知らせなければ利用者が減るのは当然です -池田市立勤労者センター条例の廃止に思う-

 08.7.1
 6月議会では城山町の池田市立勤労者センター売却に先立って同センター条例の廃止について討論が交わされました。私は本会議で反対の討論に立ちました。以下はその要旨です。

 今、労働者をめぐる情勢を見ると、1999年に、一部に限られていた派遣労働が、原則自由化されて、06年までに正社員が348万人減る一方で、派遣労働者は107万人から214万人増で321万人となり、うち234万人は登録型派遣、すなわち仕事のあるときだけ呼び出される日雇い派遣となっています。
 彼らの生活は、政府の調査でも一ヶ月働けるのは平均18日、月収は13~15万円、体調をくずして仕事を休めばたちまち収入が途絶え、アパート代さえはらえず、追い出されるというぎりぎりの生活を強いられているわけです。つまり、労働者を孤立化させ、ものとしか扱わない社会のもとで、彼らは、毎日解雇の恐怖に脅えているわけです。
 今年2月8日の日本共産党志位和夫委員長の衆議院予算委員会での質問で、「日雇い派遣はニーズがある」といっていた福田首相も最後には「決して好ましいものではない」といわざるを得なかったのも当然です。
 このように労働環境が悪化する中で、「勤労者の福祉の増進と教養文化の向上を図ること」を目的とするセンターの重要性は増しこそすれ、決して減じておらず、池田市立勤労者センターは存続のうえ、勤労者の要求に応える施設として充実させていくべきであるとの理由で池田市立勤労者センター条例の廃止に反対します。
 
 ところで、本会議や委員会で「利用者が半減したから」との答弁がありました。しかし、そもそも市のホームページの施設案内に掲載しておらず、同センターの存在すら知らない市民も多いわけですから減るのは当然です。知らせずに利用者が減って、それを理由に廃止、というのは、あまりフェアーなやりかたではないように思うのです。私はむしろこのようにほとんど宣伝していないのにもかかわらず平成19年度みると1162件、7914人もの利用があるのは、このセンターが多くの勤労者からいかに必要とされているかを図らずも証明していると思うのですが、いかがでしょうか。
 結局、同条例の廃止は日本共産党議員団を除く賛成多数で議決されてしまいました(賛成議員の中に労働組合の推薦を得て当選された方がたくさんおられることは理解に苦しみます)。
 なお、同センター現在市史編纂室として平成24年までは存続するとのことです。

 
# by takeshi_yamagen | 2008-07-01 13:23 | 市 議 会 日 誌

わが青春の石橋6 北中出身者はけったいなやつばかり?

 08.6.23
 5年前の北豊島中学校の同窓会でのこと。 
 私が高校時代に「北中出身者はおまえ筆頭にけったいなやつが多い」と言われたことを披露すると、他校に進学した子も含めて大きくうなずくではないか。「私も同じこと言われた」というわけだ。
 果たして、現在石橋中学校区である石橋、住吉、井口堂、旭丘も含めた当時の北中校区、すなわち池田市の南部(石橋・豊島地域)は、そんなに個性豊かな子どもを生み出す土壌があるのだろうか。 
 そう思って地図を広げながら、この街の特徴を考えてみた。
 池、川、そして待兼山と結構自然に恵まれた水と緑の街、田んぼが広がる農業の街、中小企業もあれば大企業(ダイハツ)もあるものづくりの街、大阪空港に池田インター、阪急石橋駅と交通の要衝の街、加えて東方に高尚な大阪大学を控える学問の街、その阪大の留学生を普通に見かける国際的な街、極めつけの石橋駅前は、とても繁華でちょっと猥雑な?飲んべえにはたまらない街…、上げればきりがなさそうだ。
 確かにこれだけ多彩な顔を持つ街もあまりない。このちゃんぽんみたいな街で、子どもたちに「個性的になるな」という方が難しい。これが全くの新興住宅地や純農村地帯の学校ではそうはいかなかったであろう。 
 この刺激的な街でけったいな人間に育ったことを、誇らしく思ってしまうのはなぜだろうか。
# by takeshi_yamagen | 2008-06-23 15:15 | 山元のすべらない話

下請労働者のこと、空港地域や石橋駅のこと、粘り強く取り組みます

 08.6.23
 本日、6月議会の一般質問の発言通告書を提出しました。
 最初は公契約に関する質問です。
 市の入札では、最低制限価格(それ未満ではまっとうな工事はできないとされる額)、あるいはそれに近い額での落札した事例があり、下請労働者へのしわ寄せが懸念されています。下請労働者の建設業退職金制度加入の徹底をはじめとした指導の必要性などについて市の見解を質します。
 次は箕面川を始めとした水辺を生かしたまちづくりについてです。
 昨年12月議会では子どもたちの教育の観点から箕面川の重要性を訴えましたが、今回は子どもたちの遊びの観点から、親水公園の重要性を訴えます。
 また、昨年の質問以後、石橋周辺の方々から「がんばってくれ」「私も箕面川をなんとかできないものかと思っていた」「親水公園は賛成だけど、水辺の安全は十分考慮してくださいね」といったさまざまな声が寄せられ、箕面川・今井川の清掃、魚介類の保護、水田の活用など、水辺環境の保全に尽力され、まちづくりに生かそうと考えている方が多くいらっしゃることも知りました。その市民の思いにどう答えるのか、市の見解を質します。
 また、この間取り上げてきた空港地域住民のごみ指定袋販売店の拡大問題、石橋駅バリアフリー化事業についてもその進捗状況、問題点について聞く予定です。 
 一般質問は6月27日(金)の午後になる予定です。 
# by takeshi_yamagen | 2008-06-23 14:42 | 市 議 会 日 誌

民主党さん、「不戦敗」「敵前逃亡」をいつまで続けるのですか

 08.6.20
 民主党などが、後期高齢者廃止法案の審議ボイコットを続ける、まさにその時、福田首相が消費税増税をちらつかせてきました。それ自体許しがたいことですが、消費税増税を容認する民主党への揺さぶりの意味もあるようです。「後期高齢者医療制度か、消費税増税か」という国民にとっては全くしらけた土俵に民主党を乗せようという魂胆。要は政府自民党に見透かされているのです。
 参議院選挙後の大連立騒ぎ然り、今回のボイコット然り。決定的な場面でいつも動揺し、「不戦敗」「敵前逃亡」を繰り返す民主党に対して感じるのは憤りだけです。
 日本共産党は、今回の後期高齢者医療制度廃止法案のように国民の願いにこたえる野党共闘はおおいに進めます。同時に今回の民主党の態度を見るにつけ、日本共産党が伸びなければ国民の願いが国会に届かないということも痛感した今国会でした。
# by takeshi_yamagen | 2008-06-20 17:20 | 建声元語 ―よもやま話―

ブタもおだてすぎれば木が折れます

 08.6.20
 6月議会の委員会質問を考えている私に、垣田千恵子団長が横から一言。
「本当に新人二人(私と藤原美知子議員)が期待以上によくやってくれるから頼もしいわ」
いつもの「よいしょ」とわかっていても、「おだてられたら木に登るブタ」タイプの私としては、悪い気はしません。実際、それをエネルギーにして(!?)この1年突っ走ってきたように思います。
 しかし、その垣田団長のおだての「神通力」もそろそろ効かなくなりつつあります。
 というのも、公立病院の再編問題、連結決算問題、後期高齢者医療制度等々、息つく間もなく出てくる諸課題、どれひとつとっても関連する制度や法律をじっくり学ばない限り、ついていけないと最近痛感しているからです。
 やはり、自己暗示と勢いだけでは限界がありますね。ちょっともがいている今日この頃です。 
 
# by takeshi_yamagen | 2008-06-20 14:12 | 山元のすべらない話

天神地域をウォッチングゥ~

 08.6.17c0133503_1126866.jpg
 時間を見つけては地域の皆さんと石橋・豊島の街を歩いています。14日午後は天神1・2丁目でした。
「結構公園にゴミ多いなぁ」(Sさん)(写真)
「この水路は水が少なくなると異臭を放つんやで」(天神在住のKさん)
「これが市役所に言ってつけてもらったカーブミラーです」(私。ちょっと御報告)
「(箕面川を上からのぞいて)アヒルにコイに白サギ、そしてヘビ。まだいろんな動物がいるんやなぁ」 (全員) 
普段何気なく歩いている街も、みんなで歩くといろんな姿や問題が見えてきます。大変勉強になりました。
 ところで、以前ご近所に住まわれていたKさんの奥さんと石橋北口でばったり。
「なにしてはんの?」
「ちょっと街の様子を伺いに…」
「マメに歩いてはるんやなぁ」
ちょっとだけほめてもらいました。
# by takeshi_yamagen | 2008-06-17 09:55 | 住みよい石橋・豊島の街めざして

民主党さん、そりゃないで―後期高齢者医療制度廃止法案、審議ボイコットに思う―

 08.6.14
 中学生の頃、自分が出した夏休みの宿題のことをうっかり忘れてしまい、2学期早々「先生、そりゃないで」と生徒たちに笑って突っ込まれていた先生がいました。
 そんな話を思い出させてくれたのが、民主党などの後期高齢者医療制度廃止法案の審議ボイコットです。
 国民の怒りと期待がぎっしりつまった同法案、共産党、民主党も含めた野党4党で提案し、参議院を通過。さぁ、衆議院で正々堂々と審議して政府自民党・公明党を追い詰め、成立させようとしていた矢先のボイコット。自分が出しておいた法案を話し合わないというのですから、これでは後期高齢者医療制度を党利党略でもてあそんでいるといわれても仕方ありません。
 今からでも遅くありません。正々堂々と国会で審議して、政府自民党・公明党を追い詰め、同法案を成立させようではありませんか。
 こればかりは、笑って突っ込んで済ますわけにはいかないのです。
# by takeshi_yamagen | 2008-06-14 11:20 | 建声元語 ―よもやま話―

池田に生きた人々の息吹が伝わってくる市史が読みたいなぁ

 08.6.13
 昨日開かれた6月議会本会議で、私は池田市史編纂事業について質問しました。以下はその要旨です。

 私ども日本共産党は、後世に残る立派な市史をつくってほしい、との観点から、市史編纂にあたっては拙速にことを進めるべきではないということを常々申してまいりました。 
 平成20年度刊行にむけて作業を進めている『新修池田市史 第3巻 近代編』と『同4巻 現代編』は、現在、原稿の執筆段階であるとのこと。
 原稿執筆が終わると、それで大半の仕事が終わったと思われる方も多いと思いますが、かつて書籍の編纂事業に携わったことのある私の経験からいいますと、実はその後の校正が全体の三分の一から場合によっては半分近い時間をとってしまうことが多いのです。
 まして市史の場合は複数の研究者の方々が執筆されるわけです。その作成にあたっては基本方針や文体、用語の統一など、事前に話し合われていると思いますが、それでも執筆者全員で改めて示し合わさねばならないことがらは、途中でいくらでも出てくるものです。
 その点から見ますと現在まだ原稿執筆中という段階で、平成20年度中に果たして刊行できるのか、大変心配しているところであります。 
 特に私が危惧するのは、無理な工程が執筆者の方々や関係する職員をいたずらにあせらせ、市史そのものの質に悪い影響を与えることにならないだろうか、ということです。
 というのも、あまりに稚拙な内容で本が完成しながら出版が見送られた市史の例を知っているからです。また、実は私、別のある市の市史に名前を出していただく栄誉に浴したことがあるのですが、残念ながら見事に名前を間違われたという少し苦い経験を持っています。
 そのような失態を絶対に池田で繰り返してはいけません。 
 いたずらに時間が過ぎることは避けねばなりません。しかし、その完成時期については柔軟に対応してもらいたい。そして、歴史の大局的な流れを踏まえたうえで、池田に生きた人々の息吹が伝わってくるような素敵な市史を作っていただきたいということを重ねて要望し、質問を終わります。

 余談ながら、1968年発行の『茨木市史』では、その発行が少し遅れたがために同市出身の川端康成さんのノーベル賞受賞を市史に載せることができました!? 
# by takeshi_yamagen | 2008-06-13 17:49 | 市 議 会 日 誌

東京で痛ましい事件がおこりました

 08.6.13
 東京秋葉原で痛ましい連続通り魔事件が起こりました。17人もの人を殺傷するというその犯行は本当に許しがたいものです。亡くなった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 さて、25歳の派遣社員であったという犯人についてはいろいろ報道されていますが、その中で私が気になったのは「友達がほしかった」「勝ち組はみんな死んでしまえ」という彼の携帯サイトへの書き込みです。そこには友達をつくる間もないほど短い周期で職場を転々とさせられる派遣社員の実態と、現代日本の格差社会の歪みが示されているといっても言い過ぎではないでしょう。
 卑劣な凶行に及んだ犯人を絶対に許すわけにはいきません。しかし、その原因を犯人の性格など個人の問題に解消するだけでは私は不十分であると思います。その背景にある現代の日本社会の病巣にメスをいれることこそが、このような事件を再び起こさない最も確かな保障となると思うのですが、いかがでしょうか。
# by takeshi_yamagen | 2008-06-13 17:39 | 建声元語 ―よもやま話―

確かめてみました 蟹工船人気

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 小林多喜二の『蟹工船』が大変売れているとのこと。新潮社によると、年平均5千ほどだった増刷部数が、今年に入ってすでに10万に達しているというのです。
 実際どうなのかな、と思って、先日梅田のB書店を覗いてみると、確かに『蟹工船 党生活者』の赤い表紙が文庫売り場の一画を大きく占領、数えてみると69冊ありました。その横には「今までの5倍の売れ行き」という読売新聞の記事が紹介され、さらに店員によって「実際はもっと売れています」と書き込まれていました。
 池田駅前のA書店では普段と同じように1冊だけポツンと置かれていました。「ここではあまり売れていないのかな」と思って店員に聞いてみると「売り切ってしまって、それが最後の1冊です」とのこと。さらに「入荷しようにも、うちみたいな小さい書店ではなかなか回ってこない」と言われました。翻って石橋のC書店では「蟹工船入荷しました」の札がわざわざ貼ってあるのを発見。かなり品薄になっているのは事実のようです。
 ところで、『正論』08.7月号にこんな記載がありました。
「…われわれは、殊に保守を自負する陣営は、左派が完全に時流に乗るよりも前にワーキングプアの実態を正確に把握したうえで、彼らを救済する方策を考え実行する時期にきている。多喜二没後75年の年に起こった『蟹工船』ブームを甘く見てはならない。政府与党と財界は本気で慌てるべきだ」(桑原聡「なぜ今『蟹工船』なのか 小林多喜二にすがる危うき現代社会」)
 75年前に凄惨な拷問の末、確かに消し去ったはずの小林多喜二。その呪縛から国家権力は今なおのがれられないようです(07年12/16,18付ブログ参照)。
# by takeshi_yamagen | 2008-06-09 14:43 | 山元のすべらない話

元史建歴22 森絹子先生のこと① 勉強の楽しさを詰め込まれました

 08.6.7
 1970年春、私は北豊島小学校3年1組に進級した。
 新しい担任の先生は森絹子先生。当時50歳前のこの先生こそ、私の人生を決定づけた先生であるといっても過言ではない。
 森先生については、思い出がありすぎて何から語り出すべきか、本当に悩んでしまうのだが、まずあげるとすればその授業の楽しさであろう。
 例えば国語。新しい漢字が出ると、先生は必ずその字を使った熟語を見つけ出してくることを宿題にされた。誰もが親に聞いたりして探しあてた熟語を次の授業で発表するわけだが、それは授業というよりまさに駄菓子屋の「あてもん」の乗り。楽しみながら、みんなが知っている熟語を出し合って、みんなが賢くなっていくという雰囲気に満ち溢れた授業であった。
 また、先生は授業(特に社会科)の合間によく余談を挟まれたが、それがまたおもしろかった。
「戦争中、ひもじかったので道端の草を抜いて今のダイハツの工場で蒸してもらって食べたんやで」
「昔、石橋駅の向こう側は野村、玉阪村って言ったんだけど、時々村の人が今の阪大坂のところでキツネに騙されたらしいよ」
「台風で箕面川の橋が流れてしまって、先生やのに遅刻してしまったことあるんや」
どれも子どもたちの行動半径内の身近な場所の話だけにみんな興味津々。先生はよく「また(話が)脱線してしまった」などと言っておられたが、今から思うとおそらくどれも計算づくだったのであろう。
 さらに、先生はゲームもよくしてくださった。
 みんながばらばらに書いたカードをつなげて思いがけない文章をつくる「いつ、どこで、だれが、なにをした」は、英語の5W1Hなどを学ぶ下地を築いてくれたように思うし、魚などの種類を次々出し合う「魚鳥木」は動植物への関心を高めてくれたのは間違いない。
 先生に担任を受け持ってもらった2年間、私は「勉強は楽しい」ということを、徹底的に「詰め込み教育」されたのである(16/12/30付ブログ参照)。
  
# by takeshi_yamagen | 2008-06-07 18:51 | 元 史 建 歴

まず「博物館行き」にすべきものはなにか

 08.6.7
 不用になったものや、時代遅れになったことに対して「もう博物館行きや」という言葉が時々投げかけられます。社会教育の仕事に携わっていた人間としては、博物館自身が低く見られているようで、あまりいい気がしない言葉でした。
 しかし、よく考えて見ると、現代社会で実用的価値がなくなったものに歴史的な価値を与え、大切に後代まで保存し、展示するという本来の博物館の役割を評価してもらっているとも考えられます。
 さて、大阪府の橋下知事は弥生文化博物館やワッハ上方をはじめとした多くの社会教育施設や文化施設を廃止しようとしている一方で、「大阪ミュージアム(博物館)構想」を立ち上げるとのこと。私はそれを聞いて「悪い冗談だろう」と思いましたが、よく読むと、彼のいうミュージアムとは大阪の名所をライトアップする程度のもののようです。
 そんな金メッキを張ったような知事の博物館像こそ、まず博物館に送り込んでもらいたいものです。もしかしたら、それが怖いから知事は今ある博物館をつぶそうとしているのでしょうか。 
# by takeshi_yamagen | 2008-06-07 17:02 | 博物館は楽し

老革命家、その名はWindows95

 08.6.5
 5月下旬になって、市民の方から寄せられる生活相談が一気に増えました。昨今の情勢の反映でしょう、その大半は病気や生活苦に起因するものであり、決して喜べることではないのですが、議員生活も2年目を迎え、ちょっとは頼りにされるようになってきたのかな、と密かに思っているところです。
 加えて、先週から今週にかけてはパソコン買い替えの準備、さらには突然の歯痛などが重なってしまいました。情勢が激動する中、お伝えせねばならないと思うことはたくさんあったのですが、そんなこんなで、1週間ほどブログをお休みした次第。御容赦ください。
 ちなみに、今回「引退」するわが家のパソコンはWindows95。最近は「文字化け」が増加したり、突然機嫌を悪くしてフリーズしたり、さらには新しいソフトや近年の保存媒体を受け入れなくなるなど、まさに満身創痍の状態でしたが、10年以上にわたってわが家のIT革命を支えてくれた「老革命家」には感謝の念でいっぱいです。今後は私の息子のもとでその余生を過ごすことになりそうです。 
# by takeshi_yamagen | 2008-06-05 10:02 | 建声元語 ―よもやま話―

「私たちの世代は資本主義でいい思いなんて何もしていない」

 08.5.27
 表題は某誌に掲載されていた青年(東京都の26歳女性)の声です。
 私が民青(日本民主青年同盟。日本共産党の指導と援助を受ける青年組織)で活動し始めた70年代末、級友のF君から「日本は資本主義の国。なんで変えるなんて考えるの?」と真顔で質問されたことを覚えています。当時、大半の青年にとって、多少反自民の傾向がその意識の中にあったとしても、それが体制の変革に結びつくことは、まずありえなかったのです。
 それだけに表題の発言は、意外であり、驚きでした。
 バブル崩壊以後に社会人となった大半の青年―その一部はすでに中年の域に達しつつあります―にとっては、資本主義とは不況と不安定雇用で自分たちを苦しめるものとしか映っていないのでしょう。マルクスや小林多喜二の『蟹工船』への関心が高まっていることも無関係ではないと思います。
 同時に、その資本主義への反感、疑問の声が、国内ではストレートに日本共産党にくるのがおもしろいと思います。私の学生時代ならば、社会主義と言えばソ連のフィルターを透して見られることが多かったのですが、そのソ連が消滅して久しく、かつてまがりなりにも社会主義を掲げていた政党が、その看板をおろしたり、解党してしまったりする中で、資本主義の根本的な変革を求め、さらに社会主義を展望する政党が日本共産党しかなくなってしまっている現状の反映でしょう。
 このように日本社会が行き詰まる中、資本主義の危機を打開し、日本の未来を指し示す日本共産党の綱領を是非とも知ってもらいたい…、そんな思いで、日本共産党は国民の皆さんと綱領を学ぶ集いを全国で展開しています。
「学ぶとは誠実を胸に刻むこと、教えるとはともに希望を語ること」(ルイ・アラゴン)
いよいよそんな時代になってきました。  
# by takeshi_yamagen | 2008-05-27 12:15 | 建声元語 ―よもやま話―

暑さとともに魚が戻ってきました

 08.5.26c0133503_1219393.jpg
 急に暑くなってきましたが、皆さん御身体いかがでしょうか。私は、筆を持つ手、いやキーボードを叩く手がやはり重くなり、三日ほどブログをお休みしてしまいました。
 そこで、今回は少しでも皆さんに涼しくなってもらおうということで、川のお話です。
 一週間ほど前、天神小橋から箕面川をふと覗くと、多くの魚-おそらくオイカワ(ハヤ)-が群をなして泳いでいるのを見かけました。冬の間、殆ど魚影を見ることがなかったのでちょっと心配していただけに一安心。彼らを狙うシラサギの数も心なしか増えたようです。
 そして、今朝、石橋商店街の中を流れる今井川―幅1m余の小さな川です―でもオイカワが泳いでいるのを発見しました。実は今井川は昨年9月2日に水が枯れてしまい、こちらも絶滅を心配していたのですが、どうやら上流のほうで生き残ってくれていたようです。よかった、よかった(写真。上方に石橋駅のホームが見える)。
 その今井川、椴木議員によると商店街の皆さんが定期的に掃除してくださっているとのこと。そんな御努力があるからこそ、魚たちの泳ぐ、街中では珍しい清流が維持されているんですね。
 
 さて、昨年子どもたちに大変好評だった箕面での川遊びを、地域の皆さんと今年も夏休みに行いたいと考えています。日時等決まりましたらブログその他でお知らせします。御期待ください(07年8/27付ブログ参照)。  
# by takeshi_yamagen | 2008-05-26 14:55 | イシバシ NOW

わが青春の石橋5 ハンダイでカンダイに通う ―大阪大学図書館の話―

 08.5.23
 前回に引き続いて大阪大学の話。
 大学受験を控えた高校3年の頃、私は連日大阪大学に「通学」していた。
 目的は阪大図書館での受験勉強(入館に際してカードが必要な現在と違って、当時は誰でも図書館に入ることができたのだ)。特に夏休みは学生も少なく、冷房も効いていて、おまけに昼食も階下の大学食堂で済ますことができたので、丸一日図書館の建物から出ることなく落ち着いて勉強ができた。そして、この私の阪大通いは夏休みの終わり頃に流された「高校生は出ていきなさい」という放送まで続くこととなった(実はその放送まで、私は高校生が阪大図書館で勉強してはいけないなど思ってもいなかった)。
 ハンダイ(阪大)のカンダイな措置のおかげで入った大学がカンダイ(関大)だったのは皮肉としか言いようがないが、「阪大で学んだ」のはまぎれもない事実。でも、これって学歴詐称になるのかなぁ(笑)。
# by takeshi_yamagen | 2008-05-23 16:15 | 山元のすべらない話

元史建歴21 四面「疎火」の家

 08.5.22
 母方の祖母山中コム子(ね)(1909~88)は大阪市東区半入町(現中央区玉造2丁目)の五軒長屋の一つに弟家族4人とともに暮らしていた。このふた間に小さな台所と便所、そして猫の額程度の裏庭がついただけの小さな家、実は太平洋戦争の米軍の空襲を免れ、奇跡的に焼け残った建物であった(もっとも、祖母が住み始めたのは戦後のことである)。
 数年前、1948年3月に米軍が撮影した航空写真を見る機会があり、一面焼け野原の灰色が広がる中に、確かにその長屋を示す小さな黒い長方形を見つけることができた。改めてその周辺を見てみると、南は玉造稲荷神社の境内、北は比較的広い道路、西は細い露地を挟んで玉造小学校の鉄筋校舎、そして東は上町台地が東に落込む斜面となっていて、確かに他所から延焼しにくい立地となっている。まさにこの四面「疎火」とでも言うべき立地が、焼い弾の直撃を免れた偶然とも重なって、祖母の家を守ったと言えるであろう。ちょっとした偶然で生活が変ってしまう戦争の恐ろしさを私は祖母の家から学んだ。
 その長屋も1975年頃に取り壊され、マンションとなってしまった。今となっては膏薬と線香の香りが入り交じったちょっと湿っぽい空気、そしてやさしかった祖母の姿とともに私や父母の記憶の中に残るだけである。
# by takeshi_yamagen | 2008-05-22 15:24 | 元 史 建 歴

日本共産党議長誕生にあと一歩まで迫りました

 08.5.21
 昨日開かれた5月臨時議会で、2008年度の市議会議長・副議長などが選出されました。
 議長選挙では垣田千恵子市議が24票中11票を獲得して、池田市議会史上初となる日本共産党の議長誕生にあと一歩まで迫りました(松本眞議員13票)。民主党系会派(民主・市民連合)の議員によると「政策が近いから垣田さんに投票した」とのこと。ちなみに他会派が議長選挙で日本共産党議員に投票したのも初めてです。日本共産党の議会でのたたかいと道理ある主張が情勢を動かしつつあることを実感した議長選挙でした。
 なお、私は総務委員会副委員長に選出されました。
# by takeshi_yamagen | 2008-05-21 16:16 | 市 議 会 日 誌

知事、始皇帝に匹敵する暴君として歴史に名を留めたいですか  -博物館を考える集いに参加して-

 08.5.21
c0133503_15385766.jpg 18日、和泉市内で開かれた「弥生文化博物館廃止絶対反対!! 大阪の文化財と博物館を考える集い」(同集い実行委員会主催)に参加しました。「あまり宣伝しなかった」(主催者)にもかかわらず、会場は100名を超える参加者でいっぱいです。
 まず、池上曽根遺跡の発見者である南繁則さんのご子息南清彦さん(和歌山大学名誉教授)が1965年発行の池上遺跡保存、博物館建設を訴えるビラを示して、お父さんの思い出を交えながら、博物館の存続を訴えられました。
 次に、小林義孝さん(大阪府職員労働組合文化財保護分会)が「年間5万人(うち1/4は小中学生)の人が集まる文化施設を壊すのは前代未聞。同時に「売りやすいから売る」ということを許すならば「こんなもの(文化施設)でも売れるんだ」ということになり、他に及ぼす影響は計り知れない」と主張。また、韓国博物館協会会長の申敬テツ先生が来日の際、急遽予定を変更して「弥生文化博物館は、世界の農業の始まった時代を研究する拠点です」と知事にその存続を訴えられたことも示して、弥生文化博物館は日本のみならず、世界の宝であることを強調されました。
 また、久世仁士さん(文化財保存全国協議会常任委員)は、池上曽根遺跡が1903年頃に地元の南さんによって発見された後、数度の調査によって、弥生時代の大遺跡であることが明らかになる中で、1960年代に地元の方々を中心に保存運動が広がり、1976年に国史跡に到った経過を報告されたうえで、1981年に始まった博物館建設の署名と募金運動が91年の弥生文化博物館開館、そして2001年の池上曽根遺跡史跡公園完成につながっていったことを強調されました。
 まさに弥生文化博物館は、50年にわたって保存運動にかかわってきた市民の思いが結実したものであり、それを廃止する橋下知事の暴挙は、秦の始皇帝の焚書坑儒(※)、あるいはアフガニスタンのタリバン政権によるバーミアン大仏破壊に匹敵する、と批判されました。
 さらに、渡辺武さん(大阪城天守閣元館長)からは小泉構造改革、新自由主義のもとで博物館が営利主義にさらされている実態が報告されました。
 その後の討論では、博物館建設にも尽力された吉房康幸元副館長が「自分の子どもが亡くなりそうだ。みんな助けてください」と涙の訴え、さらには「勤評闘争、安保のときのように立ち上がろう」の声が続きます。90歳近いお年寄りも含めて、多くの人がまさに自らの人生をかけて次々にマイクを握られたのです。
 最後に石部正志さん(文化財保存全国協議会代表委員)が「大阪は全国に先駆けて多くの遺跡が消えていった。その一方で、イタスケ古墳や難波宮などを市民が残してきた歴史もある。今度は博物館。今日の皆さんの話で「こりゃ、やれるで」となってきた。教育、医療、平和を守る運動と手を携えて、博物館を守るのではなくて発展させていこうではありませんか」と訴える頃には、参加者の思いは熱く、堅くひとつになっていきました。 
 
 ※焚書坑儒…秦の始皇帝が民間の書物を焼き捨て、数百人の儒生を坑(あな)に埋めて殺したこと
 
# by takeshi_yamagen | 2008-05-21 16:03 | 博物館は楽し

直径5mからはるかな宇宙へ -五月山児童文化センター プラネタリウムを見学して-

 08.5.20
 17日、五月山児童文化センターにプラネタリウムを見に行ってきました。
 定刻3時半に上映開始。まずはドーム内の東西南北の位置説明です。
 おや、なぜか東の空にちょっと髪の毛が薄い人が映し出されました。よく見ると宮崎県知事のそのまんま東さんです。子どもたちは大笑い、彼らの頭に空の方向がまずインプットされました。
 やがて、部屋は次第に暗くなり、ドーム内に満点の星空が広がります。その日のテーマは乙女座。星の名前や地球からの距離の話、そして最新の望遠鏡を駆使した美しい天体写真に、皆引き込まれていきます。時折子どもたちの「へぇ~」の声が漏れていました。
 恥ずかしながら、池田に長く住みながら、家から遠いこともあって、このプラネタリウムを見学するのは今回が初めて。職員の方も市内のすべての子どもたちに見てもらいたいのだが、やはり規模が小さいこともあって(ドームの直径5m)、なかなかそこまでは難しい面があるとのことでした。また、館に来ていた子どもで物理学の道を選んでくれた子もいて、そういう話を聞くとやはりうれしいですね、ともおっしゃっていました。
 これからも五月山児童文化センターが「科学の館」として発展するよう、厳しく、そしてやさしく市民みんなで見守っていかねばなりません(3/22・25付ブログ参照)。 
# by takeshi_yamagen | 2008-05-20 09:29 | 博物館は楽し

日本共産党 前大阪・池田市会議員  山元たけしの日々の活動を綴ります


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