山元たけしの あの日その時、そしてこれから


日本共産党 前大阪・池田市会議員  山元たけしの日々の活動を綴ります
by takeshi_yamagen
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山元たけしの活動予定(08年1月)

 07.12.30
 1月の私の主な活動予定をお知らせします(都合により変更となる場合があります)。
1月 1日(火)元旦宣伝(午前 市内各所)
   4日(金)新春交礼会(10時~ 市役所)
   6日(日)日本共産党石橋後援会新年会(15~18時 住吉会館)
   8日(火)法律相談(18時半~ 日本共産党池田市委員会)
  10日(木)知事選公示
  14日(月)成人の日宣伝(午前 市民文化会館)
         日本共産党新春総決起集会(14時~ 池田駅前南会館)…宮             
         本たけし、村上弘允があいさつします。
  15日(火)民主府政実現 池田集会(19時~ 池田商工会議所)…梅田
         章二、堀田文一があいさつします。 
  17日(木)市議会だより編集委員会
  27日(日)府知事選投票日
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by takeshi_yamagen | 2007-12-30 14:03

相 談 難 民

 07.12.30
「若いからがんばりなさい」
「家財道具処分してから来なさい」
「今、寝ている…」

 私たち日本共産党の議員のもとには、多くの方が生活保護の相談にいらっしゃいます。
 残金451円の通帳を持って駆け込んでこられた石橋のご婦人(12/2日付ブログ参照)、「2年前に神経病で仕事をクビになり、現在も無職。ライフラインは何回も止められて、保険料、医者代、そして家賃も滞納、食事は醤油ご飯のみ。子どものおもちゃまで売れるものは全て売り、残金200円。助けてください」と、心中を思いとどまって共産党の事務所に連絡してきた男性(藤原みち子12/13、26日付ブログ参照)などなど…。
 この池田のまちでも弱者切り捨てを進める格差社会の残酷さ、恐ろしさが垣間見えます。
 ところで、これらの方々、実は最初に日本共産党の議員に相談された方ばかりではありません。他会派の議員にまず相談されて、そこでは埒があかず、苦しみ、悩んだあげく私たちの元に来られた方、まさに「相談難民」とでもいうべき方が結構多いのです。
 実は冒頭の言葉は、これらの方々が他党派の議員(この中には福祉を「売り」にしている人や党派もあります)から浴びせられた言葉の数々です。なんと言ったらいいのやら…。
 私は12月議会の一般質問で、政府の生活保護基準の引き下げは憲法25条で保障された国民の生存権を踏みにじるものであると批判し、市として国に反対を申し入れるべきだと迫りました。市長は「生活保護のありかたについて市長会などを通じて国に申し入れていく」とのこと。がんばっていただきたいものです。

 追伸;自民、公明から大阪府知事選挙に出馬予定のタレント弁護士は「税金を払わないヤツは生きていく資格はない」と言ってはばかりません。どうも彼の六法全書には憲法25条の文字はないようです。
 
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by takeshi_yamagen | 2007-12-30 13:53 | 住みよい石橋・豊島の街めざして

元史建歴3 20世紀を伝える世代

 07.12.29
 1904(明治37)年、広島県の山間部、現在の世羅郡世羅町の貧しい小作の長女として生まれた父方の祖母は、折にふれ私に田舎の話をしてくれた。
「小作人の食事はヒエとアワばかりだった」
「自分たちの作った米がなぜ(地主に)持っていかれるのか、子ども心に不思議だった」
 話は変るが、私が小学校低学年を過ごした京都市郊外の自宅近くに、人が住んでいるような、古ぼけてはいるがやや大きめの木造の建物があった。なぜ、そんなあいまいなことを書くかというと、そこの人たちとは近所であるにも関わらずほとんど付き合いがなく、子ども心に、なんとなく不思議な場所だと感じていたから。そこが戦争で心身ともに傷ついた人が暮らす施設であることを知ったのはもう少し後のことである。戦争といえば、天王寺の陸橋上で見かけた傷痍軍人の話をする同級生のことも思い出す(私の記憶にはない)。
 話が飛んだついでにもう一つ。私が、長い間理解に苦しんだのは、幼い頃、家ですき焼きをしたときなどに玉子を2個食べようとすると、祖父母にえらくしかられたこと。それが玉子が高価だった高度経済成長が始まるまでの社会の「名残り」であることを知ったのはこれまたしばらく後のことである。
 なぜそんなとりとめのない話ばかりするかというと、1960年代前半生まれの私たちが、明治・大正期、15年戦争(アジア・太平洋戦争)、そして高度経済成長期以前の1950年代、この三つの時代の話を肉親から直接聞き、その雰囲気を間接的ではあるが感じることのできた最後の世代であること、それを言いたかったから。
 言いかえると、私たちの世代が20世紀の日本の光と影をともに伝えていくことのできる最後の世代であるということでもある。その使命感を絶えず意識しながら来たる2008年も生きていきたい。
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by takeshi_yamagen | 2007-12-30 13:38 | 元 史 建 歴

本日は御用納め、疲れました

 07.12.28
 21日に12月議会が終わりました、いや、終わっています。
 しかしその後も、共産党の大阪府大会への出席、知事選の宣伝、年末の諸々の集金、さらには予算要望書作成にあたり市民の皆さんの意見を伺いに行ったりと、結構忙しく、本来ならばすぐに議会の結果を報告しなければならないのですが、結局私の一般質問の一部しかブログでは紹介できなかった次第。後日、池田市民の皆さんには『議会報告』の形でお配りすることになると思います。どうかそちらをご覧ください。なお、より早くお知りになりたい方は同僚の垣田ちえ子、藤原みち子両議員が詳細にブログに記しておりますので、まずそちらを覗いてみてくださるようお願いします(ちょっとずるいかな?)。
 そして今日は御用納め。朝は池田民主商工会の対市交渉、午後は1時半からは議員団全員で市長に予算要望、控室に戻って部屋の掃除、訪ねて来られた市の幹部職員の方々との年末のご挨拶と続き、5時半からは大雨の中、石橋駅西口で明るい民主府政をつくる会の宣伝に参加し、帰宅。これで今日は終わりと思っていたら、Aさんから「事務所の鍵がつぶれた」との電話があり、二人で雨中の修理となりました。
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by takeshi_yamagen | 2007-12-30 13:28

「河原に下りる階段、大阪府へ申し入れます」(市長)

 07.12.22 
 19日付ブログでもお知らせしましたが、20日の一般質問で、池田市における水辺の利用、箕面川の親水公園について、市長の見解を質したところ、「河原へ降りる階段の設置などを(河川管理者である)大阪府に申し入れていきます」と答弁されました。箕面川の公園化への第一歩を踏み出したといえるのではないでしょうか。市民の皆さんの御意見どうかお聞かせください。
 以下少し長くなりますが、私の質問を掲載します(一部修正)。

水辺は憩いの場、街づくりの場、そして子どもたちの感動の場
 水辺は、人々の心なごむ精神的な憩いの場であることは、言うまでもありません。市内においては、石橋小学校区で、箕面川の定期的清掃が行なわれるなど、川を中心とした市民の方々の運動が地道に行われています。
 同時に私が強調したいことは、子どもたちの成長面、教育面における水辺の重要性です。
 池田市内の川や池では、一箇所で、アメリカザリガニ、ヌマエビなどの甲殻類、トンボ類を中心とする昆虫、コイ、オイカワなどの魚類、カエル、クサガメを始めとした両生類・爬虫類、さらにはシラサギなどの鳥類といった動物たち、そして、アシやガマ、ヒシなどの植物など、多様な動植物を観察することができます。
 子どもたちは、これら小動物との出会いをとおして、様々な感動を体験するわけです。その感動が、学校教育における確かな学力にも繋がっていくと思うわけです。例えば、理科で食物連鎖や食物ピラミッドを習う際にも、川や池が身近であった子どもは実体験からして、そのしくみを理解できるでしょうし、ヘビがカエルをのみこんだり、鳥たちが魚をついばむ場面を目撃したことのある子どもなら、そのときの驚き、感動を思い起こしながら授業を受けることができるでしょう。そしてそれが、新たな問題意識、知的好奇心、学習意欲に繋がっていくことは間違いありません。
 水辺での経験、感動はそれ自体目で見えたり、点数で計れるものではありません。しかし、それがテストの点数などの「見える学力」の豊かな基盤となっていくことは間違いありません。 ノーベル化学賞を受賞した白川秀樹さんは、子どもの頃の、小川や田んぼ、山での動植物との出会いが理科が好きになったきっかけと述べられ、「子どもたちの理科離れが心配されているが、子どもたちの多くは生来理科好きで科学に十分興味を持っている。それを伸ばすのは大人の責任である」と言われています。私たちは今その責任を果たすべきであろうと考えます。
 以上のように池や川は、本来の農業用水の供給源ということ以外に市民に精神的なやすらぎを与えるという点でも、まちづくりの核になりうるという点でも、そして子どもたちの成長面、教育面でも大変重要な位置付けを占めていると考えます。
 池田市の池沼や河川をまちづくりに今後どのように活かしていかれるのか、見解を伺います。

箕面川に親水公園を
 溜め池や田んぼがほとんどなくなった今、猪名川や五月山に接していない石橋・豊島地域の子どもたちにとって箕面川はまとまった自然に触れることのできるほとんど唯一の場となってしまいました。 私はこの夏、地域の方と、住吉1丁目の箕面川で川遊びを楽しみました。子どもたちは目の前に次々現れるザリガニやトンボ、オイカワなどに大喜びし、時間を忘れて遊んでいました。皆、異口同音に「また来たい。今度はいつするの」「今度は友達つれてくるよ」と目を輝かせて言ってくれたのが印象的でした(8/24.27付ブログ参照)。
 同時に私が驚いたのは、もうこのあたりではいなくなったと思っていたシマヘビを見かけたことと、本来河口付近に棲息するモクズガニを捕まえたことです。私たちが思う以上に箕面川にはまだ豊かな自然が残っていることを認識すると同時に、この豊かな自然に子どもたちができるだけ恒常的に触れるようにすることが大変重要であると改めて思いました。
 
川を市民に取り戻そう
 実は市民生活や教育への川の活用は、なにも私だけが言っているわけでは決してありません。
 千里川では、豊中市箕輪と野畑、さらには箕面市萱野に子どもたちが川で遊べる親水公園があります。箕面川でも箕面市桜に親水公園が設けられ市民の憩いの場となっています。国土交通省の淀川水系河川整備計画原案では「地域住民の方々に河川への関心を高めるために、都市域のコミュニティー空間として、身近な自然を楽しめ、川と街の一体感が体現できるような河川整備を行う」、さらには「環境教育を推進する場という観点等も含めて「川でなければできない利用、川に活かされた利用」を基本とする」とうたっています。新聞報道によると、東京都も多摩地区36の河川をできるだけかつての状態に戻す方針を固めたとあります。まさにかつてのように人を川から遠ざけるのではなく、川を積極的に街つくりと教育に生かすというのが、押し留めることのできない社会の趨勢となっているわけです。 
 以上の点から、私は箕面川に子どもたちが安心して川遊びができる親水公園のような場を作っていくことが大変重要になってくると考えるものであります。今後の箕面川の整備計画について市の見解を伺います。

池田を水の街、川ガキのあふれる街に
 池田は文字通り、池と田、すなわち古来より水に恵まれた街です。この街を水辺で遊ぶ子ども、いわゆる「川ガキ」があふれる街にしたい、その思いを改めて申し述べて質問を終わります。
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by takeshi_yamagen | 2007-12-22 16:39 | 市 議 会 日 誌

 箕面川のこと、空港地区の図書館と健康診断のこと、生活保護のこと…、いいたいこといっぱいです

 07.12.19
 いよいよ明日は、12月議会の一般質問です。私は以下の点について質問します。

 箕面川を市民の憩いと感動の場にc0133503_13474259.jpg
 池田市民にとって、水辺は人々の心なごむ精神的な憩いの場であると同時に、子どもたちの成長、教育にとっても大変重要です。
 水辺に生きる小動物との出会いなどの経験は、学校教育における確かな学力にも繋がっていきます。例えば、鳥たちが魚をついばむ場面を目撃したことのある子どもたちなら、きっとその時の驚き、感動を思い起こしながら理科の環境や食物連鎖の授業を受けることができるでしょう。そしてそれが、彼らの新たな問題意識、知的好奇心、学習意欲に繋がっていくことは間違いありません。水辺での経験、感動はそれ自体目で見えたり、点数で計れるものではありませんが、学校教育の「見える学力」の豊かな基盤となっているのです。
  猪名川や五月山に接していない石橋・豊島地域の子どもたちにとって箕面川はまとまった自然に触れることのできるほとんど唯一の場です(写真)。親水公園などその整備を望みます。
 空港地域の図書館、健康診断のこと
 空港地域の多くの住民の方々が豊中市立蛍池図書館の図書を借りたいという強い要望をお持ちであることを先に指摘したところ、市は豊中市との協議を約束されました。その後の協議の進捗状況を聞きます。
 また、空港をはじめとした隣接市との市境付近に住んでいる市民の中には、隣接市内にある医院をかかりつけ医としている人が多くいます。そういったお医者さんでも健康検診が受けられるようにするため、住民健康診査実施医療機関の指定範囲をその隣接市にも拡大するよう迫ります。
 命の綱、生活保護基準の引き下げは許さない
 政府は「生活扶助基準に関する検討会」の報告を受けて、生活保護基準を引き下げようとしています。それでなくとも低い生活保護の生活扶助基準を引き下げることは、憲法25条で保障された生存権すら脅かすものであり、許されるものではありません。市長の見解をただします。

 私の一般質問は、明日20日の午後になると思います。是非傍聴にお越し下さい。
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by takeshi_yamagen | 2007-12-19 13:40 | 市 議 会 日 誌

小林家と山元家

 07.12.18 
 16日に紹介した三浦綾子『母』の巻末の年表を読んでいて、小林家と山元家にちょっと不思議な偶然があることに気づきました。
 そこには、多喜二が殺されたのが1933(昭和8)年2月20日、多喜二のお母さんセキさんが亡くなったのが1961(昭和36)年5月10日とあります。一方、山元家ですが、私の母親は1933年1月14日生まれ、そして私が1961年5月2日生まれです。つまり、私の母は、多喜二と1ヶ月だけ、私はセキさんと1週間だけ、この世で生をともにしたことになります。
 しかし、その世代が逆転していることだけは、私たちは決して忘れてはなりません。 
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by takeshi_yamagen | 2007-12-18 14:02 | 山元家の人々

三浦綾子『母』 決して電車で読まないでください 

 07.12.16
c0133503_113842.jpg 同僚の藤原議員が15日付ブログで小林多喜二の『蟹工船』を紹介されていました。別に張り合うわけではありませんが(!?)、私は三浦綾子の『母』(角川文庫)をお勧めします。
 
 この小説は、多喜二の母の生涯を描いたものです。
 「ほれ!多喜二!もう一度立って見せねか!みんなのために、もう一度立って見せねか!」虐殺された息子の遺体に泣きすがる母。
 「わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。あの多喜二が小説書いて(警察に)殺されるなんて…」「秋田にいた時、駐在さんは貧乏人のわだしに飴ばくれたりして、可愛がってくれたもんだ。…警察は貧乏人の味方だと、心の底で思っていたのに…」純粋に社会の本質を見据えようとする母。
 「多喜二、苦しかったべな」「多喜二、わだしはお前を生んで、悪いことしたんだべか」自責の念に苦しむ母。
 「そうだなあ、多喜二の入っていた党だからなあ。貧乏人のことを考える党だからなあ…」晩年共産党の隊列に加わった母。
 一読、お勧めしますが、絶対に電車の中では読まないで下さい。私のようにぼろぼろ泣いてしまい、まわりの客に不審がられますから…。
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by takeshi_yamagen | 2007-12-16 11:06 | 山元のすべらない話

命は譲歩を待てない

 07.12.15
 汚染された血液製剤でC型肝炎に感染した患者らが、国と製薬会社を訴えている薬害肝炎訴訟の控訴審で、大阪高裁は13日和解骨子案を提示しました。救済範囲を狭め、命に線引きをするこの和解案には憤りを禁じえません。原告側が拒否するのは当然です。特に私が強い怒りを感じたのは文面の「(原告側の要求は)被告らの格段の譲歩のない限り、和解骨子案として提示しないことにした」という部分。まるで患者側が無理難題を押し付けているような言い方です。
「私はもう肝臓がんまで進行しました。どうか私の命を助けてください」(匿名で九州訴訟に加わった原告番号22番の女性 14日付しんぶん『赤旗』)と首相官邸前で叫んだ患者に、裁判所は国と製薬会社の「格段の譲歩」を待て、というのでしょうか。
 患者にはそんな時間はありません。福田首相と枡添厚生労働相は早急に患者の全員救済を決断すべきです、いや決断しなければいけません。
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by takeshi_yamagen | 2007-12-15 11:22

「まぁ、いろいろあったけど、共産党」

 07.12.14
 豊島北のMさんは、戦後、此花区の日立造船で中間管理職をされていた御様子。
「(職場の)共産党にはいつも突き上げられていました。帰国したシベリア抑留組がソ連の悪口を言い出してから、共産党は急速に元気がなくなりましたね…、まぁ、いろいろあったけど、今は共産党を支持しますよ」
 同じく豊島北のNさん。
「ずっと見てきたけど、やっぱりぶれないのは共産党だけ。しかし、僕が(共産党の)支持以上の立場にたたないのは共産主義を支持しないから」
 そして、小学校時代お世話になったH先生。 
「社会党一党支持の組合で活動し、共産党とケンカもしてきた。しかし今は共産党しかないと思っている」
 最近、気づいたのは、このように概ね70、80歳代のお年寄りの方が、各々の人生と重ねて日本共産党への思いを語ってくださることです。もちろん現在わが党を支持してくださっている方ばかりではありませんが、大変うれしくもあり、勉強にもなります。
 よく考えると、日本共産党が新しい綱領を決定し(1961年)、本格的な前進を開始した60年代、70年代が、この年代の方々の社会での活躍期と重なるわけで、人生の節々で共産党との関わりがあったようですね。これが、もう一世代上の明治生まれの方では、共産党との関わりが薄く、こうはいかなかったでしょう。
 なお、Mさんには「(シベリア抑留も含めて)ソ連の横暴と戦ってきたのが日本共産党です。どっちが正しかったかは歴史が証明しましたね」とお話しました。
 また、Nさんには「大資本家の利潤第一の社会では、格差の拡大や戦争が避けられないこと、やがて人類は人が人を搾取したり、支配したりすることのない社会-共産主義の社会ですね-へと前進していくこと、そこに確信があるからこそ、いつもぶれずにがんばれるんです」とお答えさせていただきました。
 皆さんとそんな会話ができるのも、日本共産党が、ひとつの名前で、正しい綱領のもとでがんばってきたからこそ、ですね。
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by takeshi_yamagen | 2007-12-13 18:42 | 日本共産党はこんな政党です