたHさんのご主人のお通夜に寄せていただきました。
 ご長男さんは「きまじめで読書家。職場の仲間から相談の電話が来れば飛んで行く―、そんなやさしい父でした」、さらに「おそらくこれからも『こんな時父ならどうするだろう』って考えて生きていくんだろうなと思います」としんみり語られました。
「人間は二度死ぬと言います。肉体が息絶えた時、そして生きている人間の誰からも忘れられた時、それが本当の死ぬ時です。少しでも長く『こんなええ男がいたんです』と語り継いで敬愛するお父さんを生きながらえさせてあげてください。これが残された者の生きる糧にもなっていくんです」
 柄にもなくまるで瀬戸内寂聴さんみたいな「講釈」が口をついて出てきました。私も知らず知らずのうちに仏に近づいていっているのでしょうか。
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by takeshi_yamagen | 2015-12-30 09:07 | 墓碑銘 ー送ることばー

お母さんとお兄さんが見守る中旅立たれました

 15.10.1
 ご近所のSさんの娘さんが亡くなり今日お葬式に参列させていただきました(享年33歳)。
 娘さんは知的にも身体的にも重度の障害がおありで、Sさんは25年前にご主人を亡くされた後女手一つで彼女と一つ上の息子さんを育てあげてこられました。時々お邪魔した時、Sさんの後でちょこんと座って微笑んでおられた彼女の姿が思い起こされます。
 喪主として挨拶に立たれたお兄さんは「妹と城崎など温泉に行った時の楽しい思い出が…」と話された後絶句し、その場で立ったまま号泣されました。また出棺の際、泣き崩れながら花に包まれた娘さんの額を何度もさするSさんとそれをやさしく見守るお兄さんの姿が会場の新たな涙を誘っていました。
 聞けばお兄さんは就職して家を出た後も妹さんの世話するため頻繁に実家に帰ってきておられ、彼女もそれがよくわかっていてドアが開くと手を叩いて喜んでおられたとのこと。
 悲しいけれども、Sさん親子、兄妹の深い愛情が痛いほど伝わってくる、心洗われるようなお式でした。合掌。
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by takeshi_yamagen | 2015-10-01 21:51 | 墓碑銘 ー送ることばー

あちらで宮川左近ショウ再開でしょうか ―暁照夫さん死去に思う―

 15.6.4
 前回先月に義父が亡くなったと書きましたが、その後28日には俳優の今井雅之さん( 今井さんは私と同い年です)、漫才の今いくよさんと著名人が相次いで亡くなりました。中でも私にとってショックだったのは翌29日に亡くなった暁照夫さんの訃報。
 オープニングで「毎どぉ~、みなさまお馴染みぃ、お聞きくださる一節は、流れも清き宮川の…」と唸る宮川左近さん、卓越した三味線のバチさばきの後「なんで私こんなうまいんやろ」で落とす暁照夫さん、二人にちゃちゃを入れていつもはね返されるゴリラ顔の松島一夫さん…、宮川左近ショウのテンポのいい舞台、いやぁ、おもしろかったなぁ。寄席番組が多かった70年代の土曜の午後、お昼ご飯にすがき屋のおうどんすすりながらテレビの前で笑い転げていたことが思い出されます。
 これで宮川左近ショウの三人とも亡くなられました。今頃向こうで再結成されているかも知れませんね。いつの日か向こうに行った時の楽しみに置いておきましょう。合掌。
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by takeshi_yamagen | 2015-06-04 08:28 | 墓碑銘 ー送ることばー

本のプレゼント ―玉川政次郎さんの死を悼む―

 15.2.23
 16日日本共産党名誉府委員の玉川政次郎さんが、一ヶ月の入院生活の後お亡くなりになられました。享年86歳。
 長年の共産党支持者の父が池田に転居してきた時、赤旗購読などを通じて懇意になって以来、ご自宅(住吉2丁目)が近く、私と弟が玉川さんの娘さん、息子さんとそれぞれ同級生だったこともあって45年間親しくさせていただきました。
 小学校3年くらいの一時期、私は玉川さんのおうちにあった子どもむけの物語―中国を舞台にしたものだったと記憶しています―を夢中になって読んだ記憶があります。思えばそれが書籍を通じた玉川さんとのおつきあいのはじまりでした。
 中学の頃、郷土史に興味をもち始めた私に「これ、あげるよ」と『大阪の史跡を訪ねて』(ナンバー出版)を、奥さんを通じてプレゼントしてくださいました。このガイドブック、丁寧な地図がついていたこともあって、それこそぼろぼろになるまで使わせていただきました。
 さらに高校の頃、日本共産党やマルクスに興味を持ちだしたものの、平易に学べる文献がなくちょっと戸惑っていた時に、「これ読んだらいいよ」とこれまた奥さんを通じていただいたのが上田耕一郎さんの『現代日本と社会主義への道』(新日本出版)。この本を読んで当時抱いていた私の疑問の多くは氷解しました。
 またすでに入手困難で古書店に売れば数万円は下らない『箕面市史』を「もう読まないから…」と全巻揃いで頂いたこともあります。
 多忙な日本共産党の専従活動家であったためお会いすることはほとんどありませんでしたが、人生の節目々々の玉川さんの「本のプレゼント」で、私は随分成長させて頂きました。
 玉川さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。
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by takeshi_yamagen | 2015-02-23 09:02 | 墓碑銘 ー送ることばー

戦後民主主義の限界と希望 ―水野正好先生の逝去を悼む③―

 15.2.14
 先生は、自身の経験の絶対化から生じる偏狭さ、高慢さといった性向とは全く対極にある方でした。
 先生から断片的に聞いた話から総合的に考えるに、それはできるだけ他人の話を聞き、各人の長所は積極的に受け入れ、短所を「反面教師」にされる、先生の柔軟な思考の結果とみて間違いないと思います。その姿勢は、私たち子や孫の世代の人間に対してもなんら変わるところはありませんでした。
 ところで、ある時先生と戦後民主主義について話を交わす機会がありました。先生は「戦後の民主主義はまだボスの民主主義だ」と話され、左翼陣営も含めて現在の日本社会が個々人が自由に考え、もの言う段階に到っていないことを鋭く見抜いておられました。同時に「社会は一気に変わらない。そんな段階を経てこそ次の段階に移れるんだ」と歴史学者らしい客観的かつ楽観的な視点も併せ持っておられました。
 そんなこんな、なつかしく思い出しています。
 水野先生、ありがとうございました。安らかにお眠りください。
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by takeshi_yamagen | 2015-02-14 09:48 | 墓碑銘 ー送ることばー