山元たけしの あの日その時、そしてこれから


日本共産党 前大阪・池田市会議員  山元たけしの日々の活動を綴ります
by takeshi_yamagen
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トワイライト演説会、お母さんの心に火をつけて…

 11.8.30c0133503_14545920.jpg
 先日、6日の学校統廃合を考える集いに参加された石橋4丁目のYさんから「山元さん、28日に仲間うちで花火大会するから、その前に学校統廃合のこと、ちょっとしゃべって」とのお誘いをうけました。
 喜んでお受けし、当日会場の石橋駅前公園に到着するとすでに20人ほどが集まっておられました。屋外で多くの方を目の前にして演説するのは、選挙の出発式など特別な時を除くと今回が初めて。しかもその聴衆の大半が初めてお会いする若いお母さん(お父さんもおられましたが…)。柄にもなく緊張してしまいました。
 私が、最初に市教委の学校再編計画や6月議会の様子を報告すると、早速皆さんから「なぜ、池田市はそんなに学校つぶしたがるのか」「小中一貫やって失敗したらどこが責任とるの?」との率直な疑問が出され、集いは予定の「30分程度」を大幅に超過し1時間にも及んでしまいました。
 迷惑なのは待たされた子どもたちです。君たちの学校を守るため、花火に火をつける前に、お父さん、お母さんの心にちょっとだけ火をつけさせてもらいました。どうか許してくださいね。

 花火大会、玄関先、お座敷…、どこへでも、時間の許す限りおしゃべりしに参りますのでお気軽にお声かけください。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-30 00:02 | 山元のすべらない話

うっとおしく、蒸し暑い1週間でしたね

 11.8.29
 先週は天候不順も手伝って、前半は書類の整理など室内に仕事をシフト。
 25日(木)は、休みをとってドキュメンタリー映画「無言館」を見に、十三の映画館シアターセブンを訪ねました。無言館とは長野県上田にある美術館の名前。「帰ってきたら完成させるから…」と言い残して逝った青年が描いた新妻の裸婦像など、館内は戦没画学生の絵がところ狭しと並びます。無言とは物言わぬ絵をさす以外に、現代に生きる私たちが絵の前で様々な思いを巡らし、無言になる意味もあるとか…。いつか一度実際に訪れたい美術館です。
 ところで、同じく休みをとっていた同僚の藤原議員と館内でばったり。十三で一番古い居酒屋「富五郎」(1932年創業)でちょっとひっかけて帰りました!?
 27日(土)早朝は「赤旗」配達の途中、石橋1丁目の今井水路沿いで水道管の破裂現場に遭遇。早速連絡して業者に来てもらい大事には到らなかったようです。よかった、よかった。
 その後、11時から新婦人の会の班会にお邪魔して学校統廃合問題についてお話させていただいた後、一旦帰宅したところ、住吉2丁目にお住まいの小中学校の同級生S君のお父さんが亡くなられたとの連絡が入り、お通夜に寄せていただきました。先月には、やれ風邪だ、やれ水疱瘡だというと看ていただいた石橋1丁目の開業医のI先生が亡くなられています。
 小さい時にお世話になり、可愛がってもいただいた方々の訃報が続き、本当に寂しいです。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-29 01:03

津 軽 紀 行 ⑪ 湯船の底から… ―蔦 温 泉―

 11.8.28
c0133503_1502094.jpgc0133503_1511392.jpg 奥入瀬渓谷を散策後、息子に「今日どっか寄りたいところがあれば言(ゆ)うてみぃ」とふると「蔦温泉周辺の沼めぐりしたい」とのリクエストが返ってきた。改めてガイドブックを見ると、八甲田山の南にある同温泉、周辺の六つの沼が遊歩道で結ばれ、1時間ほどの適当なハイキングコースになっているとある。実は私ももう一つぐらい温泉に浸かりたいものだと思っていたのでたちまち意気投合同温泉に立ち寄ることにした。
 さて、その沼々―、
 深い緑色の沼、ちょっと赤い沼(おそらく火山の成分の関係でしょう)、魚のいる沼、いない沼、オタマジャクシのうようよいる沼、ほとんど土砂で埋まりかかっている沼、さらにはなんの変哲もないフツーの沼と、確かにそれぞれ趣の異なる沼をめぐるハイキングはそれなりに楽しかったが、前回の「津軽紀行」でも触れたように、すでにかなりのお疲れモードに入っていた私は、沼めぐりを終えるとその足で蔦温泉の湯船に直行した。
 さて、その蔦温泉―、
 お湯は無色無臭で、外来用の浴槽も、おそらくヒバの木でできた一見したところなんの変哲もない小さなものだったが、入ってみて驚いた。湯船の底が熱いのだ。聞くと、遠い源泉から湯を引くのではなく、ほとんど原泉の上に湯船をこしらえられているので、湯船の底にすのこ状に並べられた板の間から湯が噴き出しているとのこと。
 いや、しかしこの蔦温泉、ランプの宿の青荷温泉、千人風呂の酸ヶ湯温泉(今回は行けなかったが…)等々、まぁ、青森には個性豊かな温泉の多いこと!うらやましい限り。
 その後、雄大な八甲田の峰々を横目に見ながら、再び新青森駅へ。レンタカーを返して、そのまま列車で弘前へ向い、17時ちょうどにひろさきユースホステルに到着。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-28 22:57 | 日本たびたびまた旅日記

再び歴史教科書について④ 仁徳天皇陵、帰化人、大和朝廷…

 11.8.28
 堺市にある日本最大の古墳が仁徳天皇の墓だとは学問的に実証されていません(仁徳天皇の実在すら疑う研究もあります)。ですから研究者の皆さんも専ら地元の呼称である大仙古墳を使い、仁徳天皇を使う場合も「仁徳天皇陵」古墳とカッコ付きにしたり、伝仁徳天皇陵古墳と但し書きを付けるなどの配慮をしているのですが、自由社の「教科書」では仁徳天皇陵と記述しています(カッコ付きで大仙古墳としていますが…)。
 さらに帰化人、大和朝廷など、詳しくは述べませんが、様々な理由から今ではほとんど学問的に使わなくなった言葉が堂々と使われているのも異様です(ちなみに今回採用された日本文教出版本は各々大仙(仁徳陵)古墳、渡来人、ヤマト王権と記述しています)。
 そんなこんなで、やはりこの本は恣意的のそしりは免れず、学校現場に持ち込んではいけないと改めて思った次第。
 まぁ、教科書としては全く失格ですが、いかに要領よく「ここがポイント」とばかりにその内容を学問的に反論できるか、反面教師として研究者の皆さんとともにせいぜい使わせてもらいたいと思います。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-28 22:42 | 歴 史 夜 話

再び歴史教科書について③ ひいきの引き倒しではすみません 

 11.8.27
 次に目につくのは、「聡明な人物」「若き指導者」などの言葉を使った聖徳太子の異常なまでの持ち上げです。これは第三の原則に反します。 
 それは「「和の重視」が日本の伝統となった」と、彼の「一七条憲法」を強引に日本の伝統に結びつけ、「太子の活躍した7世紀には、政治や文化の中心が飛鳥地方にあったので、このころを飛鳥時代とよぶ」と時代区分にまで彼を持ち出す念のいれようなのです(ちなみに、聖徳太子(622年没)の「活躍」したのは、7世紀のごく最初の時期に過ぎません)。
 余談ながら、私は厩戸皇子(聖徳太子)は個人的に好きです。大好きと言っていいかもしれません。しかし、それは天皇家と蘇我氏、両方の血を引く彼が、その歴史的条件の中で試行錯誤しながら政治に携わっていった姿、つまり「人間 聖徳太子」に魅かれるからで、「偉人 聖徳太子」にはまったく興味がありません(09/11/18ブログ参照)
 このような聖徳太子の特別視は、自由社の「教科書」が、彼こそが天皇中心の中央集権国家の基礎を築いたと見ていることに起因することはまず間違いないでしょう。特定個人の恣意的な扱い、単純に「ひいきの引き倒し」と笑ってすますわけにはいかないのです。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-27 16:03 | 歴 史 夜 話

再び歴史教科書について② 「神話」について 

 11.8.26
 先の原則に基づいて、私の専攻した考古学、古代史の部分について自由社の「新しい歴史教科書」を見てみましょう。
 まずびっくりしたのは「古事記」「日本書紀」の「神話」部分が、見開き2ページにわたって取り上げられていたこと。
 同書も「神話や古い伝承は超自然的な物語をふくみ、ただちに歴史的事実としては扱うことはできない」と認めるように、そもそも「神話」を歴史の教科書で取り上げること自体ほとんどNGなのです。先日示した第一の原則に反します。
 そこでは架空の天皇である神武天皇の東征や即位が書かれ、ご丁寧に欄外の「ここがポイント」欄にも「神武天皇東征」とあります。これでは、多くの中学生は神武天皇を実在の人物と考えてしまうでしょうね。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-26 08:47 | 歴 史 夜 話

再び歴史教科書について① 教科書の原則 

 11.8.25
 12日の教科書話の続き。
 ここで改めて歴史教科書の原則を考えてみましょう。
 まず、史実を書くということ。実際おこってないことや、学界で意見の分かれることを書いてはいけません。
 第二に歴史は総合の学問ですから、その時々の支配者と民衆の関係や経済、文化などを総合的に取り上げ、歴史的な流れの中で理解できる教科書でなければいけません。
 第三に歴史上の人物も、その総合と流れの中で、取り上げることが求められ、主観的な判断は厳しく退けられるべきです(もっとも、私は歴史における個人の役割を全否定するものではありません)。
 第四に求められることは、子どもたち(この場合中学生)の発達段階に応じたものであることです。
 それぐらいの原則は衆目の一致をみるのではないでしょうか。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-25 13:11 | 歴 史 夜 話

津 軽 紀 行 ⑩  気のきいたことは書けません ―奥入瀬渓谷―

 11.8.25c0133503_13341697.jpg
 さて、青森に来たからには十和田湖と奥入瀬渓谷を訪ねなければと、22日朝、青荷温泉を発った私たちは、深い森の中を車で走ること1時間、十和田湖畔の奥入瀬渓谷の入り口でもある子ノ口に到着した。
 奥入瀬渓谷は全長約15Km、全部歩くと一日仕事となるので、途中の雲居の流れ停留所までバスに乗り、そこから渓谷美を楽しみながら歩いて引き返してくることにした。c0133503_13355064.jpg余談ながら奥入瀬はこのように渓谷に沿って路線バスが走っているので、時間と健脚度に応じてプランが組めるのも魅力だ。
 まだちょっと時間が早かったこともあって、観光客も少なめで、渓谷はすぐ横を国道が走っているとは思えないくらい静かで爽快―、木々に囲まれた水量豊かな清流を眺めながらの散策は理屈抜きでいいもんです。
 なお、当時の私はちょっとお疲れモードc0133503_13371090.jpgで旅の五感も感度不良状態。頼みのアクシデントもなく(!?)、 気のきいたことを書けそうもないので、いつもより多めの写真の“涼しさのおすそ分け”で御勘弁を…。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-25 13:09 | 日本たびたびまた旅日記

報告会が決起集会に、そして最後は作戦会議の場となりました 

 11.8.23
 6日の石橋会館に続いて、20日は住吉会館で「学校統廃合と小中一貫教育を考えるつどい」(主催;池田子どもと教育を守る会)が開催され、やはり子連れの若いお母さんやお父さんをはじめ、多くの地元の方が駈けつけられました。
 6日同様、私がこの間の経過を報告した後、皆さんの御意見を伺うと、のっけから「小中一貫の学校に勤めていました」という若いお母さんが「小中一貫校ではきめ細かい指導は無理。小学校と中学校では球技で使うボールの固さが違う。だから先生はいつ事故が起こるか神経を使ってもうくたくたでした」と報告。実体験だけに説得力があります。
 その後は堰を切ったように参加者の皆さんから学校統廃合、小中一貫校に対する不安や疑問の声が噴出。「福祉施設に勤めているけど、福祉は小規模化が時代の趨勢。なぜ教育は逆行するのか」(石橋4丁目Nさん)、「現場の先生方は誰も賛成していない。特に体育の先生」(現職の教師のAさん)、「北豊島小は創立100年を超える地域の宝。おじいちゃんから北小という人が多い」(住吉2丁目Mさん)、「屋上に立派なプールできてあまり日がたたないのにどうなるの」(同)等々…。
 また「箕面の止々呂美に小中一貫校があるけど、どうなの?」といった質問には、教師のAさんが「あそこは、そもそも全校児童数が少ない(2009年度125人)。強行されると1,000人を超える池田市の小中一貫校と比べるほうがおかしい」と明快に答えておられました。
 ところで、参加者の中には「もう石橋南小がなくなるのは決定だと思っていた」S谷さん(住吉2丁目)や、「市は小中一貫校をいいように宣伝していたので、そんなもんかなぁと思っていた」S井さん(石橋4丁目)などの姿も。お二人とも事実を知りたくて参加されたのですが、議論の進展に一様に驚かれた様子。「勉強になりました」(S井さん)と感想を述べられていました。
 6日同様、最初は報告会のつもりで始めた集いは、次第に決起集会となり、最後は当日初めて会った者同士が「学校守るために、次なにして行こう」と相談しあうさながら作戦会議の場となってしまいました。

 次回の「学校統廃合と小中一貫教育を考えるつどい」は9月11日(日)午後1時半よりきたてしまプラザ(旧北豊島公民館 北豊島郵便局東側)で開催されます。ぜひお誘い合わせのうえお越しください。  
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by takeshi_yamagen | 2011-08-23 00:17 | 守ろう!みんなの小学校

Tさんを囲んで② 話は脱原発へ

 11.8.19
 続けて、S谷君から「共産党は原発反対って言っているけど、太陽光とかでエネルギーがまかなえるのか疑問や」と、今度は私に質問が飛んできました。
「僕はまかなえると思うけど、そのためにはまず国が原発から自然エネルギーへの転換を決断することが大事でしょうね」と答え、「未来のエネルギーについてはいろいろな意見があると思うけれども、原子力発電は一度事故が起これば地域の存亡すらおびやかすもので、自分の出した廃棄物を処理することすらできない未完成の技術であることは、少なくとも今回の事故ではっきりしたんとちゃうか」と続けると、これにはS谷君、アルバ社(フランスの原子力企業)の通訳で六ヶ所村にも行ったことのあるというTさんも含めて「そのとおりや」と意見の一致を見ました。
 さらに、私たちのやりとりをじっと聞いていたS木さんが「原発は本当になくせるやろか」と率直な問題提起。私は「政府や電力会社が、マスコミとも一体となって「安全神話」をあれだけ振りまいてきても、日本国民は1970年代以降新たな原発建造を許してこなかったでしょう。国民が「原発はいやや」と声を合わせれば必ずなくせます」と発言、これにはみんな「なるほどねぇ」といった表情でした(詳細は14日付の「赤旗日曜版」をご覧くだい)。
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by takeshi_yamagen | 2011-08-19 02:17 | 同 窓 会